■ 反対の視点から見ても、正論を述べている武田先生 ■
本日の武田先生のブログを全文引用します。
<引用開始>
原発を再開し、または新設できる条件
福島原発事故の一つの原因が「地元に交付金(危険手当)をだしたこと」である。日本社会は「誠実、真面目」と思っていたが、よくよく考えてみると「乞食社会」でもあった。原発は安全という御札を床の間に貼って、首相から市長まで偉い人はすべて「原発は安全」と言い、本当は危険だから僻地に作って消費地まで延々と送電線を引き、地元に危険手当を出してなだめてきた。
危険手当を出すぐらいだから、危険なのに決まっている。地元も危険を承知で危険手当を貰ったのは間違いない。安全なのに危険手当を貰うということになると、乞食というより詐欺になる。
でも、このようなことが原発の安全議論をおろそかにし、事故を起こした。事故が起こってみると、交付金(危険手当)を貰っていないところも被害を受けることが明らかになった。このような不合理で不真面目な制度を残しておくとまた事故が起こるのは間違いない。
「原発を安全にする」というのは、1)耐震・耐津波設計をする、2)日本の気候風土にあった原発を設計する、3)御札主義を止めて事実を元に判断する、4)救命ボート(非常時の通報、避難、救助のシステム)を備える、5)被曝と健康の関係をハッキリさせるか1年1ミリの予防原則を堅持する、などが必要であるが、それに加えて社会システムの整備も大切だ。
まず、1)現在行われている地元への交付金、補助金の類を全廃すること、2)原子力基本法に定められた「自主民主公開」の原則を厳格に実施する、3)原子力安全委員会・同安全委員会の独立性を確保する(今の二つ委員会のメンバーは辞職し、あるいは傷害罪で取り調べが必要)、などを行い、「世界で初めて日本が通常運転時の事故を行った恥」をそそがなければならない。
・・・・・・・・・
もう一つ、これは機会を見て再度、取り上げたいが「推進派、国民一般、反対派」のいずれもが「アウトロー的な言動」を避けるということだ。原発を進めるかどうかは日本人、特に子供にとって大切なことだから、思想でものを言うことを後退させて、真摯な議論をしなければならない。
日本人の多くが原発に不安を持ち、同時に電気も必要と感じている。だから、その現実を直視して、「絶対推進」でも「絶対反対」でもなく、なにが問題なのか、どうしたらよいのかを前向きに議論するべきである。
少なくとも、「地震が起こらない外国では1つも破壊されていない」、「震度6では100%破壊した」という現実をよく認識することだ。チェルノブイリもスリーマイル島の原発事故も通常の運転をしている時ではない。その意味で、まずは事実を見るということにもっと力を注がなければならない。
東電が自分で放射性廃棄物をまき散らし、被害を受けたゴルフ場に対して屁理屈をこねて裁判に勝ったりしているので、ますます国民は原発から離れるだろう。電力会社はこれまでズッと威張ってきたから頭の下げ方を知らないのは仕方が無いが、このままでは国民はほとんど全部が電力を指示しなくなる。
(平成23年11月29日)
<引用終わり>
上の文章の赤字は私が勝手に赤字にしました。
この武田先生の文章一つ取っても、受け取る人が「何を信じているか」によって
180度異なる見解を持つはずです。
私の様に「低線量率の放射線に害は無い」とい視点で
悪意を持ってこの文章を読むと、
次の4つの項目が気になったりします。
1) 放射線と健康の関係を明らかにすべき
2) 明らかにならない間は、年1mSvを堅持すべき
3) 地震が起こらない外国では1つも破壊されていない
4) 震度6では100%破壊した
これを人力流に翻訳すると、
「地震国日本では1(mSv/年)というICRPの国際規約に則った原発運営は不可能なので、
放射線と健康の関係を明らかにすべきである」
となります。
反原発の騎手と思われている武田先生は、
「放射線はそれ程危険では無い」という意見の私達から見ても、
意外と正論を述べられています。
本日はちょっと意地悪な引用のし方ですが、
「放射線は本当に怖い」と思いこんでいると、
意外に真実を見落とすのではないでしょうか?
↓もう記事にされていらっしゃったら失礼します。
最近、"東京原発 (2004)"と言う映画をビデオで見ました。
役所広司氏演じる"困った"知事さんの思い付きで、東京都心に原発を
誘致しよう!ってお話。
話中、東大の原子力の権威(?)と言う、一見トンデモ教授が出て来ますが、
登場時の雰囲気とは違い、学者然として淡々と"原子力"の実情を語ります。
序盤のオチャラケムードとは裏腹に、知事さんの本意は地方に"厄介者"を
押し付け無関心を決め込んでいる都民の目の前に原発を持ってくる(計画を
発表する)事で、世論を巻き込んで原発行政の矛盾や無策を曝け出す事でした。
自分などには武田先生の御本意は計りかねますが、世の中の秩序は"法律"
で決められているのであり、"科学"的に何を証明しようとそれを法制化しなけ
れば、運用するわけにはいかないと言う事ではないでしょうか。
問題は、その法を定める根拠が誰の利益なのか・・・本当に人民の事を憂いて
おられる"科学者"さん達は、歯痒い思いをなさっているのでしょうね。
「LNT仮説」は神学論争と同じです。
「神」の存在は確認されないが故に、否定も出来ません。
科学は存在する物も証明出できても、
「非存在」は証明できないのです。
「神の不在」を科学的に証明出来ない事は容易に理解出来ます。
だから「LNT仮説」は科学的に葬れないので、
武田先生は「LNT仮説を守るがが故の自壊」という
高等戦術を取られているのだと私は期待しています。