ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ジョルジョーネ ‐ アルテ・マイスター(11)

2016年03月28日 |  ∟ドイツの美術館

 ※ ドイツ/ドレスデン国立美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(14)

 古くはウフィッツイ美術館、新しくはルーヴル美術館で、盛期ルネサンス・ヴェネツィア派最大の巨匠<ティツィアーノ>(1488-1576)を何度か投稿した。

 少なくとも小編では、色彩の錬金術とまで呼ばれたティツィアーノの作品を投稿する都度、引き合いにしたと言っても良い、ある意味で不幸な画家がいる。

 そのティツィアーノの陰に隠れる?ような画家人生を送ったのは、同時期の画家ジョルジョーネ(1477-1510)。
 聊か馴染が薄いのは、寡作なうえに32歳の若さで世を去った所為かも知れない。

 彼は、初期ルネサンス・ヴェネツィア派の確立者ジョヴァンニ・ベッリーニ(1433-1515)の工房にて学んだが、そこでの弟弟子がティツィアーノその人であった。

 ちなみに、ベッリーニの名を聞いて、難解な 「<宗教的寓意>」(ウフィツィ美術館蔵)を思い出される方もあるのでは?

 そのジョルジョーネの傑作 「眠れるヴィーナス」(上)が今回の作品。

 彼には未完作品が多く、本作も発見時は未完だったとされてい、後にティツィアーノが、背景、そして、後世に塗り潰され今は見ることのできないキューピッドの姿を描き加え、完成したとされている。

 ジョルジョーネは本作で、神話、つまり、想像の中にこそその美しさが存在していることを示すように、 穏やかな表情で眠りにつくヴィーナスを柔らかい曲線と色彩で描いている。

 それに対しティツィアーノ、本作から30年ほど後 「<ウルビーノのヴィーナス>」(下/ウフィツィ美術館蔵)で、ヴィーナスを完全に目を覚ました姿で、そこに結婚画としての寓意性、かつ、ある種の官能性を持たせ描いている。

 とまれ、ジョルジョーネの本作に端を発した、ヴェネツィア派の特徴でもある表現方法が、弟弟子ティツィアーノを経て、ロマン主義の画家ゴヤ(1746-1828/スペイン )や印象派の画家マネ(1832-1883/フランス )など、後世の画家らの裸婦像表現に決定的な影響を与えた、とされていることは間違いないようだ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1112

 ※ 「続・ボッティチェリ ‐ アルテ・マイスター(10)」へは、<コチラ>からも入れます。


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