男に “ まめ ” は、褒め言葉に非ず。
それは、「お前は小物と言われている様なものだ!」と、<叱られた>ことがあった。
<主夫?仮免中>と書いたばかりの酔狂、つい先だっても洗濯をし乍ら、「まめで悪いか!」と聊かの憤慨を交えながら可笑しく思い出した。
一人前、勿論、“ 技芸・学問などが一応の水準に達していること ” の意ではなく、“ 一人に割り当てる量 ” (大辞泉)の方であるが、食事に限らず一人(ひとり)前で足りる暮し。
お風呂も然り、入浴後たっぷりと残った湯、直ぐに栓を抜くには勿体ない気がしないでもない。
で、二回目は<入浴剤>を使う、実のところ買ってからとんと使ってないが。予定だったことは書いた。
カタリナ がいた頃にはついぞ気にもしなかったが、ポストに投げ込まれた請求書をじっくり?眺めて驚いた、電気料金の馬鹿高さは論外だが、水道料金も負けず劣らずのよう。
上水が多けりゃ下水も多くなる仕組みの料金体系、彼女が真面目に節約していたのも今になって分かる。
そのひとつ、風呂の残り湯をポンプで汲み洗濯、さらに余ったのはベランダの植木に撒いてい、内心「面倒くせえなあ!」と思い乍らも顔に見せず、水運びを手伝ったものだった。
で、門前の小僧宜しく、彼女に倣ってやおらポンプを引っ張り出し、洗濯機を宥め?乍ら使い方を習得、最後の濯ぎを真水に任せる他は残り湯で賄い、加えて植木用にバケツ三杯。
斯くして概ね三分の二を利用、彼女は残りを排水していたが、次回の入浴時に新しい湯を継ぎ足している。
長雨から免れた日曜の朝(4/12)、まめに洗濯の最中、これって、関東煮(かんとだき)屋さんが秘伝の出汁を切らさないよう継ぎ足してるみたく、「俺はおでん種?」と笑ってしまった。
尤も、幾ら始末屋?酔狂と雖も、一回継ぎ足した後は流石に排水栓を抜いているが。
独身時代にお袋から、「入る算段ばかりしてないで始末しなさい」と度々諭されたことを憶えている。
格好よく言えば、“ 入るを量らず出ずるを制す ” となるのだろうが、この歳になって母と妻の姿は<茄子の花>、無駄がなかったことを実感させられるのも聊かほろ苦い。
三つ食へば葉三片や櫻餅 (虚子)
今日(4/20)は二十四節気のひとつ、穀物に恵みをもたらすという “ 穀雨 ”、朝から時折篠突くように降る。
菜種梅雨もものかは名残りの八重桜が満開、こんな葉っぱで包(くる)んだ蒸し米と柔らかい甘さの餡が絶妙な塩梅のお餅、その春の色と匂いを彼女も楽しんでいたっけ。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.961
旅や日頃のことなど、毎回楽しく読んでます
桜もあっという間に終わりましたが、先日のニュースで青森が満開で、函館では開花したと伝えていました
日本てほんとに縦に長いんですねえ!
ところで、まめは結構なことなんですが、再々検査は如何なりましたか?
やんちゃ姫さんが、「カタリナが守ってくれますよ」とコメントされていましたが、エルミタージュ美術館、予定どおり準備は進んでいますか?