ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

筋トレと金トレ・・

2006年06月22日 | 木馬の事
                 
やはり、この花は先日も言った通り、天上の贈り物。
この世に舞い降りてきた神の使い。 対の寄り添う姿は、あるときは、神々しく またあるときは、周りを和ませてくれる。

睡蓮畑から・・  隣の親父さんの写真です。(クリックしてください。)

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  梅雨に入って雨らしい雨が降らなかった江津地方も、今朝方 ものすごい勢いで雨が降った。
 あちこちの庭で、しなっていた色とりどりの紫陽花が、水を得た魚のように急に元気になるだろう。
 昨年は雨不足で、雨が欲しい、雨が欲しい、と騒いでいたけど、(みんなにイリコさんと一緒に雨乞い踊りをしろと強要されたりしたけど・・)今年はナタネ梅雨というんだろう、梅雨前に雨ばかりだったので、幸いに水不足だけは避けられたようだが・・。
 
 雨の午後 江川の写真を撮影に行く。
星高山は、雨で煙って見えなかったが、相変わらず江川はゆったり、たっぷりの水を湛えて流れていた。(写真をクリックしてください。)

  ここんとこブレンド日記もネタ切れだと言ったら、トンボに言われた。
「えっちゃんは、江津の“大石静”【益田に少し関係があるみたいだから】みたいだね、人の事をあることない事 あげつらって、拡大解釈して、面白おかしく脚本を書ているみたいだ。」そおぉ?・・・
「しかし 毎日長すぎる、中高年の○○っこ見たいにだら・だら・だら・だら・と、終わりそうで終わらない。もう少し すっきり切れよく書いたら?」

「ブレンド日記」とかけて、中高年の前立腺肥大の症状ととく。
その心は だらだらだらだら・・・
何それ?

「ねぇねぇイリコさん、ここだけの話 金冷方で鍛えてるとか何とか言いっているが、えらい“だらだら”にこだわっていると思わん?“だらだら”は自分の症状じゃないの?」

この話を聞いた女性のお客さん。「あぁー筋トレね。こちらは(トンボをさして)筋励方で身体を鍛えておられるんですか?いや~いい身体をしておられると思ってました。」
「はぁ?」
「何歳に見えます?」
「50歳代後半?」
「ブーブー。6?歳ですよ。」
「へぇ~とても見えません。」

この会話に気をよくしたトンボ。
「奥さんはいい方ですね、この前お見かけした時から話のわかる女性だと思っていました。イリコ!お水をお代わりしてあげて。」

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 また、だらだらと切れがないと言われそうだけど、これだけ書かして。
う~~ん
わかっているんだけど、W杯 明日の早朝のブラジル戦。
う~ん 明日になればやはりと思うんだろうけど、やっぱりダメだろうね。

そう思っていた方が、万事渋く見積もっていた方が、自分の気持ちの上で落胆が少なくてすむ。いくつになってもケチな性格だね。
しかしケチな性格ながら、オーストラリア戦は勝てると思っていた。この惨敗でもうガックリよ。
おまけにクロアチア戦は勝てると思わないようにしていたが、心のどこかで勝つんじゃないかと思っていた。
これも引き分けでガックリ。

 ブラジル戦は、力や技やテクニックや、総合力では遥かにブラジルの方が上だ。しかし、奇跡が起こらないとも限らない。
万に一つの“ドルトムントの奇跡”を信じて、早起きするかな。

雨 大雨 27℃ 蒸し暑い。

小さな幸せジンクス崩壊。

2006年06月21日 | 木馬の事
花菖蒲。今を盛りに咲き誇っている。
紫は、好きだけど難しい色。だから憧れる。

花菖蒲の花は一度枯れてももう一度蘇る。

足跡をしっかり残すように・・

自分を誇示するように・・

隣の親父さんの写真です。

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 どういったらいいんだろう。小さな幸せとでも言うと少し大袈裟かもしれないが、その事実に遭遇すると、やったぁ!よっしゃ!と気持ちが和むのだ。

 それは、朝 店まで来る時に手押しも入れて信号機が10個ある。(手押しは6ヶ所)
それが、偶然に全部青で全然 止まらなくていい時があるのだ。何ヶ月に一度、いや年に数回かな?

