日曜日の午後、昼食後、ちょっとウトウト・・・。
目が覚めてテレビをつけたら、そこには亡き義母のような感じの女性。
タバコをスパスパ吸っていた。ボーっと見ていたが、
惹きつけられる。吸い寄せられる。
彼女はフジコ・ヘミングだった。
・
・
・
若い頃の大変貧しく苦しい状況を経験した彼女は、
’この地球上に私の居場所はどこにもない...
天国に行けば私の居場所はきっとある。’
との境地に達する。
この番組内でも’神様が・・・、神様は・・・’との言葉が
随所に出てきた。
「私の人生にとって一番大切なことは、小さな命に対する愛情や行為を
最優先させること。自分より困っている誰かを助けたり、野良一匹で
も救うために人は命を授かっているのよ。」
(神様が耳元で囁くらしいです^^)
若い頃の経験から神との対話を果たした彼女は、60を過ぎて大ブレイク
して自由にお金が使えるようになった現在でも贅沢を好まず、長年にわ
たって恵まれない人たちや哀れな境遇の動物たちに熱心な寄付・慈善活動
を続けている。
この番組の中で、もっとも感銘を受けたのは、
セレブのような社交界の女性たちに招かれて食事をしたシーン
だった。ブルジョアたちの芸術などの話しが飛び交う食卓を
囲みながら、退屈そうな彼女。そのうちそばに置かれたピアノを
弾き出す。すると、ブルジョアたちはピアノを囲み、ピアノに合わせて
歌いだした。嫌がりもせず、顔にも出さず黙々とプレイするフジ子。
やがて、彼女たちは、その演奏に聞き惚れ言葉を失った。
’人はそれぞれ皆違う。その人を認めること、その人の魂を尊重すること’
とフジ子は言う。それは、貧しい人や変わった人だけでなく、ブルジョア
の人たちも含めるのだろうか?
(自分はこのようなブルジョアの人たちに偏見を持っているのだろう)
どんな形であれ、皆この世を旅している。どんな魂でも一つの魂。
それを知り、そこを見ているフジ子。何と素晴らしいことでしょう。
(それでも、評論家の発言を巡っては怒っていましたね。
音楽に関しては譲れないものがあるのでしょうね。当たり前でしょうが・・)
彼女の生い立ちとかは、wikpedia
を読んでもらえば解ると思います。
彼女の弾くラ・カンパネッラを聴いていたら泣けました。
魂の琴線に触れた素晴らしい番組でした。
manoaさんもご覧になっていたんですねー。
彼女にとって音楽は、
たんに表現方法の一つであって、
その魂の清らかさと生き様に
魅せられましたね。
別に有名でなくとも
素晴らしい生き方をされている方は
沢山おられますよね。
そんな方々と出会い、
魂の琴線にふれ、
エネルギーをもらって
暮らせていけたら、
こんなに素晴らしいことはありません。
そして、自分自身も
そのような道を歩いていけたらいいなと^^
確かに世間で起きている事は、
日本とハワイとでは距離感がありますね。
でも、
月も、太陽も、風も、海も、
リアルタイムの繋がりがありますよ。
想いや心に距離感はないですよね!
私も、テレビ見ましたよ...
早速彼女のCDを買っていこうと思いました。
・・・そうですね、彼女の言葉からは神様がたくさん
でてきましたね。
天国に貯金していく・・という言葉も
私が毎週の礼拝でよく聞く言葉です。。
私もあんな女性になりたいと・・
心からそう思いました。。
そしてもう一つ・・・
今こうしてリアルタイムでコメントできることに
嬉しく感じましたよ。。
日本 ・・楽しんでいます!!
される弾き方なのかもしれませんが、
評価する時代も変わりつつあるのかも
しれません。
彼女は、ロックンローラーですよね。
生き様は、まさにロックンローラー。
弾いている手を見ましたが、
そこには生き様と年輪の刻まれた
スゴイ手がありました。
彼女にとってはブレイクしようがしまいが、
関係ないのでしょうね。
常に天を見ている彼女にとって、
人の評価など、ちっぽけな事でしかないでしょう。
まさに
この世を生きるのではなく、
この世を旅する方ですね^^
多少の事には動揺しない年齢に
なってきましたが、
世間で起きる訳の解らない残虐な事件に
巻き込まれたとしたら、
果たして、どんな心の葛藤が待っている
のか想像すらできません。
ばぶさん、友達とシンクロしちゃいましたね。
同じ感覚、感性、引き寄せるものが
あるのかもしれません。
茨木のり子さん、ホントに背筋が伸びましたねー。
また魂の琴線に触れる言葉に出会い、
ホントに’感謝’です^^
になります。たしかNHKの番組でした。
NHKの女性ディレクターが取り上げた、とのこと
フジ子さんは一種独特の方でピアノの世界も
例えばシュパンの演奏とはこうあるべき、という
古い体質が残っているそうで(特にクラシックは)
何かの機会にフジ子さんを取り上げても
まるで認めないという風潮があったそうです
ですからNHKの女性ディレクターは見る目が
あったのでしょう。あれから爆発的にね~
私もCDを買ってきました。生きてきた歴史が
感じられるし苦労した生き様が見えます。
フジ子さんの楽譜をいつかテレビで見せて
いましたが、ぼろぼろのそれは
まさにあの方の歴史だなぁと感激しました
いいブログとコメントです。
彼女のCDを聴きながらと思ったのですが、
どこに置いてあるのか、探し出せませんでした。
昨年、親しい友人から認め受け入れると言う言葉を聞いてから、
心掛けていますが、器が小さくなかなかうまくいきません。
今年はあるときふと、感謝と言う言葉が浮かび、
それを認め受け入れるということに加えてキーワードにしています。
その友人に3月に会った時、同じく感謝と言う言葉が出てきてびっくり。
茨木のり子さん、背筋が伸びますね。
私が学生時代に出会い、大きく影響された先生のようです。
ありがとうございました。
自由奔放・・・
そんな生易しい言葉では表現しきれない
ところで生きている方ですよね。
もはや できあいの思想には依りかかりたくはない
もはや できあいの宗教には依りかかりたくはない
もはや できあいの学問には依りかかりたくはない
もはや いかなる権威にもよりかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本の足のみで立っていて
なに不都合のことやある
依りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
かー、スゴイ詩ですねー!!!
鳥肌が立つと同時に、
自分の魂の高揚を感じました。
琴線に触れるどころじゃないですよ^^
エネルギーたっぷりもらいました。
茨木のり子さんはフジ子さんと
ほぼ同世代なのですね。
ステキな詩を教えていただき、
ありがとうございました^^
透徹された心境とでも言うんでしょうか、心揺さぶられる方です。
そして、いつも重なる詩があります。
もはや できあいの思想には依りかかりたくはない
もはや できあいの宗教には依りかかりたくはない
もはや できあいの学問には依りかかりたくはない
もはや いかなる権威にもよりかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本の足のみで立っていて
なに不都合のことやある
依りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
茨木のり子さんの”依りかからず”です。