■ 今期アニメのダークホース『異能バトルは日常系の中に』 ■
私程の重度のオタクになると、放送開始前に話題にもなっていあないアニメからいち早く面白い作品を探す事が何よりの楽しみになります。そこで今期のダークホースですが『異能バトルは日常系の中で』がイチオシです。
肌合いとしては大沼心監督の『六畳間の侵略者!?』に一番近いでしょうか。どうしようも無い設定を、丁寧に描きこむ事で、だんだんと視聴者を作品世界に引きずり込むタイプの演出方法です。
重度の中二病患者の主人公と、文芸部の4人の女の子達が突然異能の力に目覚めてしまうという、何ともラノベらしいベタな設定ですが、異能バトルを部活動の中に限定した所がミソ。世界を自在に創造したり、時間を止めたり、壊れた物を元の姿に戻したりする、使い方によっては絶大な力にもなり得る異能を、単なる遊びに使う事で物語は主人公の間だけに限定されます。
一見、「広がりを欠く」様にも思える設定ですが、『六畳間の侵略者』同様に、無駄な人物が登場しない事で、個人の関係を丁寧に描く事に成功しています。
■ 醒めた視点 ■
普通に見たら単なるオタクアニメに過ぎませんが、ガイナックスOBの会社の制作する作品だけに、第一話目からどことなく引っ掛かるものが有ります。外側の醒めた視点が常に存在するのです。
若者の、若者による、若者の為のアニメが氾濫し、その多くの作品がまったりとした支持を集める中で、『俺の青春ラブコメはまちがっている』や『六畳間の侵略者』や『異能バトルは日常系の中で』といった作品は、どこか醒めた視点を持っています。作中の人物達の行動を興味深く観察する視点が働いている様に感じられます。
これらの作品はラノベ原作ですが、製作者は作品の中にある「醒めた視点」に注目してアニメ化を手掛けている様に感じられます。
■ 閉鎖空間による関係性の濃密化 ■
それぞれ原作は未読なので、これからの考察は憶測に過ぎませ。
オタク文化は今では若者文化として市民権を獲得しました。ですからかつて程閉鎖的では有りませんが、ただ、若者主体の文化だけに社会との繋がりは希薄です。
作品の舞台の多くは学校であり、登場する人物も同世代。当然若い作者が多いので人生経験も限定的です。その様なサークルの中で作品が再生産を続けた結果、ライトノベルの諸作はかなりテンプレート化が進行しています。
当然、少ないポケットの中でバリエーションを生み出す為に、さまざまな工夫が凝らされます。その一つがテンプレ化されたキャラを徹底的に深化させるという試みが有るかと思われます。
そもそもアニメやラノベの登場する様なキャラクターは現実には存在しませんが、それがあたかも実在したらどうなるのかをシミュレーションする様な作品が上に上げた諸作の様な気がします。
あまり世界を広げてしまうと、リアルの壁が高くなるので、六畳間とか文芸部に世界を限定する事で、テンプレキャラが普通に存在する閉鎖空間を先ず作ります。これで、「こんなヤツいる訳無いだろう」という突っ込みを一時停止させます。
その上でキャラクターに若干のリアルな味付けをして行きます。閉鎖された環境での登場人物達の関係は嫌が上にも濃密になります。その上で登場人物達の行動や心の動きを冷静にシミュレートションして行きます。
■ 「おさな馴染みのマジ切れ」というアニメ市場に残る名シーン ■
『異能バトルは日常系の中で』は6話目までは、たまに登場するちょっとシリアスなシーンがスパイスの良作でした。しかし7話目は、昨今のアニメの中でも突出した回となっています。
中二病を患う主人公には幼馴染の鳩子がいつも側に居ます。鳩子は主人公が大好きなので、主人公の中二病に根気強く付き合っています。ところが、主人公は彼女が無理をしている事に全く気付かず、むしろ「鳩子に言っても分からないから」などと鳩子の努力には全く気付いていません。
そんな鳩子が、嫉妬から長年のストレスを爆発させます。
<引用開始>
「寿君の言ってること何もわかんないよ!」
「寿君の言ってることは一つもわかんないよ!」
「寿君の良いって言ってるもの、何がいいのかわかんない!
わかんない! 私にはわかんないよ!!」
「ブラッディって何がカッコイイの?
血なんて痛いだけだよ!」
「黒のどこがカッコイイの?
クレイジーのどこが良いのかわかんない!」
「罪深いってなんなの?
