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ショーペンハウアーとは(I) SCHOPENHAUER LE PESSIMISTE (I)

2005-12-03 00:18:07 | Schopenhauer

Le Point の文化欄にはしばしば哲学の特集がある。日本やアメリカの一般の週刊誌では余り印象がないので、いかにもフランスらしいと勝手に思っている。日米とも今どき哲学でもないだろう、というようなところがあるのだろうか。先週の特集はショーペンハウアー Schopenhauer。その昔、名前を聞いた程度だが、現代のすべてに渡って見られる不安(定)な状況に対応する哲学を展開し、今その重要性が増しているというような件があったので読んでみた。

Arthur Schopenhauer (1788-1860)

この特集では、彼がどういう人で、何を見つけて、誰に影響を与え、今なぜ彼なのか、というテーマで7ページに渡って紹介されている。3回に分けて書いてみたい。

彼は何ものなのか? Qui donc était-il ?

彼はダンツィヒ Dantzig (現在のポーランドのゲダニスク Gdansk)に成功した商人の息子として生まれる。父親は息子に Arthur と名づけた。ヨーロッパのどこの国でも通用するというただひとつの理由から。このことはショーペンハウアー家がドイツ人である前にヨーロッパ人であることを示している。父親は Times 紙を購読し、10歳の息子を Havre に出してフランス語を習わせている。母親はゲーテの友人。

息子の教育には、外国語、音楽、劇場、オペラ。しかし息子を捉えたのは思想の世界。親爺は金と縁のない生活を心配して勉学を止めさせようとするが無駄。もし学問の世界を諦めるのであればヨーロッパ一周旅行へ連れて行くという話に16歳の息子はその条件を飲み、オランダ、イギリス、フランス、スイス、オーストラリアなどを巡る2年間の旅に出る。その結果、父親が望んだ通り、世界という本を読むことを学ぶ。この間に決定的な経験をする。

« Dès ma dix-septième année, avant d'avoir reçu aucune culture supérieure, je fus saisi de la misère de la vie comme le Bouddha dans sa jeunesse, quand il aperçut la maladie, la vieillesse, la douleur et la mort. »

(私は素晴らしい文化に触れる前の17歳の頃から、若き仏陀が疾病、老い、苦痛、死を見た時のように人生の悲惨さに囚われてしまった。)

同年代の若者の誰よりも目覚めてハンブルグに帰ってきて、約束どおり商売をすることにする。本を隠し持ちながら。しかし、父親が屋根から落ちて亡くなる。これにはさすがの彼も落ち込み、自殺を考える。最初の欝である。その後、ラテン語、ギリシャ語を始め、医学、哲学に夢中になる。

母親の遺産が入り、彼は一生働かずに過ごすことができるようになると、23歳の時に、世界を理解しようという仕事に一生を費やそうと決心する。30歳で大著「意志と表象としての世界」を完成させ、1819年に出版している。それ以後の作品はすべてこの焼き直しや敷衍であると言ってもよい。若くしての成功は彼を高慢にし、ベルリン大学では20歳ほど年上の大家ヘーゲル Hegel と同じ時間帯に自分の講義を設定する。しかし、超満員のヘーゲルの講義とは対照的にほとんど一人の学生も集められないという屈辱を味わう。第二の欝の始まりになる。

30年の沈黙を経た1851年、« Parerga et Paralipomena » (=A-côtés et omissions) 『パレルガとパラリポメナ』 (『付録と補遺』) で再び世に出る。すでに60歳を越えていた。数年で彼のペシミストで人間嫌い misanthrope の考えがヨーロッパを魅了するようになる。人生は苦しみ、と唱える彼はドイツの仏教者 bouddhiste allemand と呼ばれる。1860年、フランクフルトの居間で心筋梗塞のため72歳の一生を終える。

彼は人生の最高の目的に掲げたことを最終的に達成した。それは哲学者であること、それは取りも直さず存在について理解すること、それ以外はすべて付録。結局、この自己中心的なブルジョアは、考え、作品を書くためにだけ人生を送ったことになる。だから、満たされなかった愛情生活、頑なな独身主義者、パラノイア、フルート演奏、東洋趣味、人間嫌い、反動主義、犬好きなどはほんの逸話にしか過ぎないことになる。彼は自分自身を次のように定義していた。

« Mais qui suis-je donc ? Je sui celui qui a écrit "Le monde comme volonté et comme représentation" et qui a donné du grand problème de l'existence une solution qui remplacera peut-être les solutions antérieures et en tout cas occupera les penseurs des siècles à venir. »

「では一体私は何ものか。『意志と表象としての世界』を書いた人。存在の重大問題について過去の解答に代わる、来るべき世紀の思想家を捉えることになるだろうひとつの解答を与えた人。」

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ショーペンハウアーとは(II)
ショーペンハウアーと現代 

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