人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

災害報道に見るメディアの報道の驕り・・・災害報道とネットのリアル

2019-09-12 04:30:00 | 時事/金融危機
 

■ 台風15号の最大の被災地は南房総地域 ■


鴨川市内 写真はネットより


南房総市内 写真はネットより


館山市内  写真はネットより

猛烈な風を伴った台風15号が千葉県を横断しました。

TVのニュースは組閣報道が中心で、台風に関する報道は、倒壊した市原市の送電鉄塔や、千葉市周辺の停電や断水の映像が中心。しかし、甚大な被害が発生したのは、館山市や南房総市や鴨川市といった、南房総地域の情報はほとんどされませんでした。

昨年の西日本豪雨に際して自民党議員が赤坂で酒宴を開いていて対策が遅れた事が問題になりましたが、(さらには麻原彰晃の死刑執行報道が重なった)、今回はマスコミ各社も組閣報道ばかりか、煽り運転報道などを垂れ流して、被災地の状況把握が出来ていなかった可能性が有ります。

房総半島南部では、停電や断水に加え、家屋が倒壊したり、折れた電柱が道を塞いだり、土砂崩れで道路が寸断されたりしています。多くの民家の屋根材が飛ばされ、応急処置用のブルーシートが足りない状況です。

停電と断水が続き、コンビニやスーパーにも商品が亡くなった為に、生活にも大きな支障が出ています。

■ 報道されない惨状を、SNSで伝えた南房総の人達 ■

当初、ニュースの報道は君津市や木更津市や東金市など、ニュースのクルーが行きやすい地域に限定されていました。報道各社は手っ取り早くニュース素材になる映像を撮影したいので、車で比較的容易に行ける地域の取材しかしません。

これに痺れを切らしたのが、被害の大きかった南房総に住む人達です。「何故、自分達の惨状が世間に伝わらないのか...」

彼らはSNSを使って被害状況の写真や、断水や停電の状況を活発に発信し始めました。さらには、どこに行けば携帯が充電出来るとか、どこに行けば自家発電でクーラーが効いているなどという情報も盛んに発信します。

一部の災害専門家や、情報の専門家が比較的早い時点で、この動きに着目しています。メディアが掬い取れなかった情報を、人々が自ら発信する時代の一つの典型として興味深い。


■ 亀田総合病院や、大規模ホテルの神対応 ■

9日の月曜日は電気も水も止まった状況で、35℃を越える酷暑が被災地を襲いました。高齢者などは命の危険を伴う状況です。

そんな中、鴨川市内の大規模病院の亀田総合病院は、SNSを通じて、次の様な情報を次々に発信しました。

1) 冷房の利いた病院内のパブリックスペースを市民に開放
2) 病院内のコンセントを携帯の充電用に開放
3) 病院内の風呂やコインランドリーの施設を開放
4) 病院内のコンビニを通じて飲料水や食料の供給
5) 病院の備蓄の飲料水などの供給
6) 病院内のWiFiを開放

これらの神対応はネットで一気に拡散されていました。

又、鴨川グランドホテルや、鴨川館や、ホテル三日月などの大型ホテルは、停電と断水の続く地域の住人に限り、ホテルの風呂を使える様にしました。この情報もネットを通じて拡散されました。

各公共施設も、携帯の充電サービスを行い、備蓄は配給を行っています。お寺も、本堂やトイレを開放した所があります。


■ 東電の責任を追及する記者会見には反吐が出そうだった ■


11日22時 東電発表の停電地域・・・朝日新聞ネットニュースより

現在も千葉市内を始め、県内の多く地域が停電し、浄水場なども停電で稼働出来ず、水道用のポンプも動かなくなった為、各地で断水が続いています。

鉄道各路線も未だ復旧していない地域が有ります。外房線は上総一宮から先が、内房線は君津より先が不通のままです。

昨日、夜、ネットニュースで東京電力千葉支社の記者会見の模様が放送されていました。記者達の質問を聞いているうちに胸糞悪くなりました。

彼らは「上から目線」で、「大規模停電の原因は何か」、「千葉支社の責任範囲はどこまでか」、「人的なミスは無かったのか」、「いつになったら復旧するのか」、「復旧を妨げている原因は何か」、「復旧活動に当たり作業員の人的被害は出ていないか」などと質問してゆきます。