 それがどうしたと言われても、人様にとっては取るに足りないことかもしれないけど、商売を始めてからというか、弱い私が右肩下がりになってからと言ったほうがいいかも知れないが、こんな事で幸せを感じる・・
「いいぞ、今日は一日きっといいことがある。」そう思えるのだ。

 そんないい気分の今日、スーパーに買出しに行った。
買い物は、このスーパーではピーマン、トマト、とイリコさんが紙に書いてくれていたのに、食品売り場にグラニュー糖や、上白糖が山積みされていた。

 人間チラシのイリコさんも間違えることもある。これを買って帰って、「ほら、見落としがあるでしょう。」と言ってやろうと、3袋も(3キロ)買い、重たいのをふうふう言いながら帰ってきた。
「今日 お砂糖安かった?」
「うん、198円だったから、3つも買ってきたよ。」
「どうして紙に書いてない物を買うんですか?明日は112円なんですよ。明日の準備に並べてあったんよ。この損失補填は、どうするんですか?」
怒られた。
「そうだったのか、そうよね、198円は平生価格よね、どうして見間違えたんだろうか?もうプチアルツも末期症状よね。」
損失補填はトンボ邸の畑のパセリと、レタスでします。
今日はいい日のはずだったのに・・トホホ・・

そしたら その損失補填先のトンボが「オカマされた。」とやって来た。
「俺はフェミニストを自負しているから、根本的に女性の過ちは追及しないのよ。やってしまったことは仕方がないからね、とそっと肩に手を置いたら髪が風になびいて いい匂いがしたよ。」
 
ばっかだねぇ、どこまでバカな男なんだろう。

警察の事情聴取の時の会話があきれる。
「勤務先は?」と警察。
「医療関係に勤めています。」とトンボ。
「医師ですか?」と警察。
「まぁ 当たらずとも遠からず・・」とトンボ。
「え、そんな事言ったん?それって職業詐称じゃない?泊まりの電話取次ぎ業じゃなかったの?」と私。
「そんな事ないよ、職場では当直医と寝食を共にして、家では看護士と暮らして35年、田舎の駐在なんて医師も夜警も、医療関係と言ったら区別なんかつきゃせんよ、ちょろいもんよ。」とトンボ。

帰る間際になって、「お見舞いに相手の女性、「きんつば」でも持って来ないだろうか?」
ばっかだねぇ。

いいことある日のはずが、災難ばかり・・
私の小さな幸せ迷信も当てにならない。あぁ~ぁ。

晴れ 28℃
 

昨日に引き続き・・続浦島花子物語。

2006年06月20日 | 私ごと
 折角来たのだから、久しぶりに、子供の頃夏休みとか、いつも泳いだり海草の収集をしたり、貝を採って遊んだ畳が浦に行く事にした。

 ひんやりした風が肌に心地よく、磯の香りが漂う岩穴は、何年か前の水害の被害で通行禁止になっていて、新しくコンクリートのトンネルが出来ていた。

 トンネルを抜けると、千畳敷きの岩と、日本海が広がっていた。
千畳敷の岩盤の間の水溜りにしゃがみこんで、ニナ貝を探した。

ぼべもたくさん引っ付いていたが、道具がないので諦めて、手の届く範囲で、今夜のお酒の肴のニナを探す。

ウミウシというのか、アメフラシとも言う、不気味なくにゃくにゃの生き物が岩に引っ付いていた。

突然「お姉ちゃん!シー内緒、内緒、サザエよ。」
ニナ貝をとっていたら、叫ぶ!「密漁だから、しょっ引かれる。」

なんとも大きな、私の親指大のサザエ。「本当だ、密漁だ。」
童心に帰って、手のひら一杯くらいの量の貝を収獲。今夜のお酒の肴には口汚し程度だな。

熱帯魚のように鮮やかな色をした小魚や、小さい蟹が見える。ヤドカリは危険を感じると素早いね。
広島から来ていた家族ずれが、大きな傘を広げた中で、ポコポコ隆起した岩に座ってお弁当を食べていた。

お弁当を作ってくればよかったね。手ぶらで来たのが残念。

「じゃぁ、どこかで何か見繕って、金城の堂床山に行ってみよう。ドライブウエイで頂上まで行くと、三瓶山や大山も見えるよ。」
こういうことは仕切り屋のサンコー夫人にお任せ、たのんまっせ!

 お弁当も買ったし、今日は私のマーチと一緒、可哀想に総重量1??キロを積んで堂床山へ・・。

勾配30度くらいのドライブウエイ。舗装してある所と、ジャリ道と、ガタゴトガタゴト、頑張れ!マーチ。

馬に乗って頂上を目指す人に出会う。
金城ウエスタンパークのマウンティンコースの観光客らしい。
どうりで、道路に馬の糞があちこち落ちていたと思った。

堂床山の頂上に着いた。(標高400メートル)あまり高くないのに360度見渡す限り、山、山、山、「わお!ビューティフル!」(大山らしき山を撮影、クリックして!)遮るもののない大空間。ワンダフル!

