フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

雪舟展にて A L'EXPOSITION DE SESSHU

2006-11-12 22:28:48 | 展覧会

土曜の朝、山口駅からゆっくりと歩いて県立美術館へ。雪舟という名前は知っているが絵を真面目に見たことはないので、どんな世界が待っているのか楽しみにしながら。会場に入ると、雪舟晩年の肖像画が4枚ほど出ている。71歳の時の有名なものもあるが、見かけないものもある。特に、琵琶を抱えた髭もじゃの雪舟像。どういうわけか、その右手小指が上に立てられている。その姿を見て、急に親しみを覚える。

雪舟 (1420 - 1506)

当時としては長命になるだろう87年の人生を生きた。備中赤浜 (現在の岡山県総社 [そうじゃ] 市) に生まれ、地元の臨済宗・宝福時に入る。その後、京都の臨済宗・東福寺や相国寺 (しょうこくじ) で接客係をしながら絵を学ぶ。当時は 「拙宗」 を名乗っていたらしい。

30代半ば、京都から山口に移り40歳後半まで留まる。応仁の乱の始まった1467年、雪舟48歳の時、庇護を受けていた大内氏の出した遣明船で画家として始めて中国に渡る。そこで本場の絵や風物に触れる。数年後帰国し、九州を遍歴。1486年、大内氏に呼び寄せられ、再び山口に落ち着き、終生その地をベースに傑作を作り続ける。

会場に入ってすぐに目に付いたのは、壁に張り付くように流れる長蛇の列。これは16メーターに及ぶ国宝 「四季山水図卷 (山水長巻とも言われる)」 (67歳の作) に並んでいる人。待ち時間20分。列の外側から観て歩く。春夏秋冬の景色と人々の生活が描かれている。他の絵もそうだが、第一印象は全体に暗く、やや型にはまり、自由に羽ばたくというところがないというもの。ただ、普段見ている景色がよく捉えられていて、これはどこかで見た景色だ、というようなものがあったり、景色に隠れるように描かれている人間が何とも言えず、よい。当時の人の生活を想像させる。どんな話をしあっているのか、彼らの心にどんなことが去来しているのか、想像を掻き立てる。

達磨の絵は以前にも何かの本で見たことがあるが、達磨の顔の印象しか残っていなかった。今回、その 「慧可断臂図 (えかだんぴず)」 (これも国宝) の前に立ってみて、感動すると同時に、この絵の物語をはじめて知ることになる。説明によると、修行中の達磨に入門を頼み続けている慧可が、全く反応のない達磨に対して自らの腕を切り取って差し出し、その意思の固さを示している、というようなところらしい。よく見ると切断面に微かに赤い線が見える。それぞれの表情が素晴らしく、これほどの場面ながら動きがなく静かだ。

他にも人物像があったが、昔の人の表情や姿を見るとなぜか落ち着く。彼らと同時代人になったような気分になり、話しかけたくなる。その異空間に紛れ込んでいるような感覚がひょっとすると頭の中を爽快にするのかもしれない。小錦そっくりの 「韋駄天図」、雪舟が中国で見た人たちを描いた 「国々人物図卷」、草木をなめて薬となるものを探し出したという中国伝説上の医薬の神様を描いた 「神農図」、鯉の上に乗って空を飛ぶご老人 「琴高仙人」 など、など興味が尽きない。

晩年になると、形がはっきりしなくなり墨の濃淡だけで山水を表現するようになる。最初はこちらの方が私にぴったりきたが、いろいろ見直しながら歩き回っている間に、形のはっきりした物語がある山水も捨てがたいと思うようになっていた。

今回その実物に出会うことで、雪舟に興味が湧いてきている。最初に図版集を見ていたら、おそらく見に行こうという気にはならなかっただろう。常に白紙の状態でいて、まずそのものに出会うという姿勢のよい点が今回は出た格好だ。

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