質問される東電側も、企業などに対する補償の問題も有りますから、安易な回答は出来ません。当然、歯に物が挟まった様な返答に終始します。

これでは、視聴者は「東電に責任が有る」と錯覚します。このやり取りは、福島第一原発の事故の時に見た状況に似ています。想定を超える大規模な自然災害が起きた時に、インフラは当然壊れます。建築基準法が想定する風速は45m(沿岸部で60m)ですから、それを越える風が吹けば、壊れる可能性は高まります。では、風速100mを想定すべきかと言えば、経済的に無題が増えるばかりなので無意味です。


■ メディアの意味をはき違える記者達 ■

「原因は何か」など聞くだけ野暮ってもんです。台風の強風で送電鉄塔が倒れ、各地で電柱が折れ、倒木で電線が各所で寸断されているのすから、停電は当たり前です。

復旧が遅れているのも、被害の範囲が広範で、さらに高圧送電鉄塔の倒壊など甚大な内容も含まれているからに他なりません。

復旧の目途が立たないのも、かろうじて送電経路を確保しても、その先で様々なトラブルが新たに見つかるからに他なりません。

記者達は不機嫌そうに東電に質問を投げつけるのでは無く、先ずは不眠不休で復旧活動にあたる彼らの労をねぎらうべきでしょう。そして、彼らが如何にして復旧活動を実施しているのか、国民に分かる様に上手に質問をしてあがるべきなのです。

確かに視聴者の最大の興味は「いつ復旧するのか」「何が原因か」にあります。しかし、現場で復旧に当たる作業員の奮闘にも私達はきっと感動を覚えるはずです。

記者会見で東電を吊し上げる一方で、現場で風雨の中、復旧作業を取材するクルーがどれだけ居るでしょうか・・・。


メディアは「自分達が正義」である事を疑いません。「正義が悪を糾弾する」というシナリオに沿って取材し、報道します。


彼らは「絵になる素材を手っ取り早く手に入れて、他社に先駆けて報道する」事にしのぎを削ります。そこからは「リアル」が抜け落ちる事が在ります。今回も、台風のリアルを伝えたのはメディアでは無く、SNSに溢れる普通の人々の声でした。


誰もが携帯電話のカメラを常時持ち歩き、ネットに繋がる環境があれば、誰もが情報発信出来る時代に、「ヘルメットを被らされたリポーターを強風に晒す見世物」を未だに続ける既存放送局は、既に時代遅れの存在になりつつあるのかも知れません。



<追記>

TVの報道などは、「視聴者の興味」をバロメーターに配分を決定しますから、自分の身近で無い地域の台風に被害報道では視聴率は取れません。ただ、被害が大きく、報道映像バエが良い場合は、各社ヘリコプターを投入してまで映像確保にしのぎを削ります。

これは視聴率確保を使命とする民法各社では仕方が無い事と理解していますが、少なくともNHKは地方局も有るのだから、もう少し情報提供があっても良かった。

組閣に関しては、人命にただちに関わる事態でも無かったので、政府としては組閣を優先したと解釈します。野党には突っ込まれるかも知れませんが、致命的では無い。


結局、マスメディアは「マス=大衆」を相手にする事を使命にしているので、少数者や地域の動向を細かく報じる事が出来ません。

一方、「個の集団」が形成するSNSなどのネット空間は、個人レベルの細かな情報伝達に適しています。今回の南房総の被災状況も、ネット拡散によって私の目に留まる事となりました。

ところで被災地の真っただ中に居た娘はLINEで家内に「電気来てない、食べ物無い、洗濯できん」程度の情報しか寄こさなかった。

私が惨状に気付いたのは、父が入居している老人ホームから、入居者達が近くの病院に避難しているとの知らせがあったから。病院は自家発電が有りますからクーラーが効いていますし、電灯も点灯します。

マスメディアとネットの情報の性質の違いを明確にした今回の台風被害ですが、ネットの問題点は、情報を意図的に取りに行くか、或いは、ある程度の情報拡散があって検索サイトやSNSの上位に情報が浮かび上るまで、情報に触れる事が出来ない点です。


