まい・ふーりっしゅ・はーと

京都発。演奏会や展覧会、読書の感想などを綴っています。ブログタイトルは、ビル・エヴァンス・トリオの名演奏から採りました。

マーラー・シリーズ 沼尻竜典×京都市交響楽団

2023-03-21 18:53:44 | kyokyo
2023年3月19日(日)14:00 開演 @滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール
指揮 : 沼尻 竜典(びわ湖ホール芸術監督)/ 管弦楽 : 京都市交響楽団


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● マーラー : 交響曲第6番 イ短調「悲劇的」
このコンビによるマーラー・シリーズは、今回が3回目とのこと。交響曲第4番(2020年8月)、交響曲第10番&第1番「巨人」(2021年9月)では、両者の揺るぎのない信頼関係を感じさせる、優れた演奏が披露されました。そして今回は、16年もの長きにわたって務めてこられた、びわ湖ホールにおける現ポストを退任される沼尻さんのラスト・コンサートになります。

この曲は、2016年3月の京響第599回定期で、高関健さんの指揮で聴いています。ただし、その時の中間楽章の演奏は、今回とは逆の「アンダンテ→スケルツォ」という順番。京響との結び付きも強い、お二人の間でも見解が分かれるところなど、なかなか結論を出しにくい難しい問題であるようです。

また、楽団員さんの配置でも、ホームの京都コンサートホールでは、弦楽器奏者の列には「ひな壇」を設けて段差をつくる、いわゆる「すり鉢」状の構造がほぼ定着していますが、びわ湖ホールでは、フラットな平面上に弦楽器奏者を配列するというオーソドックスなスタイル。ホールの(響きの)特性に応じて、工夫を凝らされている点も興味深いところです。

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この交響曲に付けられた「悲劇的」という標題については、いろいろなエピソードが残されており、さまざまな解釈がなされていますが、学究的な考察はさておいて(知らんがな…)、私には、その長さが余りにも「悲劇的」。とてものこと集中力が保てません。周りの皆さんは、ちゃんと聴いておられるのだろうか?

今回も案の定、第2楽章「スケルツォ」の途中あたりで睡魔に襲われ、それ以降ははっきりした記憶が残っていません。しかし、ここで仮眠(?)がとれたおかげで、寝覚めた後の第3楽章「アンダンテ」の安息感に満ちた優しさが身に染むようで、牧歌的な「カウベル」の響きも、何とも心地のよいものに感じました。

そして何より、古典的な交響曲なら優に1曲分はあろうかという、最終楽章の濃密で充実した響きを十分に堪能できたこと。ステージと舞台裏を忙しく往復する打楽器奏者さんの様子や、あの「ハンマー」が打ち下ろされる衝撃的(悲劇的?)な瞬間など、視覚的な演奏効果もバッチリ。沼尻さんの在任16年をしめくくるのに相応しい、圧倒的な熱演と言えるものでした。

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なお、このマーラー・シリーズの第4弾も、この沼尻=京響コンビで継続されることが決まっており、今年8月に交響曲第7番「夜の歌」を演奏することが、プログラムで告知されていました。また、京都コンサートホールと京響による企画ものとして、同年11月には「ニーベルングの指環」よりと題された演奏会が、沼尻さんを指揮者に迎えて開催されることも発表されています。こちらも、今から楽しみ!



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京都市交響楽団 第676回定期演奏会

2023-03-14 18:51:40 | kyokyo
2023年3月11日(土)14:30 開演 @京都コンサートホール・大ホール
指揮 : ジョン・アクセルロッド(首席客演指揮者)/ 独奏 : 三浦 文彰(ヴァイオリン)


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● ガーシュウィン : パリのアメリカ人
この曲は、2016年1月の第597回の京響定期で、広上淳一さんの指揮で聴いています。自動車のクラクションの音もけたたましい大都会・パリの喧騒と、当地を訪れたアメリカ人旅行者の、うきうきとした華やいだ気分が巧みな音楽描写で表現されています。ジャズやブルースのテイストを感じさせるフレーズも散りばめられ、さながら、ストリングス付きのビッグバンド・ジャズを聴くような、ゴージャスなスイング感を楽しめます。