罪の何が良いの?
犯罪者がカッコイイの?」
「そもそも混沌って何?
カオス?だからなんなの?」
「闇って何?
暗ければ良いの?」
「正義と悪だとなんで悪がいいの?
なんで悪い方がいいの?
悪いから悪なんじゃないの?」
「右腕がうずくと何がカッコイイの?
自分の力を制御できない感じがカッコイイって、
なにそれ、ただのマヌケな人じゃん!
ちゃんと制御できるほうがかっこいいよ!
立派だよ!」
「普段は力を隠していると何がカッコイイの?
そんなのただの手抜きだよ!
隠さず全力出せる方がかっこいいよ」
「どうして二つ名とか異名とかいっぱいつけるの?
いっぱい呼び名があったってわかりにくいだけじゃん。」
「英語でもなんでもカタカナつけないでよ。
覚えられないんだよ」
「鎮魂歌って書いてレクイエムって読まないでよ」
「禁忌って書いてタブーって読まないでよ」
「聖戦って書いてジハードって読まないでよ」
「ギリシャ神話とか聖書とか、北欧神話とかちょっと調べただけでそういう話しないでよ」
「お願いだから私が分かる言葉で話してよ!!わかんない!!」
「内容もちゃんと教えてくれなきゃ意味が分からないよ!教えるならちゃんと教えてよ!」
「神話に出てくる武器の説明されても楽しくないよ!」
「グングニルもロンギヌスもエクスカリバーもデュランダルも天叢雲剣も意味不明だよ!」
「何がカッコイイのか全っ然わかんない!」
「他の用語も謎なんだよ!」
「わかんないわかんないわかんああああああああああああああああい」
「原罪とか十戒とか創世記とか黙示録とかアルマゲドンとか…
名前がいいだろってどういうこと!?」
「雰囲気で感じろとか言われても無理だよ!!」
「相対性理論とかシュレディンガーの猫とか万有引力とか、
ちょっとネットで調べただけで知ったかぶらないでよ!」
「中途半端に説明されてもちっとも分からないんだよ!!」
「ニーチェとかゲーテの言葉引用しないでよ!」
「知らない人の言葉使われても何が言いたいのか全然わかんないんだよ!
自分の言葉で語ってよ!」
「お願いだから私が分かる事話してよ!」
「中二ってなんなの!?
中二ってどういうことなの!?」
「分かんない分かんない分かんない分かんない分かんない!!」
「寿くんの言う事は昔から何1つ、これっぽちも分かんないんだよ!」
<引用終わり>
痛い、心にグサグサと突き刺さります・・・。
言葉をそれぞれ「金融緩和」とか「金融抑圧」に変えて行くと、私のブログ活動も中二病の延長に過ぎない事が露呈します。上のセリフ、家内に言われている様な感じがして、私としては全く他人事ではありません。
考えて見れば、昔の若者が得意気にニーチェやゲーテを語るのも中二病に過ぎないのかも知れません。中二病はいつの時代にも存在し、男という生き物は、中二病を患ったまま大人になって、政治や経済や社会を中二病のネタに変えて行くだけなのかも知れません。そして女性はいつも大きな包容力でそれを見守っている・・・。
食卓で安倍政権の突然の解散に怒りを露わにするアナタを、奥さんは優しく見守っていますが、心中は「この中二病野郎、政治家の悪口言う前にテメエが選挙に出てみろよ!!」って思っているのかも知れません。
(このシーンを一気に演じる声優さんの演技・・・本当にスバラシイ。)
■ 「リアリティーの追求 ■
7話目の前半、文芸部の今日の活動は「ライトノベル」がテーマ。
そこで鳩子がテーマにしたのは「リアリティーの追求」。
そして部長のテーマは「中二病」・・・・。
これがこの作品のテーマなのでしょう。
ある意味、ライトノベルやアニメのリアリティーの追及は、「箱庭の中でリアルを模索」する様な矛盾を内包しています。ライトノベル的リアルであり、アニメ的リアルに過ぎないのかも知れません。
ただ、バットマンがバットマン的リアルを追及した結果『ダークナイト ライジング』に到達した様に、アニメ的(ラノベ的)リアリティーの追求も、いつかは現実世界とリンクする時が来るのかも知れません。
とにかく、ここ数年のアニメのシーンの中で、鳩子ちゃんのマジ切れシーンが突出している事は・・・見なくては分からないですよね・・・。