フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

小泉淳作という画家 QUI EST DONC JUNSAKU KOIZUMI ?

2006-11-07 21:51:31 | 日本の画家

先週の新日曜美術館で山本丘人という日本画家の特集が流れていた。その中で、尊敬する師のことを語っている見覚えのある画家が出ていた。小泉淳作である。以前に同じ番組で、仕事場を北海道に作り、京都建仁寺法堂天井の双龍図の制作に当たっている彼の姿を追っていた (ように記憶している)。その時、作品の迫力のみならず、彼の厳しい目が強い印象を残した。飽くことなき追求心、満足することを知らない、反骨の心がその目に表れているのを感じたのだ。そして、その目に再び会った。

彼のことをネットで調べてみると、以前に流し読みをしていた 足立則夫著 「遅咲きのひと」 で取り上げられていることを知る。その内容はネットでも読むことができる (こちらです)。

この方、1924年鎌倉生まれで御年82。父親は政治家で彼は妾宅で生まれたという。5歳で母親を、11歳で父親を亡くす。彼はこう語っている。「私にとって最大の不幸だと思われるのは、この世の中にとって全く報いを期待しない無条件の好意を与えられる親の愛情をほとんどうけることが出来なかったことだ。おかげで私は人から好意を受けたりした場合、この人はどういうつもりで自分によくしてくれるのだろうと考える習慣が若い頃から出来たことだと思う」

大学 (仏文) を中退して芸大の日本画科に入る。そこで山本丘人に師事する。軍隊、療養などのため卒業は27歳の時。画では食べていけないので、デザインで生計を立てる。48歳になった時に陶芸で生活できるようになり、画だけで食べられるようになったのは59歳からだという。まさに 「晩生の画家」 であり、大器晩成である。画壇でも一匹狼を通す。70歳で妻に先立たれ、孤独の中で自らの芸術を高めている。若くしてどこかに達したような錯覚に陥っていないところが、彼を慢心させることなく前に進める力になっているように感じる。そして彼の目はまさに彼の人生を表していたことを知る。

しかし本当のところ、どんなことを考えながらこれまで歩んで来られたのだろうか。
随筆集 「アトリエの窓から」 を注文していた。

コメント
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