一概にネットが良いとか、マスコミがダメという話では無く、情報を受け取る私達が「補完」しながらそれらを利用する事が肝心なのでしょう。

田舎暮らし・・・雑感

2019-09-12 04:18:00 | 分類なし
鍛冶屋さんのコメントへの返答が長くて1000文字を越えてしまったので、記事にしました。


■ 台風で孤立した南房総は、SNSを通じて惨状を情報拡散した ■


鴨川市内・台風の強風でなぎ倒された電柱   写真はネットで拝借しました


台風被害、千葉県南部の惨状が凄まじいいのですが、メディアは君津や木更津辺りまでしかスタッフを派遣しないので、館山市、南房総市、鴨川市の状況が全く伝わっていません。

停電と断水が続いていて、スーパーやコンビニの商品も底を付いた状況で、住民達は、SNSで情報拡散を試み、自分達の窮状を伝えるという、まさにネット時代ならではの動きを見せていました。

■ 災害時における都会と田舎 ■

災害一つ取っても田舎は簡単に孤立してしまいますね。ただ、東京で同様の状況が発生したら、コンビニやスーパーの荷物は棚から持ち去られ、停電の暗闇でレイプなどの犯罪が多発するでしょう。(阪神大震災では起きたみたいですね)

「匿名の誰か」は、社会の規範が緩んだ時に、犯罪を犯すハードルが低くなります。一方、田舎など小さなコミュニティーでは、相互に助け合って急場を凌ぐ事が出来ます。

■ 田舎と一言で言っても、山奥の限界集落から、中規模の地方都市まで様々 ■

ところで、「田舎」と一口に言っても、私の想定する田舎は「地方都市」です。良く「田舎暮らし」の雑誌で紹介される様な「集落」では絶対に生活出来ないと考えています。やはり閉鎖的なコミュニティーによそ者は排除されます。

ただ、ある程度の地方都市でも、消防団に入ったり、町内会の活動に参加したりと、地域活動に加わらねければ、その土地の住民としては受け入れられないでしょう。

■ 「都会」とは元々ある「田舎」に圧倒的な多数の「よそ者」がオーバーラッピングしたもの ■

私の住む浦安の旧市街にも消防団も有りますし、町内会も有ります。昔からの住人はこれらに参加する事が当たり前ですが、アパートやマンションの住人は一切の関わりを持っていません。マンションなどは管理組合が自治会の代りとなっています。

東京の下町などでも旧住民は昔ながらのコミュニテーを維持していますが、圧倒的に多い新住人がこれらの存在を覆い隠しています。

「都会は自由」というのは、「都会に移住してコミュニテーに加わらない人の自由」ですが、一方で彼らは会社というコミュニティーに縛られ、ママ友の様な新たなコミュニティーを必死になって構築します。


■ 「仕事」を通じた地域貢献が田舎暮らしには必須 ■

都会のコミュニティーから逃げ出す様に田舎暮らしを始めた人の多くは「挫折」する可能性が高いと思います。

やはり世の中ギブ&テイクですから、移住した先の地域に何等かの貢献が出来なければ存在を認められ、コミュニティーに溶け込む事は難しいでしょう。

その意味において「仕事」は地域貢献の一つですから、やはり移住するにしても、老齢になってからでは無く、50代で移住する必要があると私は感じています。

ただ、地方に「仕事」が無い事が、多くの田舎暮らしを求める人を思い止まらせています。無ければ創れば良いえすが、そこまでの能力を有する人は希です。ただ、ネットの時代、リモートワーキングの拠点として地方都市を選択出来る時代になった事は希望ではあります。



劣化する「日本人」・・・当たり前の事

2019-09-10 07:59:00 | 時事/金融危機
 

■ 凄い台風でしたね ■

強い勢力を保ったまま関東地方に上陸した台風15号。各地で様々な被害をもたらし、首都圏の交通も大混乱。

私は、日曜日の昼間から、ベランダのゴーヤを泣く泣く片付け(強風で支柱ごとネットが飛ばされる可能性があるので)、バジルを刈り込んで(塩害で葉が痛む可能性が有る)ジェノバソースを大量に作って台風を待ちましたが、待てども待てども、それらしい気配は無い。一杯飲んで寝て待つ事数時間、午前2時頃に強烈な風の音で目覚めました。

