
■ 辞めちゃうぞ詐欺?・・・「風立ちぬ」のてこ入れ? ■
宮崎駿作品程、日本人に愛されるアニメはありませんが、その宮崎監督が引退宣言をしたと話題になっています。実は宮崎監督は長編映画を作り終わる度に、「もう辞めたい・・」と口にするクセがあります。
86年「ラピュタ」→宮崎、コケて引退をほのめかす
92年「紅の豚」→宮崎「やりたいことはやった。アニメはもうおしまい」
97年「もののけ姫」→宮崎「これを最後に引退」
04年「ハウル」→宮崎、情熱がもてなくなったと引退を示唆
13年「風立ちぬ」→NHKトップニュースで引退報道
多分、ご本人は長編を一本製作する度に、精魂尽き果てて、創作意欲を使い果たしてしまうので、いつも「もうオシマイ」と口にするのでしょうが、その内に、創作意欲が回復したり、スタジオジブリの若者の不甲斐なさに奮起して、復活を繰り返しているのだと思います。
一方、『もののけ姫』の時の引退騒動は多分にヤラセ臭い感じがしてなりませんでした。メディアも大々的に煽ったので、結果的には映画の興行成績を押し上げた感が否めません。
スタジオジブリは結局は宮崎駿の個人商店なので、宮崎作品意外の興行成績は振るいません。「アリエッティー」が頑張りましたが、あれは弟子が宮崎作品を模倣したから成功したとも言えます。そんな、宮崎商店ですから、定期的にヒット作を送り出して経営を安定させる為には、宮崎氏が老体にムチを打って陣頭指揮をするしか無いことも事実でしょう。
今回はNHKニュースのトップになるくらいですから、流石に後には引けない感じですね。年齢的にも72歳という事で、長編映画の監督は、やはり体力的には限界なのかも知れません。
ベネチア映画祭が「辞めちゃう詐欺」に引っ掛かる事は無いと思いますが・・・・。
■ 『風たちぬ』は絶対に見ないと決めている ■
「喫煙シーンが多い」と思わぬ批判にさらされている『風立ちぬ』ですが、私は絶対に劇場で観ないと心に誓っています。
これには深い訳があります。
先日、新海誠監督の『言の葉の庭』を船橋ららぽーとのTOHOシネマズに見に行った時の事(一回家内と新宿で観て、2回目、娘を連れて船橋へ・・・)、何と『言の葉の庭』の本編が終わった後に、『風立ちぬ』の予告が始まりました。
映画の後の余韻に浸っている時に、別の映画の予告が始まるなんて前代未聞です。TVの金曜ロードショーならともかく、お金を払って映画館に足を運んだ観客への冒涜に近い行為でうす。
私は直ぐに席を立ってしまいましたが、映画館の無神経さに腹が立って、映画の感動も薄れてしまいました。余程、映画館に文句を言おうかと思いましたが、アルバイト相手にクレームを言っても始まらないので思いとどまりました。
宮崎作品は確実な集客が見込めるので、映画館もテコ入れしたい気持は良く分かります。しかし、映画の本編の後に、別の映画の予告を流す様な事は、映画に携わる人ならば許されないという事くらいは理解しているハズです。
それでも、それを実行してしまう原因は、「宮崎作品なら観客も喜ぶだろう」という、映画館側の勝手な思い込みがあるのでしょう。確かに、上映前のアナウンス、「本編終了後に、宮崎駿監督の最新作、『風立ちぬの』の特別予告を上映いいたします。」と言っていました。映画館側としては、アニメ映画ファンへのサービスのつもりだったのかも知れません。
実は、後日、娘が友人と『言の葉の庭』を、もう一度、船橋ららぽーとに見に行った時には、予告は本編上映前に変更されていたそうです。クレームでも入ったのでしょうか?