前日の「フライデー・ナイト」の演奏会の配信の際には、広上淳一さんの鍵盤ハーモニカと、アクセルロッドさんのピアノとの楽しげなセッションの様子も公開され、お二人の愛称の良さ、友情の深さを微笑ましく拝見することが出来ました。きっとお二人にとっても、京響にとっても、幸福な「首席客演指揮者」在任の3年間だったことでしょう。

● コルンゴルト : ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品.35
この協奏曲は、広上淳一さんのお気に入りのレパートリーということもあり、近年の京響定期でも2回採り上げられています。2013年3月の第566回定期(独奏:クララ=ジュミ・カン)と、2019年6月の第635回定期(独奏:五嶋龍さん)。

とろけるような甘美さと、うっとりするような陶酔感にあふれた曲想。口の悪い批評家などは「ハリウッドの協奏曲」と呼んで、こき下ろしたそうですが、昔も今も、「耳に親しみやすい曲=低俗な曲」という安直なレッテル貼りがはびこる、この界隈の敷居の高さ、気難しさを感じてしまうエピソードです。

今回の独奏者は、三浦文彰さん。京響の定期には、2014年1月の第575回以来の登場。小林研一郎さんの指揮で、メンデルゾーンのヴァイオリン協奏曲を披露してくださいました。当時は、まだ二十歳を超えたばかりの頃だったのでしょうか、その早熟な天才ぶりに驚かされたものです。

と、ここまで行数を連ねてきましたが、実のところ、ここ数日、微熱傾向が続いていたために服用していた解熱剤の影響で、ほとんど演奏の記憶が残っていません。おそらく、あまりの心地よさに、すっかり熟睡していたのではないかと思われます。本当に、もったいないことをしてしまいました。返す返すも残念無念…

● ストラヴィンスキー : バレエ音楽「春の祭典」
この曲も、京響の定期で聴くのは、これが3回目。2014年2月の第576回定期(指揮:秋山和慶さん)と、2019年11月の第640回定期(指揮:シルヴァン・カンブルランさん)。数年に一度は、オーケストラの力量をチェックし、新たに鍛錬し直すための格好の「教材」とも言える作品なのかもしれません。

過去2回の演奏では、指揮者のオーケストラをコントロールする卓越した能力と、その要求に十二分に応え得るオーケストラの機能性、連動性という、どちらかと言うと、テクニカルな面でのパフォーマンスに心を奪われていました。今回のアクセルロッド=京響の演奏も、第1部「大地礼賛」を聴いているところまでは、洗練されバランスのとれた、ロシア風というよりは都会的にさえ聞こえる明晰なサウンドに、「さすがの京響!」といった感じで聴き惚れていました。

ところが、第2部「生贄(いけにえ)」に入ったあたりから、私の印象にちょっとした変化が出始めました。乙女たちの中から「生贄」が選ばれていく過程の中で、断片的に聞こえてくる旋律の中に、哀しみ、痛みのような色あいが滲み始め…。過去2回までは、こういう細部の微妙な音色の変化を聴き取ることができなった分、自分なりに感じ入るところがありました。そして、クライマックスに至るまでの、凄まじいばかりのエネルギーの燃焼度。今回の演奏会が、アクセルロッドさんが京響のポストを離れる「ラスト・コンサート」という特別な思いが、指揮者&オーケストラ、双方の「リミッター」を外してしまったかのような大熱演でした。

ロシアに根ざす土着の荒々しさ、原初的な北方の呪術性、そして官能的なエクスタシーの境地、エロティシズムなど、本場ロシアの一流オーケストラなら、どんな「音」を出すのだろうか? かねてから気になっていた回答に迫るような演奏を、今回のアクセルロッド=京響は聴かせてくれたような気がします。過去2回の演奏を超えて、新たな地平を切り開いてみせた京響。オーケストラとしての高い成熟度、成長力を感じさせるものでした。

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アクセルロッドさんの3年間。氏からのメッセージにもあるように、2022年9月の第671回定期でのマーラーの交響曲第2番「復活」、2020年1月の第641回定期でのショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」など、大曲を採り上げてくださったことに感謝いたします。

任期後半はコロナ禍の影響が重なり、思うようなパフォーマンスを発揮、披露できなかったことに、若干の悔いが残るかもしれませんが、今日、こうして満員のホールでお送りできたことが、京都市民としても、京響ファンとしても、何よりの喜びです。こちらこそ、「おおきに!」の気持ちでいっぱいです。どうも、ありがとうございました。


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