10人くらいの人がお弁当を食べていた。
「ああは、でいせんだがや」
うん?何々?この字幕スーパーなしでは理解不可能な会話・・こまっちさんのブログに出てくる言葉じゃない?
そう思ったら、観光バスは仁多観光だった。

ビールがないのが少々不満だったが、私もアル中じゃないんだけぇ、我慢して、お弁当をぱくつく。美味しいね、そよ風に揺られながら、タンポポが一面に咲いている中に、座り込んで食べた。
昔のお殿様が町が一望できる高い見晴らしのいい山に築城するわけや、IT成金が高いビルの最上階に住みたいわけが分かった様な気がする。気持ちがいいもん。
ハングライダーで風にまかせて、ふわりふわりと飛びたいなぁ~。

 なんだか日に焼けたみたいに腕のほうがひりひりする。
それぐらい日差しがきつく、とても梅雨の晴れ間とは思えない。五月は晴れていても、連日の黄砂で遮られていたから、余計にスッキリ見える。

 さぁ 安光姫が来る時から気にしていた、道端の蕗を摘んで帰ろう。

 今日の幻の故郷、心の故郷、を訪ねて・・

それにしても お伽噺の浦島太郎は本当によく出来た物語だとあらためて感心した一日でした。

 50年前、雨のいまどき、幻の家の庭にはヒトリムスメの可愛い赤紫の花が、咲いていた。
裏山から、ブッポウソウの鳴き声、おやつは毎度、サツマイモのふかしたものだった。
縁側に腹ばいになって、よく本を読んだ。暗くなって字が見えなくなるまで読んだ。
6時になる前に私は縁側のふき掃除。妹は土間の掃き掃除。
ラジオからは、新諸国物語「紅孔雀」が流れていた・・

 このような時から半世紀、戦後の食糧不足の時代や高度成長期や、バブル時代のような、紆余曲折の日々を送ったにも関わらず、時代の移り変わりの速さにについて行けずぐずぐずと、はっきりとした生き方も決められず、あっちつかず、こっちつかずの浮き草のような人生を送って来たとあらためて反省しております。
人生のエピローグは、スッキリと決めたい。
アンコール!アンコール!の声援の中で、これがわたしの希望です。
少々あつかましい?



今日の収獲のニナと蕗。
塩茹でと、キャラぶきにして、頂きました。

晴れ 28℃

浦島花子物語。

2006年06月19日 | 私ごと
 くどいようだが、田舎に来て初めて移り住んだのは、下府だった。

ウグイストリオで“思い出を訪ねて”と題して、本当に50年ぶりに足を踏み入れてみた。

 両のまぶたを閉じると心にしっかり焼き付いている「おっかさーん!」じゃないけど、本当に心に焼き付いている幻の風景がある。
その住まいは、後ろに山を背負い、石垣の階段を7,8段上がったところにあった。

春  
 それは、見渡す限り、一面のレンゲ色。ずーっとずーっと先の山の裾野まで広かるレンゲ畑。子供の頃の印象だから定かでないが、多分東京ドーム2個くらいは入る広さの平野だったように思う。

タニシがいた。タニシを子供のバケツ一杯にした。祖母はとても喜んでくれてお煮しめにしてくれた。
4月3日のお節句には、お重にお寿司や、ご馳走を詰めて、レンゲ畑で日が暮れるまで遊んだ。その中でかくれんぼもした、キャラコの白のズロースのお尻をレンゲの草色に汚しておこられた。レンゲはその後田んぼの肥料に土と一緒に混ぜるので、潰したら刈り取るのが困難なのにもかかわらず、当時の大人はおおめに見てくれていたのだろう。


 それは 田植えがすんだ若草色の絨毯を敷き詰めたような平野に、蛍が乱舞して、夕ご飯のあと、家族で縁側で楽しんだ。
縁側の拭き掃除と雨戸閉めは私の毎日の仕事だったが、戸袋から雨戸を出すのが、一苦労だった。
縁側の端には東京から持ってきた福助ミシンが置いてあったなぁ。
戸袋の所は雨戸が壊れていて台風の時は雨が入り込んでいたので、その箇所だけは、板がささくれ立ってそっていたけど、縁側は何の板を使ってあるか知らないが、黒光りがしていた。


 それは 稲が黄金色にたわわに実り、稲刈りの済んだ田んぼは稲ハデがあちこちに出来て、草焼きの白い煙が何本も立っていた。
稲狩りに来ていた方たちにお昼ご飯の時 縁側を貸してあげて、お茶を出してあげたら、おにぎりとか、マキ芝に包まれた、餡子入りのお餅をたくさんくれた。