そんなこんなで『風立ちぬ』は絶対に見ないと決めています。(八つ当たりですが・・)
同意見の方は多い様です。
http://togetter.com/li/516661
さすがに避難が殺到した様で、TOHOシネマズも予告を本編前に変更した様です。でも「お知らせ」では無くて「お詫び」と記述するべきでしょう!!(怒)
https://www.tohotheater.jp/news/info00000265.html
■ そもそもジブリのブランド志向が気に入らない ■
表現者としての宮崎駿は尊敬しています。
しかし、宮崎駿を神格化して、ジブリブランドを妄信する世間の風潮は大嫌いです。
芸術は若い才能を見つけ出すのが楽しいのであって、巨匠を持ち上げる風潮は、実写映画であっても好きにはなれません。これは、興行側のリスクヘッジであって、観客の得にはなりません。
本来、メディアは新しい才能を発掘して、世間に宣伝する責務を負っているはずで、それを怠って、巨匠の劣化した作品を持ち上げても、若い表現者達の活躍の場を奪い、業界の衰退に繫がりかねません。細田守や、新海誠といった、ポストジブリの監督達の活躍が注目される昨今、いつまでもジブリ、ジブリと騒ぐマスコミに辟易しているだけかも知れませんが・・・。
私個人的には宮崎作品は『紅の豚』以降はあまり興味がありません。『崖の上のポニョ』は、老人とは思えない表現の若々しさに驚きますがそれだけの作品とも言えます。
『紅の豚』は評価の分かれる作品ですが、私は宮崎駿の「素」の部分が、最も素直に表現されていて大好きな作品です。見ていて楽しい。
■ 市場を震撼させるジブリの法則 ■
ところで「市場」にはジブリの法則という、恐ろしいジンクスがあります。
「第一金曜日にジブリ映画がTVで放映されると、相場が下落する」という法則です。
第一金曜日にアメリカで雇用統計の速報値が発表さいれるのですが、ジブリ映画が放映された時は、何故だかネガティブな内容となって市場が下落します。
6日の金曜ロードショーは『ウルヴァリン』が放映予定でしたが、宮崎駿の引退宣言を受けて、急遽、日本テレビが『紅の豚』に変更しています。これを受けて、市場関係者は戦々恐々としている様です。
単なるジンクスではありますが、確率的には高率なので、やはり無視は出来ないのでしょう。
いずれにしても、何かと人騒がせな宮崎監督であります。
<追記>
ところで気になるジブリの後継者問題。
あまりに強い宮崎氏のキャラクターは、後継者の芽を摘んで来た事は周知の事実で、息子の吾郎氏(『ゲド戦記』や『ココリコ坂』)ではいかにも力不足。
「大人も子供も安心して楽しめる作品」というジブリブランドに最適なのは、『サマーウォーズ』や『おおかみ子供の雨と雪』の細田守監督ですが、『ハウルの動く城』でジブリにさんざんな目に合わせられた細田監督が引き受けるとも思えません。
不思議な事に、『エヴァンゲリオン』の庵野監督は、『風の谷のナウシカ』に参加して以来の宮崎監督のお気に入りで、「巨神兵」のシーンを担当しました。今回の『風立ちぬ』では、何と庵野監督が主人公の声優を担当しています。先般の『エヴァンゲリオンQ』と同時上映された庵野監督の実写映画『巨神兵東京に現る』の製作はスタジオジブリでしたから、ジブリと庵野監督の急接近は大変気になる所。
そもそも宮崎駿の本質は「破壊衝動」であり、ナウシカの巨神兵のごとく、腐れ切った現代社会を焼き払いたいという欲望を今でも強く抱いています。アニメというジャンルが子供向けという規制を自分に掛ける事で、「良い子のジブリアニメ」を作り続けていますが、それでも「破壊衝動」はチョコチョコと顔を出します。
宮崎監督としては、自分の破壊衝動を、ストレートに『エヴァンゲリオン』で実現した庵野監督は愛弟子というよりも分身みたいなもので、『風の谷のナウシカ』の続編を庵野監督に取らせたいと思っている節があります。
鈴木プロデューサーとては、息子の吾郎氏を上手に育てて、スタッフのサポートの元でジブリブランドを守りたいのでしょうが、やはり作家性の点で観客を引きつける事は難しいでしょう。
今回、宮崎監督が早々と引退宣言をした背景には、自分の影響力が強いうちに庵野をジブリに迎え入れ、ライフワークとも言える「本当のナウシカ」を完成させたいと思っているに違いありません。
