先週の新日曜美術館で興味深い人が紹介されていた。
大竹伸朗 (1955-)
基本的な姿勢が paul-ailleurs と余りにも共通点が多いのに驚きながら見る。以下、殴り書きのメモからランダムに。
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目的のないものが面白い。
(昔から何かのためにやると言った途端に、やる気が失せるようなところがある。どこか訳も分からないところに辿り着きたいとでも思っているかのようだ。)
役に立つものは面白くない。
偶然を生かすのが好き。
日常のすべてを記録に留める。
(彼は身の回りで見つけたものを拾ってはスクラップブックに貼り付け、自分なりに手を加えている。それ自体が作品になっているのだが、彼は自分の存在を確かめるためにやっているような印象がある。まともに買ったものよりは、その辺にある何気ないもの、注意していないと見逃してしまうようなものの方が味があるという感じ方。)
描くということは、対象を観察してそれを分かろうとする作業。
(書くと置き換えても、観ると置き換えても、対象を理解しようとする方向に向かうようだ。あくまでも向かうだが。)
どこかオリジナルなところに行き着いたというのではなく、いつも何かが進行していないとつまらない。何かが化学反応で起こるかもしれないということが楽しい。
主張がはっきり分かるような作品は、いや。
ヒトには五感ではなく、万感があるのではないか。
(本当は万感どころではないのだろう。書くとか観るという作業を意識的にやるだけでもその途方も無さがぼんやりと周りに広がる。)
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抽象絵画という範疇に入る作品の中でも絵の具を撒き散らしたようなものは、以前は全く受け付けなかった。今回、全くの偶然の中で作業を進め、その中に自らの求めるもの、美に辿り着いたと感じた時にその作業を止めるという彼の制作過程を見ながら、この手の作品の美しさに対する目が少し開かれてきているのがはっきりと意識できた。
大竹伸朗 「全景」 1955-2006 (東京都現代美術館)