■ 女の子の成人式は大変だ ■
娘が昨日成人式を迎えました。
1年も前からレンタルの振袖を予約し、一か月以上前から髪型に悩み、当日も朝の5時から着付けの為にホテルに出かけ、女の子の成人式は人生の一大イベントですね。
かくいう私も、風邪で具合が悪いのを押して、カメラで娘の晴れ着を撮りまくっている「親バカ」の一人ではありますが・・・。
■ 荒れる成人式? ■
浦安市に住民票のある娘は「ディズニー成人式」の招待状が来ていましたが、彼女は小学校5年生から中学3年まで過ごした私の地元の成人式に出席しました。バスケで一緒に汗を流した友人と一緒の成人式を当然選択したのです。「成人式にディズニーって、何か変だよね・・・」という醒めた所もある娘です。
成人式から帰った娘が開口一番「全くバカが騒いで迷惑だったし、ウチの中学が一番騒いでたら恥ずかしくって・・・。」「他の中学の知り合いに、○○中、うるさくて御免ねって謝っちゃったよ」とご立腹。
どうやら、在学中からヤンチャをしていた一団が、式典中に騒いでいたとか。メガホンで式の進行を妨害したり、つまみ出された後に酒を飲んで戻って来たりと、大迷惑だったらしい。各中学、それなりにヤンチャな事をする奴らは居たらしいが、それでも節度はあったとか。
■ 成人式で暴れるのは「ヤンキー文化」? ■
TVでも、つくば市や沖縄の「荒れる成人式」のニュースが流れました。私は今まで一部の荒れた成人式をクローズアップしているのかなと思っていしたが、身近な成人式も同様の惨状である事に少なからぬショックを受けています。
昔からヤンチャな連中が暴走族などになって社会に迷惑を掛ける事は良くありました。ただ、少なくとも私が成人した30年以上前は「成人式でヤンチャやって目立ってやろう」なんて輩は居ませんでした。そもそも、そういう連中は成人式には出て来なかった。
ところが、今のヤンチャな連中は、大人が準備した成人式を「ぶっ壊す」事に喜びを覚えています。これ、一見「大人に対する抵抗」の様に見えますが、彼らに問えば「先輩もやっていたから」という答えが返って来るはずです。「先輩みたいにカッコよく目立ちたかった」と。
誰が始めたのかは分かりませんが、成人式が荒れる地域では「成人式で暴れる」のが「ヤンキーの伝統」になってしまっているのです。それをTVが興味本位で放送した為に「俺たちもやろうぜ」という輩が全国で大増殖し、それがまたヤンキー文化として定着していった。
■ 警察が拘束すれば良いだけの話じゃないか? ■
成人式に出席している人の多くが20歳を超えています。成人式は「子供の社会から、大人の社会に加わる節目」の式典ですから、ここに集う若者は大人として扱われるべきです。
では、大人の社会で、大勢の人の集まる場所で騒ぎを起こしたらどうなるか・・・。警察が来て、とりあえず任意同行を求めるはずです。迷惑が過ぎたり、酒を飲んで暴れていれば一晩拘留される事だってあります。これは法に則った大人の社会のルールです。
ですから、成人式で暴れる輩は、警察が即効で排除すべきで、これは法に触れるものでは無いはずです。
■ 個人の自由と社会のルール ■
仮に成人式で暴れた連中を警察が拘束したら世間はどう反応するでしょうか?
多分8割の国民は良くやったと評価するのではないでしょうか。そして1割は「やり過ぎだ」と苦言を呈し、そして1割が「基本的人権の蹂躙だ!!。警察権の暴走だ!!」と大騒ぎするでしょう。
では、「権力の暴走だ!!」と大騒ぎする人断ちは、繁華街で大暴れする酔っ払いが警察に拘束された時に同じ抗議をするでしょうか?多分しません。
彼らは「成人式という晴れの場から、警察に排除される可哀そうな若者」を擁護しているのです。「まだ若くて分別も付かない子供を何も警察が取り締まらなくても・・」という「若者や未成年=特別」という意識で見ているのです。
しかし、20歳を過ぎたら「成人」ですから、公共の場で騒いで他人に迷惑を掛けたら当然罪に問われます。少なくとも成人式から強制排除されても文句は言えません。
「騒ぐ事が個人の自由」ならば「迷惑行為を自粛するのは社会のルール」です。アメリカで集会の場で騒ぎを起こせば、下手をすれば射殺されます。
■ ムラ社会の消失が、個人を肥大化させた ■
ムラ社会の強く残っていた時代には、ムラの利益に反する個人の行動は厳しく戒められました。子供が悪い事をすれば家族全体に責任が及びました。だから、子供なりとも家族の為にムラの掟には従いました。
中には掟に従わないヤンチャ者も居ましたが、基本的にムラ社会には居場所が無いので、裏社会の住人になるか、漂泊するしか無かった。裏社会は裏社会の厳しいルールが存在し、表の社会とは一線を引いていましたから、きっと裏の住人は「成人式」なんて晴れの場には出て行かなかった。「俺は日陰者だから・・」という意識があったはずです。
戦後、日本からムラ社会は都会から徐々に消失し、今では田舎の共同体の中に細々と生き残るだけとなりました。それに伴い、「個人の自由と権利」」が幅を利かせる様になります。
■ 暴力という個人の権利に怯える社会 ■
ヤンチャな連中に言われれば「暴力を振るうのも俺の勝手で自由だろう」という事になります。本来はその自由は「裏社会の序列」を決める為に行使されるべきであり、表の社会に及ぶものでは無かったはずです。
しかし、現在において「暴力」は表の社会も容赦無く襲います。道端で悪さをしている若者を見つけても大人は注意出来なくなりました。何故なら、彼らが暴力で応酬して来るからです。さらには若い娘の親であれば娘の身も案じなくてはなりません。逆恨みで娘が襲われたらどうしようと考えるからです。
こうして、いつしか社会は「個人の暴力」に対して無抵抗になってしまいました。その最たる物が「荒れる成人式」なのかも知れません。
成人式会場に同席する若者も報復を恐れて彼らを排除できません。大人たちも同様です。暴力を取り締まるのは警察の役目と決めています。ただ、成人式会場の警護を警察に任せる事には社会的な抵抗があります。
こうして、成人式会場は一部の不心得者達の格好のパフォーマンスの場になってしまいました。
では、誰が彼らに社会のルールを教えるのか・・・?
個人や社会がそれを放棄した現代にあっては、やはり警察という事になるのでしょう。
そして、警察権の介入に異議を申し立てるならば、自分達が、彼らの暴力に立ち向かう必要があります。はたして「人権派」を自称する人たちに、この勇気があるのか・・・・。
ちなみに、私は夜中にマンションの前の道路で騒いでいる連中に「ウルサイゾ!!」と叫ぶ事があります。もっとも姿を見せずにですが・・・。それでも家内は「あなた、止めなさいよ」と止めます・・・。その後、誰かの通報で警察が来て事は収まりました。
そういえば、今年娘の成人式で騒いでいた連中も注意した事があります。夜中にマンションの庭で花火をしていたので・・・。「警察が来るから早く止めて帰れ」と中学生だった彼らに告げました。誰かが通報したのか、その後直ぐに警察が来たので、彼らは脱兎の如く逃げて行きました。
・・・うーーーんん、何て小市民な私・・・。
そして・・・警察って強ぇーーー。