北風だったので、ベランダの植物に大きな被害は有りませんでしたが、家の前のアパートの改修工事用の足場が、今にも崩れるのでは無いかという勢いで揺れていました。

いつもは、家の外に出て、台風の威力を「体感」しながら、台風を心の中で「エアレポート」して楽しむもですが、今回だけは、飛来物が怖くて外に出る気にもなれませんでした。

■ 台風の片づけをしない日本人 ■

翌朝の9時頃には、風も止み晴天が広がりました。

マンションの廊下やロビーやエントランスは、木の葉や濡れた段ボールが貼り付いて、酷いありさまでした。管理人さん一人で片づけて頂くのは酷なので、一緒に片付けました。・・・ところが、60住戸ある住人が一人も片付けに出て来ない。・・・自分の玄関前さえ片付け無い。

お仕事の方は仕方ないとして、「専業主婦」って何やってるのでしょう???

午後に仕事で都内に出て再び驚愕しました。商店街の歩道が街路所の葉でびっしり埋まっているのに、商店主も、大型店の店員も、誰も歩道を片付ける人が居ません。

・・・・日本人って、こんな国民だったでしょうか・・・。

■ 田舎では出来ていた事が、都会に出て来ると出来なくなる ■

私は自転車で千葉県の田舎に毎週の様に遊びに行きますが、街が汚れている所は有りません。シャッター商店街でも、街にゴミ一つ落ちていません。

田舎道で小学生や中学生とすれ違えば、かならず彼らは向こうから「こんにちは」と元気に挨拶してくれます。駅のホームですれ違う中学生男子ですら、挨拶してくれます。

田舎では「大人に会ったら挨拶する」「家の前にゴミが落ちていたら片付ける」というのは当然事で、それが出来ないと生きていけない。

ところが、田舎から都会に出て来た途端、近所の人に挨拶もしない、家の前にゴミが落ちていても拾わない人に成ってしまいます。

■ リアル社会の匿名化と規範の消失 ■

田舎では近所の目が有りますが、都会の住人は「匿名の誰か」です。これは、田舎の閉塞的な社会に辟易していた人には好ましい環境ですが・・・人は「匿名の誰か」に成った途端に「社会性」と「規範」を喪失します。

「匿名性」はネット社会の重要な要素ですが・・・だんだん実社会がそれに侵食されて来ている。

N党などに投票する人達が少なからず存在する昨今、「匿名性」が社会を内側から崩壊させていくのでは無いかという恐怖を感じる、台風一過の一日でした。


ネット時代は「監視社会」などと言われていますが、「リアル社会の匿名化」は、それよりも怖い事なのかも知れません。



<追記>

私は某テーマパークに仕事で行く事が在りますが、ゲストの前では満面の笑みを振りまくアルバイト達は、社員用ゲートの守衛の前をを無言で通り過ぎて行きます。挨拶をするのは正社員や外人ばかり・・・。

そんなアルバイト達も、敷地内を巡行するバスに乗る時には「お願いします」、降りる時には「ありがとうございます」と運転手に挨拶します。何故なら「決まり事」だから・・・。

「匿名性」の行きつく先は、「考える事の欠如」や「自発性の喪失」なのかも知れません。その方が社会は「管理」し易い。

乱立して「わけわからん」高齢者施設・・・裏技はあるのか?

