昨日の新日曜美術館で素晴らしい人が紹介されていた。
浦上玉堂 (1745年 - 1820年10月10日)
一言でまとめると、武士から文人へ、役人から芸術家へ、50歳という人生の半ばでギア・チェンジした人、あるいはすることができた人ということになるだろう。
若い頃から芸術 (書画、琴、詩) に打ち込み、35歳の時には明からの名琴 「玉堂清韻」 から玉堂の名前を取る。自ら琴を演奏するだけではなく、琴を製作したらしい。そのせいか、仕事もままならず、50歳の時に脱藩・出奔する。当時岡山だけでも2,000人ほどが出奔しており、彼もお咎めなし。二人の子供を連れ、琴・絵を友として、それまでに築き上げていた人的ネットワークを頼りに諸国を渡り歩き、晩年は息子を頼って京都に落ち着いたという。
その間の彼の姿勢には見習いたいものが多い。とにかく、気ままに描く、人に見せるためではなく、自分の喜びのためにだけ描く。自由に伸びやかに。生涯に300点ほどの絵をものしている。彼は中国の文人にその理想の生き方を見ていたようで、深山幽谷に庵を結び、心静かに生きること。また、万巻の書を読み、千里の道を辿るという生き方。
玉堂の生き方には深く共鳴するものを感じる。一つの行き先を指し示しているようにさえ思える。
彼の絵には、小ざかしさがなく、ほがらで、おおらかで、素朴な絵心が表れているという。彼の絵はまだ千葉市美術館で見ることができる。是非彼の作品に直に触れておきたいと思っている。