今日は大阪まで出張。ちょっとしたお話をするためである。昨日の夜は、声をかけていただいた長年の友人Y氏と若手を交えて食事を共にする。Y氏は現在要職にあり、仕事に追われ、週に1度くらいは東京にも出てきているという。現世を生きている真っ只中にある。
その席で、私が最近人類がこれまでに蓄積してきた遺産に非常に興味が湧いてきているという話をするが、それ何の話、というような反応でなかなか話に乗ってきてくれない。若手も笑っているだけで全く取り合おうとはしない。この手の話は現役の科学者には禁物なのかもしれない。生存することに必死の時には、この手の話をする人を別世界の人間と見ることがありうる。そんな話をまともに聞いている余裕などありません、ということなのかもしれない。先日の福沢の言葉に倣えば、未だ風韻を生ずるに至らず、ということになる。私とて、この時間的余裕がなければ、そのようなことを考えることなどあり得なかったことははっきりしているので、彼らの気持ちはよく理解できる。ただ、それでよかったのかどうかはわからない。
② 一方、「科学精神」と「技術」を混同することはありえないでしょう。「技術」はけっこう「ひとりでに」生まれるようですから。ここに留意さえすれば、日本でもアメリカでも「歴史的事情」は乗り越えうるという「見解」です。
③ 湯川秀樹が漢文の素養により、「科学精神」を培ったとしても、日本という焼け石に水、あるいはイベントとして忘れ去られてしまうのは当然と思われます。ヨーロッパにおける宗教のあつれきが、「科学精神」の母体とフランス哲学者 Auguste Comteの「三段階の法則」は言っているように見えるのが、このコメントの根拠です。
科学精神を、単に科学の領域だけではなく、ギリシャで見られたという独立した精神による意見の交換、討論、批判という活動を生み出すものとして捉えなおし、それが実践されるような環境を作ることが大切ではないかと思っています。私が目にする環境ではそれが非常に少ないように感じていますので。ただ、これは非常に難しいことだと思います。
オーギュスト・コントにはまだ接したことがありませんので、これから参考にさせていただきたいと思います。貴重な視点をありがとうございました。