「良い子のジブリ」が「破壊の創造紳になった!!」というインパクトで世間をア!!と言わせるイタズラ心を、宮崎監督が抑えられるとも思えません。
この秋に高畑勲監督が『かぐや姫』を公開して、高畑氏はジブリを去ると思われます。平和主義者の高畑氏がジブリに居る限り、「本当のナウシカ」を製作する事は不可能でしょう。
私達の様に、ナウシカ以降、本当の宮崎作品の出現を密かに期待しているネジレたファンにとっては、庵野ナウシカは、絶対に見たい一本ですが、ジブリはそれと同時に多くのファンを失うでしょうから、鈴木プロデュサーの判断に掛かっているのだと思います。
願わくば、『風立ちぬ』と『かぐや姫』がコケて、ジブリがなりふぃり構わず「庵野ナウシカ」で勝負を掛けざるを得ない状況が訪れる事を・・・・ゲフンゲフン・・・。
さて、「庵野ナウシカ」が実現したとして、はたして名作になるかと言えば・・・。多分、壮大に空回りした駄作になる事でしょう。時代は『ナウシカ』や『エヴァンゲリオン』の時代からは進歩しており、私としては『ガッチャマンCroews』で新境地を目指すタツノコプロの復活の方が興味深い・・・。
そうですか、人力様はナウシカの原作を最後までお読みのようで、なかなかの思い入れとお見受けします。
小生も全巻を読んではいますが、文明論としてはいささか浅く、中途半端と思います。
お伽話の面白さと舞台設定の壮大さと何とも言えない懐かしさ誘うバランスの取れた作品が、氏の真骨頂ではと思っております。
その観点からは、「ラピュタ」「魔女宅」「もののけ」「トトロ」「千と千尋」まででしょうか。
残念ながら「あかブタ(紅豚)」はカッコつけ過ぎて願い下げと。
muffさんが挙げられた作品が、バランスも良く一般的評価も高い作品だと思います。
私は、ちょっとイビツな作品が好きなので、宮崎駿の本心がストレートに出た「ナウシカ」と、作った後に本人もテレてしまった「豚」に魅力を感じます。
本当は「ラピュタ」が一番好きなのですが・・あまりにもベタなので・・・。高い所に登ると、「見ろ、人がゴミの様だ」なんてセリフが頭に浮かんでしまいます。
申し訳ありませんが私にはシーキュブみたいな誰得アニメを作っちゃう“今の”ガイナと同類だと思います、“今の”タツノコは。
ローカル局で古いアニメに触れるほどテレビアニメ界でホントに大事な人材は故 出崎統氏なんじゃないかと思うようになりました。
出崎氏に近い人材というと水島努監督辺りですかね?
たまにとんでもない事をしでかす所も似てると思いますw
「空気」とか「茶番のC」とかw
「Gレコ」が完成した時の富野御大将の発言が気になりますねw
私もあのエンディング・ロールには笑いました。巨神兵ってキグルミだったの!?あるいは声優?!
出崎統氏、もの凄い仕事量ですよね。まさに職人。そして、多くの作品が印象に残るものというか、私達の中に血肉として浸透しています。
現在のタツノコはかつての片鱗も感じませんが、それ故に「老舗」が何だか変な事を始めた事に興味があります。ガイナックスは完全に経営の問題ですよね・・・こちらもかつての片鱗も感じさせない。
水島勉、「撲殺天使ドクロちゃん」ちゃんなんて悪乗り作品もありますが、エログロが好きなのはアザゼルさんに繋がっている気がします。表現の幅が色いのは、「クレヨンしんちゃん」で鍛えられたから?原恵一の弟子ですよね。
「Gレコ」って何ってググったら、富野の新作が予定されているのですね。全く、歳を取っても元気なですね。THE ORIGINも制作が決定しているみたいですが・・・作品としてはダラダラしそうですね。シャーとアルテイシアの物語として、どれだけ上手く再構築出来るか、シリーズ構成の腕の見せ所でしょうか。
最近、「神のみぞ知るセカイ」をじっくり見直してています。倉田脚本ってアニメならではのリズムや語法を持っていますよね。なぜ、オタクがアニメに夢中になるのかの回答が詰まっている気がします。・・・2次元のキャラクターが、はっとする程かわいく見える瞬間をどう作り出すのか、感情移入の持って行き方の上手さなのでしょう。
役不足・・・国語の間違いですね。「力不足」が正解。
ご指摘、ありがとうございます!!