 それは 雪がチラチラ積ると、サギが田んぼにやってきて、餌をついばんでいた。
寒い朝は、田んぼに氷がはり、軒には、ツララが出来た。
田の字型の典型的な農家の家は、畳半畳ほどの大きな掘りごたつがあり、かまどの消し炭をジュウノで入れる母の、頭かくして尻隠さずの状態の大きなお尻が、やけに印象に残っている。

 その場所に行ってみた。
浦島の太郎さんはは、多分このような思いだったんだろうと本気で思った。
してみると、浦島さんは、50年くらい飲めや歌へで大騒ぎをしたんだろうね。
 目の前に広がっていた、広い田んぼは、家々が立ち並び、空き地は草ボウボウ、すぐ近くには新しい中学校が出来ていた。

勿論 思い出の家があるはずもなく、近代的な建物で、見違えるばかりの住宅団地になっていた。

小学校も校庭跡に市営住宅が建っていて、校門の片割れがぽつんと残っていた。誰かが 思い出に残したんだろうか?

全てが様変わりした中で 唯一変わってなかったのが、
下府駅だった。当時のままだった。
無人化されていたが、ホームも駅舎もそのままだった。
線路脇の桜の木が大きくなっていたなぁ。懐かしい。
(写真のホームは江津方面、クリックしたら浜田方面です。)

駅から、右に曲がり、線路のしたの隧道をくぐる。
この隧道を出た小川にシジミがたくさんいて、いつも学校の帰りにポケット一杯採って帰った。このシジミの殻を金槌で割って、縁側の下で飼っていた鶏の餌に混ぜるのだ。

この道は線路の土手と山で車一台がやっとの幅だったが、ここだけはそのままだった。
この道を暫く行くと、その幻の家に着く。

この幻の家で、たんすの上に置かれたラジオで落語を聞き、とんち教室を聞き、子供たちが、騒ぐと、「うるさい、聞こえんじゃないか!黙って聞きなさい。」と父親にしかられて、それが終わると、演目についての解説が始まる、「また始まった。どうして聞かなければならないの?」とその時は腹が立ったが、聞かないと怒られた。
そうそう寄席の中で、都々逸の三亀松も自分が好きだからと言ってよく聞かされたものだ。当時は何のことだかわからずに迷惑だったが、今にしてみればなんだか懐かしい。
父親の笑いに一緒になって笑わなければ成らない。そうすると「悦子はいい子だ。」と喜ぶのだ。

♪可哀そうだよズボンのおなら 右と左に泣きわかれ ・・トテチリシャン・・

変なのばかり覚えてる。

晴れ 27℃

民宿「安光の宿」へようこそ・・

2006年06月18日 | 私ごと
 「お帰り・・」
仕事を終えて、我が家に変えると、年のいった仲居さんが迎えてくれる。

「少々 くたびれた仲居ですがお世話させて頂きます。先にお風呂に入られますか?それともお酒?」

 サンコー社長が野暮用で、土曜日の午後から出かけているから妹がお泊りに来たのだ。
いつも、クローン母親と二人だけだから、賑やかなのは嬉しい。

 夜が更けるまで、取るに足りないことをぺちゃくちゃとしゃべり、ビールも(サンコー夫人は全然飲まない)2本目からは、自分で自分に言い聞かす。「女一人で頑張っているのに、こんな楽しい夜は、少々羽目を外しても誰に遠慮があるじゃなしよね。」うん、うん、・・

「男がいないというのは、たまにはいいよね。風呂上りに裸で、うろうろしても、恥ずかしくないし、だらだらしても、なんともないし・・」

そして、3人でまるで修学旅行のようにお布団を川の字に並べて就寝。
「早く寝ないと、誰かのいびきで寝られなくなるよ。早いもん勝ち!」

多分 誰かがこの姿を見たら、トドが、3頭横たわっていると勘違いするんじゃない?
お休み・・

 さて、朝 今日も梅雨の晴れ間、晴天。
「一宿一飯のお礼に、洗濯してあげる。早くお姉ちゃんは、木馬に掃除に行ってきんさい。」

なにもかも全て剥がされてしまった。

そして今日はウグイスカルテットは一名足りませんが、遊びに行ってきます。

どこに?それはまた明日記事にします。

明日覗いてくださいね。


晴れ 28℃

卵の思い出。

2006年06月17日 | 私ごと
花菖蒲。この花も水無月に似合う花・・

以前読んだ向田邦子の作品の中に「花の名前」というのがあったような・・
なんだかこの花を眺めていたらこの話を思い出してしまった。花の名前を付けられている女の人がいるよね、たとえば「あやめ」ちゃん。