2019-09-05 07:37:00 | 時事/金融危機
 

■ 老人ホームってこんなに高いの!! ■

介護について詳しい方で無ければ、「体が動かなくなったら老人ホームに入る」と漠然と考えているでしょう。

しかし、父の介護施設を探すにあたり、その種類の多さに戸惑いました。はっきり言って素人には「わけわからん」。


多くの人が、いざ介護施設を探す段になると、「老人ホームってこんなに高いの!!」と仰天する事になります。介護のレベルにもよりますが、入居一時金が無い場合、一般的には諸々の費用を含めて、一か月の支払いが20~25万円程度の施設が最低ランクです。


これはあくまでも「民間の介護付き有料老人ホーム」で、要介護レベルが1か2の場合です。介護レベルが上がれば、費用はもっと増えて行きます。


■ 特別養護老人ホームは直ぐには入れない ■

民間の介護施設は高いから、公的介護施設を探そうと考えるのは当然です。ところが、料金が比較的安い「特別養護老人ホーム」の入所資格は2015年の法改正で、要介護3以上。

「要介護3」というのはこんな状態です。

・身だしなみや居室の掃除などの身のまわりの世話が自分ひとりでできない。
・立ち上がりや片足での立位保持などの複雑な動作が自分ひとりでできない。
・歩行や両足での立位保持などの移動の動作が自分でできないことがある。
・排泄が自分ひとりでできない。
・いくつかの不安行動や全般的な理解の低下がみられることがある。


これは、誰かがサポートしなければ日常生活が送れない状態です。老人世帯などでは、自宅介護が難しい状態。

父の場合は「要介護2」でしたから、特別養護老人ホームの入所基準を満たしていませんが、仮に満たしていたとしても、大都市の近郊では長期間待たされる事が多い。5年も待ったなんてケースもざら。これは、緊急度が高い人から優先的に入所させる為で、一人暮らしの老人や、老々介護の世帯は当然優先されますし、介護レベルの高い人も優先されます。

特別養護老人ホームに入所を希望しても大都市近郊では直ぐには入れないと考えた方が良い。

■ 老健(介護老人保健施設)はリハビリと自宅での生活復帰を目的としている ■

「特養」の他に公的施設として「老健(介護老人保健施設)」がある事はご存知でしょう。老健の入所資格は65歳以上で「要介護1以上」の方です。これに該当される方は多いはず。

老健の目的は「リハビリによって回復し、自宅やその他の介護施設に戻れる様にする事」です。ですから、ある程度リハビリが進むと退所する事になります。これでは、介護施設を一つ多く経由するだけの結果となり兼ねません。(自宅介護は別)

■ サ高住(サービス付高齢者住宅)には注意が必要 ■

高齢者施設で最近特に増えているのは「サービス付高齢者住宅」(サ高住)と呼ばれる施設です。

「サ高住」は介護施設というよりは「バリアフリーの賃貸住宅」と考えた方が良いでしょう。

「サ高住」には二タイプあります。

1)一般形 60歳以上の自立あるいは経度の介護を必要とする人
      外部の介護サービスを利用する
      月額 5~25万

2)介護型 常駐スタッフが介護サービスと提供
      「特定施設」の認可が必要
      月額 15~45万

金額に開きがあるのは民間の賃貸住宅と同じで、建物が立派で立地が良ければ高くなり、逆は安くなります。介護型が高いのは、介護サービスの料金が含まれているからです。

一般形は「住居の提供」と「見守り」と「高齢者の生活相談」がメインのサービスで、これに食事の提供などが追加される場合もあります。介護サービスは、外部の介護サービスを居住者が任意で選んで利用するので、高齢者向けの賃貸住宅だと考えれば良い。

介護型(特定施設)は契約した介護サービス事業者が介護にあたり、食事や生活のケアーを提供します。介護職員が夜も常駐して、機械浴などの設備も有しているので、「介護付有料老人ホーム」との差は分かり難い。

「介護型のサ高住」は一般的には介護付き老人ホームよりも5万円程度費用が安いと考えれば良いでしょう。ただ、「住宅」なので、痴呆老人を集めてレクリエーションを毎日行う様なサービスは行われていません。(これは痴呆の進行を抑える為のレクリエーション)

介護職員の数も介護付有料老人ホーム程は充実していないので、夜中のトイレの介助が間に合わなくて転倒し骨折する危険性などは高まります。


■ 介護スタッフの負担が大きい「サ高住」 ■

最近、何かと悪い噂の多い「サ高住」。

1) 不動産業など異業種が参入して、介護サービスや訪問介護をテンコモリにして儲ける
2) 少ない介護職員で運営する為、職員のストレスが溜まり、虐待などが起きる
3) 同様に職員が少なく目が行き届かないので事故の発生率が高い
4) 介護職員が少ない施設では、要介護度が上がると退去しなければならない

