2022年9月24日(土)14:40 開演 @京都コンサートホール
指揮 : ジョン・アクセルロッド(首席客演指揮者)/ 合唱 : 京響コーラス
独唱 : テオドラ・ゲオルギュー(ソプラノ)・山下牧子(メゾ・ソプラノ)
* * * * *
● 第1楽章 アレグロ・マエストーソ
この20分を超える充実したスケールをもつ楽章には、「葬礼、死への儀式」という標題が付けられています。同時に、「完全にまじめで、しかも荘厳な表出をもって」という、作曲者自身の指示が見られます。また、この楽章のあとには、「少なくとも5分間の休止を置くように」という指示もあり、今回の演奏会では、この休止の時間は、京響コーラスのポディウム席への入場に充てられています。
● 第2楽章 アンダンテ・モデラート
この楽章にも、「きわめて気楽に、けっして急がないで」という指示が見られます。前楽章とは対照的に、田園舞曲風の穏やかな旋律から始まりますが、ここで先述の「5分間の休止」が、いい効果を発揮しているように思います。後半部、ピチカートによる弦楽合奏に、管楽器とハープが呼応するところは、天国的な美しさを感じさせます。
● 第3楽章 静かに流れるような動きで
この楽章から最後までは休みを置かずに続けて演奏されます。聴いている方も、いよいよ「これから正念場」といった思いで、仕切り直しの気分。二人の独奏者も舞台袖から客席の前通路を使って、それぞれタイミングをはかって入場。ユダヤ・メロディーと言われる独特の哀愁と諧謔味を備えた旋律が、いかにもマーラーといった感じで、泉のように溢れ出てくるスケルツォ。
● 第4楽章 原光(原初の光)
二人の独唱者には、それぞれ人間(メゾ・ソプラノ)と、天使(ソプラノ)という役割が付与されています。ここで、「人間」役の山下牧子さんの独唱。プロフィールに「堅実なテクニックに裏打ちされた端正な歌唱」と紹介されていましたが、まさにピッタリな表現。変に作為的でない、ごく自然な人間の声域の範囲内で、跳躍音の少ないシンプルで平板な旋律が、しみじみと心に染み渡ってくるようです。
● 第5楽章 スケルツォのテンポで、荒々しく始めて
舞台裏に配置されたバンダ、パイプオルガンと、ステージ上の大編成のオーケストラが呼応し合う圧倒的なフィナーレ。まるで、天上界と人間界という時空をつなぐ壮大崇高なスペクタクルが、眼前で繰り広げられているような感さえします。指揮者、オーケストラ、独奏者、合唱団が渾然一体となって、突き抜けた先に広がる宗教的エクスタシーの境地。
* * * * *
指揮者のアクセルロッドさんは、あのバーンスタインさんに師事されていたとのことで、もっとユダヤ色の強いマーラーの世界を勝手にイメージしていたのですが、予想は外れて、案外あっさり系の(粘着性の薄い)快活で明晰な音楽。そのタクトに応えた京響の演奏力もお見事。ステージを埋め尽くした大編成のオーケストラにもかかわらず、運動性・機能性に緩慢さは見られず、フルの強奏になっても響きが混濁することのないクリアなサウンド。
これまで、年末恒例の「第9」はもちろんのこと、合唱付きのマーラーの交響曲、レクイエムなどの宗教音楽の演奏でも、実力は折り紙付きの京響コーラスの皆さん。今回もコロナ感染防止のための措置として、マスク装着のステージとなりましたが、そのハンデをものともしない立派なパフォーマンスでした。
指揮 : ジョン・アクセルロッド(首席客演指揮者)/ 合唱 : 京響コーラス
独唱 : テオドラ・ゲオルギュー(ソプラノ)・山下牧子(メゾ・ソプラノ)
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● 第1楽章 アレグロ・マエストーソ
この20分を超える充実したスケールをもつ楽章には、「葬礼、死への儀式」という標題が付けられています。同時に、「完全にまじめで、しかも荘厳な表出をもって」という、作曲者自身の指示が見られます。また、この楽章のあとには、「少なくとも5分間の休止を置くように」という指示もあり、今回の演奏会では、この休止の時間は、京響コーラスのポディウム席への入場に充てられています。
● 第2楽章 アンダンテ・モデラート
この楽章にも、「きわめて気楽に、けっして急がないで」という指示が見られます。前楽章とは対照的に、田園舞曲風の穏やかな旋律から始まりますが、ここで先述の「5分間の休止」が、いい効果を発揮しているように思います。後半部、ピチカートによる弦楽合奏に、管楽器とハープが呼応するところは、天国的な美しさを感じさせます。
● 第3楽章 静かに流れるような動きで
この楽章から最後までは休みを置かずに続けて演奏されます。聴いている方も、いよいよ「これから正念場」といった思いで、仕切り直しの気分。二人の独奏者も舞台袖から客席の前通路を使って、それぞれタイミングをはかって入場。ユダヤ・メロディーと言われる独特の哀愁と諧謔味を備えた旋律が、いかにもマーラーといった感じで、泉のように溢れ出てくるスケルツォ。
● 第4楽章 原光(原初の光)
二人の独唱者には、それぞれ人間(メゾ・ソプラノ)と、天使(ソプラノ)という役割が付与されています。ここで、「人間」役の山下牧子さんの独唱。プロフィールに「堅実なテクニックに裏打ちされた端正な歌唱」と紹介されていましたが、まさにピッタリな表現。変に作為的でない、ごく自然な人間の声域の範囲内で、跳躍音の少ないシンプルで平板な旋律が、しみじみと心に染み渡ってくるようです。
● 第5楽章 スケルツォのテンポで、荒々しく始めて
舞台裏に配置されたバンダ、パイプオルガンと、ステージ上の大編成のオーケストラが呼応し合う圧倒的なフィナーレ。まるで、天上界と人間界という時空をつなぐ壮大崇高なスペクタクルが、眼前で繰り広げられているような感さえします。指揮者、オーケストラ、独奏者、合唱団が渾然一体となって、突き抜けた先に広がる宗教的エクスタシーの境地。
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指揮者のアクセルロッドさんは、あのバーンスタインさんに師事されていたとのことで、もっとユダヤ色の強いマーラーの世界を勝手にイメージしていたのですが、予想は外れて、案外あっさり系の(粘着性の薄い)快活で明晰な音楽。そのタクトに応えた京響の演奏力もお見事。ステージを埋め尽くした大編成のオーケストラにもかかわらず、運動性・機能性に緩慢さは見られず、フルの強奏になっても響きが混濁することのないクリアなサウンド。
これまで、年末恒例の「第9」はもちろんのこと、合唱付きのマーラーの交響曲、レクイエムなどの宗教音楽の演奏でも、実力は折り紙付きの京響コーラスの皆さん。今回もコロナ感染防止のための措置として、マスク装着のステージとなりましたが、そのハンデをものともしない立派なパフォーマンスでした。