文具関係はちょっとお休み。
ここのところ故池波正太郎氏のエッセイ集を文庫でせっせと読んでます。
「食卓の情景」、「日曜日の万年筆」、「むかしの味」、「男の作法」、「夜明けのブランデー」・・・
浅草生まれ浅草育ちの池波さんと、生まれてから小学校低学年まで下町で暮らしていた私、アルマーニ。
もちろん生きてきた時代は違うわけですが、池波氏のエッセーを読んでいると、池波さんが子供の頃の東京下町の雰囲気が私の下町時代にも残っていたようで、食物や遊び、人々の気風など、とても懐かしく感じる部分が多いです。
池波さんのエッセイを読んでいると、自分の慎重というか小心者的な性格というのも、下町のおとなたちにあれこれ世話を焼かれ、注意を受けた中で育まれたものなのかもしれないな、と思うようになりました。
まあ、1,050円の会議弁当のお金を支払う時に、あらかじめぴったりのお金を用意しておかないと気が済まないとか、つまらないことなんですけど、これも狭い土地にたくさんの人が気持ちよく暮らしてゆくためのひとつの知恵みたいなところもあるんじゃないか、とは思います。
頑固で、気風がよく、モダンな池波さんと、チャランポランで小心者のアルマーニ。
それでも似たような風土で育った者同士結構共通点がある、なんていったら怒られるかな。
せっかくなのでエッセイの中で拾った文具ネタ(万年筆)を少し。
・原稿は、万年筆で原稿用紙に書いていた。
~お金をいただくのに鉛筆なんぞで書いたものではいかん、ということだったらしい。
・(若くても、作家でなくても)万年筆はいくら高いものを持っても良い。
・原稿を書くときは細字の万年筆で丁寧に書き始め、ノッテきたら太字の万年筆に変える。
・モンブランを中心に、オノトも愛用した。
・その日の仕事が終わると、ペン先を洗った(←ここはちょっと謎です)
ここのところ故池波正太郎氏のエッセイ集を文庫でせっせと読んでます。
「食卓の情景」、「日曜日の万年筆」、「むかしの味」、「男の作法」、「夜明けのブランデー」・・・
浅草生まれ浅草育ちの池波さんと、生まれてから小学校低学年まで下町で暮らしていた私、アルマーニ。
もちろん生きてきた時代は違うわけですが、池波氏のエッセーを読んでいると、池波さんが子供の頃の東京下町の雰囲気が私の下町時代にも残っていたようで、食物や遊び、人々の気風など、とても懐かしく感じる部分が多いです。
池波さんのエッセイを読んでいると、自分の慎重というか小心者的な性格というのも、下町のおとなたちにあれこれ世話を焼かれ、注意を受けた中で育まれたものなのかもしれないな、と思うようになりました。
まあ、1,050円の会議弁当のお金を支払う時に、あらかじめぴったりのお金を用意しておかないと気が済まないとか、つまらないことなんですけど、これも狭い土地にたくさんの人が気持ちよく暮らしてゆくためのひとつの知恵みたいなところもあるんじゃないか、とは思います。
頑固で、気風がよく、モダンな池波さんと、チャランポランで小心者のアルマーニ。
それでも似たような風土で育った者同士結構共通点がある、なんていったら怒られるかな。
せっかくなのでエッセイの中で拾った文具ネタ(万年筆)を少し。
・原稿は、万年筆で原稿用紙に書いていた。
~お金をいただくのに鉛筆なんぞで書いたものではいかん、ということだったらしい。
・(若くても、作家でなくても)万年筆はいくら高いものを持っても良い。
・原稿を書くときは細字の万年筆で丁寧に書き始め、ノッテきたら太字の万年筆に変える。
・モンブランを中心に、オノトも愛用した。
・その日の仕事が終わると、ペン先を洗った(←ここはちょっと謎です)
ライターは身分相応なのにしなければ
と書いていたのを思い出します。
(男の作法)
未だに違いが判りません。
禁煙したのでライター持ちませんが。。。。
私にもわかりませんが、万年筆は特別だったんでしょう、池波先生にとっては。
ちなみに私は100円のBicです。
よっぽど書き倒していたと思える(作家だから)。私もよく書いていたときは、この感じわかりますね。私もよく洗っていました。
その頃は、細字を使っていたので、紙がペン先に挟まって、字が太くなったり(笑
アスクルオリジナルの伝票は万年筆が滲む。(TT)
そうなんですか、万年筆のペン先を洗うってことあるんですね。
万年筆のペン先を洗うとインクが流れちゃうんじゃないかと思って不思議だったんです。
確かにペン先に紙の繊維が挟まって妙に太い字になったりすることがありますね。私はペンスタンドに常備している精密ピンセットで取り除いてます。