この様な問題点が指摘されています。横浜で高齢者を介護職員が転落死させたもの「サ高住」です。

施設によっては、様々なレクリエーションを企画するなど、入居者に評判な施設も有る様なので、「サ高住」が一概に悪い施設と言う訳ではありませんが、施設選びに際しては注意が必要です。

知り合いは、「入居している高齢者が笑顔かどうか見れば、良い施設かどうかが分かる」と話していました。

私は職員の表情で判断しました。死んだ様な疲れ切った表情の職員が多い施設はヤバイ・・・。


■ 「介護療養型医療施設」 ■

あくまでも治療目的の医療機関とされていますが、認知症患者などを受け入れており、長期間(或いは亡くなるまで)居続ける事も実際には可能なので、糖尿病など慢性疾患を持った患者の介護施設とも言えます。

原則は、あくまでも治療が終われば退院なので、退所を強要される場合もあります。さらに、急性疾患の治療をしない施設も多いので、心不全や脳梗塞などになれば、他の病院に転院せざるを得ない施設もあります。

本来は、慢性疾患が悪化した後の「看取り」(ターミナルケアー)の施設であるハズが、ホテル並みの内装で高級老人ホームの様な雰囲気で高齢者を「集客」している病院もあります。

「介護療養型医療施設」はあくまでも医療施設なので、介護サービスは介護付有料老人ホームなどに比べ格段の劣ります。

例えば、介護付有料老人ホームの介護体制が一人の介護職員に対して要介護者が3人が最低限度(3:1)なのに対して、介護療養型医療施設は介護職員の割合は5:1です。看護職員が居るので、この割合が全てではありませんが、介護療養型医療施設はあきまでも生活の場では無く、治療の場と捉えるべきです。

介護療養型医療施設は慢性患者を囲い込み医療費を垂れ流すとの指摘から2017年に廃止が決定され、介護医療院という施設に段階的に転換されて行きます。元々、法の隙間を狙った様な施設なので、弊害も有るのですが、慢性疾患のある痴呆老人の受け皿として確実にニーズが有る事も確かです。


■ 複雑過ぎて分からない介護施設 ■

代表的な介護施設だけを簡単に紹介しましたが、この他にも「グループホーム」だとか、「ケアハウス」だとか「高齢者住宅」など様々な施設が乱立しています。

「利用者の懐具合に合わせて選択できる」と言えば聞こえが良いのですが、「高齢者を様々な業者が食い物にした結果」というのが私の率直な感想です。


高齢の親が倒れたり、痴呆が急速に進んだりして探し始める事の多い介護施設ですが、ネットなどの紹介サービスを利用しても、その違いがイマイチ理解出来ません。

結果的に、「料金」「サービス内容」「家から近い事」を優先して施設を選ばれる事がほとんどだと思います。

せっかく介護施設に入所しても、介護の体制によっては要介護度が上がって退出をせまられるケースも有ります。介護度に応じて安い施設から、高い施設に移るというのは経済的には正しい選択かも知れませんが、環境が変わる事で高齢者に与えるストレスは非常に大きい。

出来る事ならば、同じ施設で亡くなる寸前まで(死亡する時は病院というのがほとんどのケース)生活できる事が理想です。



■ 地方という選択肢 ■


東京近郊では本格的な超高齢化を前に、そろそろ「適当な介護施設」が不足し始めています。その穴を埋める様に「サ高住」の様な問題のある施設が増えています。

一方、地方に目を転じると、高齢化のピークを過ぎた地域が出て来ました。四国の一部や東北の一部で高齢者が減って、特養に空床が出て来たのです。

従来は介護保険・医療保健は地域内で完結していました。ですから、高齢者の多い地域では介護保険や医療保健の財政が非常に悪化します。老人ホームが空いているからといって、他地域の高齢者が地方の老人ホームに住民票を移して入所すると、地方の介護保険や医療保健が破綻します。

