ぱそらぼ (ぱぁと1)

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生きる動機

2015年08月22日 | 命の生き方
寝屋川市の中学1年の少年少女は、動機も不明な犯人の手によって、最悪の結末で家族の下に帰りました。明日も、今日とさして変わり映えのしない一日が始まり、そして終わるはずだと、無条件に信じていた家庭に、とんでもない残酷な明日が明けてしまいました。嘆いても悔いても戻る事のない時間に、ただ打ちひしがれて涙を流すしか術の無いご家族と、そしてまだこれからの形すら描けてなかったであろう明日を奪い去られた、若い命に、ただただ目を閉じ、頭を下げるばかりです。

彼らの冥福を祈る声と共に、彼らの育った家庭環境を厳しく指摘する声がある事も事実です。報道の大半は「死者に鞭打つ」事を良しとはしませんし、悪いのは犯人なのですから、動機や経緯の解明に力が注がれています。が、最近の風潮は、誰であれ、つぶやけるし、うそぶけるし、あからさまに人を揶揄できてしまいます。そうした「影の」報道が、中学生が深夜に外出することができていた事実に、彼らの日頃の生きざまに、大きな疑問を呈していることは、一方で事実です。事の全てを解明し、再発を防ぎ、未来を担う命を正しく育てるには、様々な解析が多分必要です。ですが、それはあくまで、礼儀をわきまえた1社会人として、発言すべきであって、自分の低い品性をさらけ出すような、発言の仕方は厳に慎みたいと思います。なぜ、人は、一旦「裏」に回れば、下品な言葉を敢えて連ねて発信しようとするのでしょうか。

犯人と報道された人物は、以前にも、若い中学生を拉致したり、現金を奪うなどしたりしていたという報道もあります。勿論、あっという間にネット上には、様々な過去がある事、ない事、書き入れられています。が、これがフェイスブックやツイッターの威力だと思っている人がいたら、少し違うのではないでしょうか。

考えるべきことが、キット多々ありますが、いずれもが根本的な解決のヒットを飛ばせるわけでは無く、今回も、この起きてしまった悪夢の総括を個人に押し付けて幕を引くしか手はありません。再発防止に、自警団のようなものも活発になるかもしれませんし、家庭は子ども達の素行により目配り気配りを増やすでしょうし、学校では物騒な事件に巻き込まれないような生活指導が増えそうです。いずれもが大切な事だと思いますし、何より町全体の治安の向上に、多くの努力が重ねられる事と思います。

何より、モット大切な事は、人が「〇〇のためにこそ、生きる」と胸を張って目指せる何かを持てる事なのではないかという気がしてなりません。深夜に彷徨うしかなかった子ども達も、人を殺めて手に入れるものでしか空洞を埋めることのできなかった犯人も、自分の品性を下げる事承知で書き込みをしている者たちも、もっとその身を焦がすほどの「生きる動機」が持てていれば…と、あらぬことを思ってしまいます。現代の教育は、体・知・心の教育を目指していると言いつつ、「生きる動機」を持たせるには至りません。そんなものは、自分で苦しんで見つけるものだと思いつつも、社会全般に漂っている「どうでもよい…感」や「適当に…感」は、社会の責任でもあります。



1枚の印刷に納めたい・その2

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