かねてから何度も書いていますが、
文化庁のメディア芸術祭はアニメや漫画の商業作品を
正等に評価するという意味において、
世界に類を見ない素晴らしい賞です。
これを民間では無く、
「文化庁」という政府機関が運営している事に
驚きを禁じ得ないと共に、
毎年その受賞作品の一覧を見る度に
私の税金も無駄ではなかったとの思いをかみ締めます。
本年度の受賞作品が発表されています。
http://plaza.bunka.go.jp/festival/2011/pdf/111215_award_detail.pdf
アニメ部門の最優秀賞はやはり「魔法少女まどか☆マギカ」が受賞しました。
当然です。この選考結果に異論がある人は
私が一晩掛けて説得してみせます!!
さてさて、寸票を見てみましょう。
<引用開始>
【作品概要】
平凡な中学生の鹿目まどかは、ある日不思議な夢を見る。翌朝登
校すると、夢で見た少女・ほむらが転校してくる。戸惑うまどか
にほむらは意味深な言葉をかける。その放課後、まどかは「魔女
の結界」に迷い込んでしまい、絶体絶命のピンチを魔法少女マミ
に助けられるのだった。やがて知る「魔法少女」という存在の真
実。時間と人間模様が複雑に交錯する舞台で、真実に触れたまど
かが取る選択とは?
【贈賞理由】
昨年に続くテレビシリーズの大賞だ。今回は漫画・小説の原作も
のではなくアニメ用オリジナル作品という点が高く評価された。
アニメでは定番の「魔法少女もの」の設定を逆用し、観客が信じ
るジャンルの根幹さえゆさぶる批評的なワナを巧妙に仕掛けた意
欲作だ。可愛く見える生物キュゥべえは、願いの実現と引き換え
に魔法少女となって魔女と戦う「契約」をもちかける。「願望」
に潜む恐ろしさとそれを超える「奇跡」の感動……いずれも人の
心が生むものであり、表裏一体となっている。1週間経たないと続
きがわからないテレビ放送の「メディア特性」を徹底活用し、心
のせめぎあいのエスカレーションを美しい映像とともに極めて
いった。本作品には、何かを変えてみたいという変革のエネル
ギーが満ちあふれている。時代を変える触媒となる期待をこめ、
大賞を贈る。
<引用終わり>
やはり選考者もこの作品の「前に進もうとするベクトル」を評価してます。
・・・ところで、漫画部門の優秀賞に清水玲子の「秘密」が選ばれています。
死者の脳をスキャニングして過去の「視覚」を再現し、
犯罪捜査に役立てるという設定の作品です。
主観が存在しない「純粋な視覚」は、見る者によって様々な解釈が可能です。
「他人の隠された生活を覗き見る」という良心の呵責と戦いながら
捜査員は「視覚」に秘められた謎に迫ってゆきます。
ちょっとボーイズラブ的要素も含まれるこの作品に
賞を与えた選考者の勇気に拍手を送りたいと思います。
ちなみに今年度のアニメ部門の受賞作品(商業作品)は、
大賞魔 「法少女まどか☆マギカ」新房 昭之(監督)
優秀賞 「鬼神伝」 川
「魔法・・・」の冠やそれっぽい絵で敬遠しちゃってましたが、いやこれは面白かったです。
たしかに映像は前衛的なのかもしれませんが、話の流れはしっかりしているし、むしろ
ありがちな展開・ラストではなかったでしょうか。
黒猫氏言うところの"オ○ニー作品"のような「ピンドラ」なんかより、よっぽど楽しめました^^)。
10年に1本の作品ですから、大人の鑑賞にも十分堪えられるクオリティーを持っています。
前回この記事をアップした時に頂いたコメントに」詳しいのですが、この作品はギャルゲー作家の虚淵玄の脚本が先行し、さらに魔女との前提的な戦闘シーンを作成した作家集団イヌカレーの作画を待ってから、本編が作られるという体制だった様です。
監督の「新房 昭之」は、「化物語」や「荒川アンダーブリッジ」や「それでも町は廻っている」など、当代きっての人気監督ですが、「ピングドラム」の幾原邦彦の影響を大きく受けています。
「まどか☆マギカ」や幾原邦彦の代表作「革命少女ウテナ」が「ピングドラム」よりも安心して見れる理由に、既存のジャンルを下敷きにしているという点が挙げられます。
「まどか」は基本的には「魔法少女物」や「戦闘少女物」と呼ばれるジャンルを踏み台にして、そのフォーマットを破壊する事で視聴者を強く引き込みむ事に成功しています。
「ウテナ」は、少女マンガや、少女向けアニメの大量に積み重ねられた文化の、共通項を下敷きにする事で、一見ムチャクチャに見える演出が拡散してしまう事を、このジャンルの重みが生み出す重力によって繋ぎ止めています。
一方、「ピングドラム」は「演出の革新性」に主眼を置いた為に、主題が見え難くなっています。尤も、主題自体も「愛による自己犠牲」という割りと平凡なものなので、驚きに欠ける事も事実です。鍛冶屋さんも指摘されていた「ピングドラム」に底通する「ベトッ」っとした感じは私も気になります。前衛演劇などを見ても同じ様な感じを受ける事が多く、これは「演出過剰」で物語が自分の力でドライブしない作品に対して感じる感覚なのかも知れません。