そこで法改正によって、従来住んでいた地域に住民票を置いたまま、痴呆の老人ホームのサービスを受けられる様になりました。介護保険や医療保健は住民票の在る地域のものを利用します。これなら地方に負担は掛かりません。地方の特養などでは、地域外の人の入所枠をある程度確保している所も少なく無い様です。

ただ、地方は介護付有料老人ホームが少ないので、気に入った地域に、気に入った民間の有料老人ホームが有るか・・・・これが最大の問題となります。(特養は直ぐに入所できるとは限らないので・・・)



都会の不動産を処分して、環境の良い地方の民間の有料老人ホームに入り、美味しい空気と景色を満喫した後に、介護レベルが進んだら、その場所の特養に入所する・・・。そんな選択肢も悪くは無いと考えています。


実際に父は、娘の住んでいる地域のホームに入る事になりました。入所して1週間後に覗きに行くと、楽しそうに麻雀卓を囲んでいました。


老後の生活を満喫するボケ老人と、出費の大きさに苛まれる母・・・・。人生、ボケた者勝ちという事でしょうか・・・。



本日は、私の介護施設を巡った経験から、簡単に高齢者施設について書いてみました。













介護保険は既に破綻している・・・増えすぎた老人問題

2019-09-02 06:09:00 | 時事/金融危機
 

本日は少々不謹慎な内容も有るので、不快に思われた方は読むのを止めて下さい。



■ 「増えすぎた老人」問題 ■

「少子高齢化」とか「超高齢化社会」という言葉を聞くようになって久しいが、これは問題の本質を見え難くする言葉です。

私は「過剰老人社会」とか「増えすぎた老人問題」と言った方が問題の本質が見え易くなると考えます。例えば、自然界で鹿が増え過ぎて山林を荒廃させれば「鹿が増え過ぎた」と表現されます。同様に、今日本の社会を脅かしているのは「増えすぎた老人」だという認識を国民は共有すべきです。


■ 高齢者への過剰な医療サービスが「増えすぎた老人」問題の元凶 ■

では何故日本で老人が増え過ぎたのか、その原因は高齢者に対する手厚い保険医療です。

欧米の先進国では高齢者が癌になっても内服薬の処方程度に留め、癌が進行すれば緩和ケアーが治療の中心になります。

痴呆の高齢者が自分で食べ物を食べられなくなっても胃ろうなどの強制的な栄養供給はせずに、徐々に衰弱死する事を「天寿」と捉えています。胃ろうは「老人虐待」と考えられています。

高齢者の肺炎も同様に、抗菌剤による治療は控えられます。自己免疫が低下しているので、抗菌剤で一時的に回復しても、又直ぐに肺炎を起こすからです。一方、抗菌剤の投与は高齢者に苦痛を与えます。

この様に「天寿」という概念が確立している先進国の多くで、過剰な高齢者医療は控えられています。ところが、日本においては高齢者は保健医療で手厚く保護され、天寿を越えて生かされるケースが多い。

■ 「負の連鎖」を加速させる「増え過ぎた老人」 ■

年金や介護保険に限らず、高齢者の増加は若者の生活や、日本の成長力の重しになっている事は高齢者も理解しています。

一方で「増えすぎた老人」が高齢者自身の生活を脅かしている事には気づいていません。実は介護保険制度は年金制度よりも先に破綻し始めています。

1) 介護保険料の自己負担は2015年の改定で1割から2割に増えた
2) 特別養護老人ホームの入所資格は2015年の改定で要介護1以上から3以上になった

高齢者も負担する介護保険ですが、受給者の増加によって自己負担が増え、一方で受けられるサービスが制約され始めています。

寝たきりの要介護4や要介護5の方の介護は手間が掛かります。これはお金が掛かるのと同義です。結果的に寝た切りの老人が増えれば増えるだけ、介護を必要とする軽い痴呆や、歩行困難な高齢者へのサービスが減らされて行きます。

介護保険の自己負担率は今後3割になるでしょうし、要支援や要介護1や2の高齢者への介護サービスの質は低下する事は確実視されています。

福祉先進国と言われる国々では、ほとんど寝たきりの高齢者が居ません。寝たきりになる前に老人が亡くなるからです。これは、高齢者への無駄な医療を控えた結果です。結果的に、寝たきりになる前の高齢者のライフクオリティーが向上します。