私も、たぶん『風立ちぬ』は見ないと思います。 『プロフェッショナル仕事の流儀スペシャル』を始めとする宮崎駿監督の『風立ちぬ』関連の番組や、メディアで報道された監督のインタビューのいくつかを読みましたが、映画の内容と合わせて、どうも腑に落ちません。 かなり矛盾しているように感じました。
今回、人力さんが指摘されている“宮崎駿の本質は「破壊衝動」”を拝読して、目からウロコでした。 私が『風立ちぬ』に感じた矛盾も、原因のひとつはたぶん、そこにあるように思います。
アニメや映画のように、多くの人々が関わらないと完成しない分野は、どのように事業を継続させるのか、どう若手を育てていくのかという課題が常にあり、リーダーは頭が痛いですよね。 そんな中でも、かなり上手にハンドリングしているのは、もしかするとジョージ・ルーカス監督でしょうか?
『スター・ウォーズ』シリーズの権利を、ルーカスからすべてディズニーが買い取ったニュースに「さすが、ルーカスはすごいな~」と感じました。 ルーカスにとって、『スター・ウォーズ』は大事な子供、あるいは、ライフワークのような存在でしょうから、自分がいなくなったときにどうするかということを常に考えていたでしょうし、実現不可能かな?とも思われた、三世代に渡る『スター・ウォーズ』の完成も視野に入ってきたことにビックリしています。
劇場の予告の件、お怒りはごもっともです(クレームも多かったようです)が風立ちぬは賛否両論あれど個人的には紛れもない傑作なので、劇場で見ておいたほうがいい作品だと思います。
ジブリのブランドに関しても同意しますが、それはマスコミと同時にジブリ映画しか見に行かない観客にも問題ありますよね。まぁ宮崎、高畑両監督が世界でもトップクラスの映画監督であることは間違いないので、これも宜なるかな、といったところ。若い才能であれ、ブランドと化した巨匠の作品であれ素晴らしいものには同様に感動するはず。
宮崎作品は、全体としては散漫でも部分でみれば必ず素晴らしいところがありますから。しかし吾朗の作品がヒットするのにはイライラさせられますが。
それに、日テレが次は細田守の作品をブランド化しようと必死じゃないですか。細田守は時をかける少女の時はすごい人が出てきたと思ったのですが、それ以降はがっかりさせられていますので、なんだかモヤモヤしますね。
あの時代の人達は、科学信望と、文明の否定が共存しています。同様に栄光の大日本帝国の憧れを童心に抱きながらも、配線でそれまでの価値観が180°転換してしまった分裂された世代でもあります。
ゼロ戦への憧れと、そして戦争や文明への恨みが複雑に絡み合っているので、複雑なのでしょう。
アメリカはマンガのキャラクターの権利を出版社が保有しています。だから、スーパーマンは誰が書いても良い事になっており、様々なスーパーマン像が生み出され続けます。
日本はキャラクターを巡って原作者と漫画家が訴訟になる様な国ですから、アメリカとは大分違う様です。
まあ、権利に対する支払額も巨額ですから、版権を売ったら売ったで大儲けですが。
『もののけ姫』以降は、途中で訳分からなくなりますよね。それでも、勢いで見せてしまう所はさすがと言うしかありません。『ぽにょ』の波の映像には圧倒されませした。これがジジーの仕事かと思うと腰が抜けそうになります。
高畑監督は、心の奥に残る作品を作りますが、『となりの山田君』は解釈に苦しみます。何故、あえて「いしいひさいし作品」なのかと・・・。
新作の『かぐや姫』も、きっと賛否両論なのでしょう。現在の高畑氏は商業アニメの「特別席」を確保していると言った感じでしょうか?
私はやはり『ハイジ』と『母を訪ねて三千里』のイメージが強い。『おもひでぽろぽろ』や『平成狸合戦ぽんぽこ』も大好きですが。(実は『火垂るの墓』は未見。いつもTVを付けると妹が死ぬシーンなんで・・・・。これだけでウルウルしちゃって、胸イッパイ)
日テレは細田守で保険を掛けていますよね。細菌の細田作品は作り込み過ぎているのかも知れません。『どれみと魔女をやめた魔女』の頃の、スペース感を取り戻して欲しいと思います。日曜の子供番組で、あの内容を放映した東映動画には、ただただ頭が下がるばかり。さすがは日本のアニメ史を支えて来た会社です。