先日のお昼の散歩時、鴎外を文化の翻訳者という視点から見直している本に目が行き、通勤時に読む。
長島 要一 (著) 「森鴎外―文化の翻訳者」 (岩波新書)
鴎外の場合は、単に外国語を訳すというのではなく、西欧のものを日本に根付かせるために、削ったり、付け加えたり、書き直したりしていることを初めて知る。ある場合には原作とは異なる趣のものもあるという。北欧の文学もすべてドイツ語からの翻訳なので、そのための誤りや鴎外自身の誤訳もあるようだ。鴎外にしてこれである。私のフランス語訳にも相当の誤りがありそうだ。ご指摘いただきたい。
鴎外の作家の原点には常に原作(原典)があり、最後まで翻訳の作業は止めなかった。その中で年代が進むにつれて作品を作る手法が変異・発展していった様子もわかり、興味が尽きなかった。最初は西洋小説を日本に移植する作業から始まり、日本の歴史的事実をそのまま書く過程 ( 「歴史其儘」 ) を経てそこから徐々に離れ ( 「歴史離れ」 )、最後は歴史の資料を漁る 「史伝」 に行きついた。彼の心の奥に潜む底知れぬ孤独感が、自分の共感や尊敬できるような人物を求めさせたのではないかと想像している。彼の理想とする女性像や権力に批判的な精神もはっきりと表れているようだ。
彼は若い時から日本に期待され、その重責を果たしてきた。創作の上ではいつも原作がどこかにあり、それを翻訳する人生。その指揮をとっているのは鴎外自身。小説『妄想』の中で作中人物に語らせた次の言葉は彼の心の反映なのだろうか。
「生まれてから今日まで...終始何物かに策(むち)打たれ駆られてゐる...自分のしている事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないように感ぜられる」
「赤く黒く塗られてゐる顔をいつか洗って、一寸舞台から降りて、静かに自分といふものを考えて」みたい。
彼の人生は今ここにない世界に生き、「ここではないどこか」 を求め続けたものだったのではないか、自分の人生を自分の思うように生きたかったのではないか、と著者は考えてみる。しかし、鴎外はあのようにしか生きられなかっただろうと結論する。すべてを操っていたのは鴎外その人だったのだから。
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以前に鴎外の小説 「かのように」 について書いています (13 mai & 22 mai 2005)。
(注)文字化けするため、略字を使っています。