日本の医療介護制度は、この逆です。寝たきりや、回復の見込みの無い患者への医療介護負担が、普通の高齢者の生活を脅かしています。

■ 「医者の使命は患者を救う事」という錯覚 ■

「病院は急性期の治療が済むと追い出される」・・・最近、同年代の知り合いと話していて良く会話の登る話題です。

高齢者医療の財源もキビシクなっていますから、病院経営も当然キビシクなっています。急性期の治療は高額な医療が期待出来ますが、回復期の治療は割りが合わない。それならば、急性期の治療が終わった患者は、さっさと退院させたい・・・これが病院の本音です。経営の問題ですから私はこれが悪いとは思いません。

問題は、後期高齢者が入院して来ても「治療」してしまう点に有ります。経営的に「治療=利益」になるからです。倫理的にも「医者は患者の命を救う存在」というナイーブな通念に日本の医者は未だに縛られています。

■ 「痴呆」と「寝たきり老人」を量産する日本の高齢者医療 ■

医療保険の制約によって、中途半端に治療された高齢者が介護施設に押し付けられるケースが増加しています。

1)自力で歩行出来ない高齢者が介護施設に入所する
2)個室で一人で生活する時間が多いので痴呆が進行する

こうして、介護施設に寝たきりの痴呆の老人が溜まって行きます。


■ 個人に「選択肢」は無かった・・・ ■

日頃、「老人が増え過ぎた」と考えている私ですが、先日父が骨折した際に「患者側には選択肢が無い」事を痛感しました。

6月の末に、道で転んで腰の骨を二か所骨折しま父ですが、男性には珍しいのですが、骨粗鬆症が進行していた。

近くの整形外科に救急車で運ばれ入院する事となりましたが、直ぐにソーシャルワーカーの方に「自宅で介護出来なれば直ぐに介護施設を捜して下さい」と言われました。

病院の治療計画は、入院治療の機関は2か月でした。点滴により骨粗鬆症の治療(多分、破骨細胞の働きを抑制する薬?)と、簡単なリハビリで退院となります。「84歳では回復期のリハビリ無理でしょう」と言われました。要は「車いすの生活になります」宣言。

実家は外出には階段移動を伴うので、歩行が困難になるとデイケアなどの利用が出来ません。仕方なく、有料老人ホームを捜す事となりました。

「寝たきり」の原因は突然訪れますが、家族に選択肢は殆ど有りません。在宅介護が不可能な場合は、短期間で介護施設を捜す事に忙殺されます。

本質的には老人が減れば問題は解決すると分かっていながらも、個人の問題としては「治療しないで下さい」とは言えないし、「自宅でオムツを当てて寝かしておきます」とも言えない・・・。

そして「老人ホームに入れるならば、同じ金額ならば少しでも環境やサービスの充実した施設を選びたい」と考えるのも人間の性。自宅で介護してあげられないという負い目も有ります。


■ 驚異的な回復力で老人ホーム生活を満喫する父・・・ ■

ところで父ですが、2か月経って退院する時には、杖も突かずにトコトコ歩いてました。これには病院も老人ホームもビックリです。一人で勝手にトイレに行くので、ホームは手を焼いている様です。


入所して1週間が経つので老人ホームに様子を見に行くと、楽しそうに麻雀をやってました・・・。「ああ、もったいな、このハイを捨てなければ役だったのに!!」なんて楽しそうにしています。

入院前まではボケていたのに、入院後はすっかり頭もシャッキリしています。「車椅子、レンタルと購入のどっちが良いかな」って聞いたら・・・「オレは歯も全部自分の歯だし、胃腸も丈夫だからあと10年は生きると思うんだ。レンタルだと結果的に高くなるから購入の方が良いかも知れない。」と言い出した・・・・。どこがボケているんだろう・・・。

自分でスタスタと杖も無く歩いているから、車椅子は不要になりましたが・・・・オヤジ、オレよりも長生きしそうだ・・・。


これが究極の「高齢者問題」かも知れない。