主人公が結婚した相手が花の名前をほとんど知らなくて、妻に教えてもらった花の名前を手帳に書きとめて覚えていた。

忘れかけた物語だけど。浮気をした相手が花の名前の女だったとか何とか・・
そのように記憶しているが(曖昧でごめんなさい。)

この花の花言葉は、忍耐、あなたを信じます、らしい。

*******
 
 いくら売り出し商品だといっても、買い物袋を抱えたまま、ずっこけかけて、卵が4個も割れてしまった。

 まともな卵をパックから出し、もったいないからパックにこぼれた透明な白身も一緒に玉子焼きを作って食べた。

 卵を見ながら考えた。(少々しつこい?)

 昔は卵は本当に貴重品だった。
子供の頃 運動会の朝、祖母が必ず「卵を飲んで行きなさい。精が付くから、一等賞になれる。」と、自宅で飼っていた鶏が産んだ卵を、着物の袖でちょこちょこと拭いただけで、卵のとんぎったほうに針で穴を開けて、「ほら、吸って、」と差し出してくれた。

子供が一人で一個食べられるのは、この時だけだったが、私はどうも殻に付いた、糞が気になって、あまり好きではなかった。

あの夏目漱石も、「坊ちゃん」の小説の中で、芋ばかり食べさせられたので、栄養補給のため、生卵を、茶碗の縁でたたき割ってようやくしのいだと書いてあったし、とにかく卵は、ポパイのほうれん草の如く、栄養補給食品だったのである。

下府に住んでいた時 縁側の下に網を張って飼っていた鶏が一日3~4個卵を産むようになって、父親は卵が一つ、私達は、3姉妹で1個の卵を丼にいれて、お箸でかき混ぜながら、お醤油で量を増やし、お茶碗を並べて順番にかけて食べた。すると どうしても順番から行って私の中に、ずるずるした白身がすべり込む。
「わぁ~!」声になる。
その時の思いが今も残っているのだろう、フライに衣をつけるときなど、全卵を混ぜる時にフォークで親の仇打ちでもするような顔つきで混ぜるので、イリコさんに笑われる。

 だからといって卵は大好物で、子供の時早く大きくなって、一人で、黄身の一杯の卵かけご飯が食べたいと、本気で思っていたのだから・・


晴れ 27℃

不 経済の話。

2006年06月16日 | 四方山話
和木海岸の夕間暮れ。

これこそ嘉戸の灯台が見えますよ。(クリックして見て!)
私が子供の時に比べて、かなり砂浜が少なくなり、道路からすぐ水際になっている。
風のひどいときには、産業道路は、海水に浸るところもある。

 木馬のインテリグループに聞いてみたら、陸地が少なくなっているという事には、小さい原因は色々あるが、日本列島は年間約3センチくらい地盤沈下しているとか・・(地球規模の環境破壊により)
10年で30センチだよ。30センチ!・・
江津は日本海を背に負っているので、目測してみたら、ここがウォーターワールドになるには、私がこの世から消えてからという計算になった。

竜宮城のおと姫さまになりそびれたなぁ。残念じゃ~。

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  さて ヒルズ族が、次々と逮捕されて今度は魚眼レンズのような、村上ファンドの村上世彰代表が、インサイダー取引容疑で逮捕された。

 この手の濡れ手に粟のような、錬金術に私はとんと縁がないし、経済の仕組みなどという難しい事もチンプンカンプンなのだが、私が興味があるのは専ら、世の中の大半を占める 我々のような働いても働いても、老後が不安な一般ピープルを見下したような、ヒルズ族の、発言の数々なのだ。
この魚眼レンズの発言の中で、「皆さんが私が嫌いなのは、私がお金を儲けちゃったからですよ、確かにものすごく大儲けしました。」この発言のような、生き馬の目を抜くと言った方がいいのか、社会の金の動きの流れをを利用するというすばしこさ、あのホリエモンや、楽天の三木谷社長でさえも、この魚眼レンズの手のひらで遊ばれていたような気がするのだが・・。

 しかし、他の人はどうだか知らないが、私は同じ格差社会といって大儲けした人達でも、イチローとか、松井とか、中田英寿とか、の頑張る大儲けは、いいなぁ、あんな子供を持つ親はどんなに自慢だろうとか、つい羨ましさも通り越して、日本人として誇りにさえ思ってしまう。

  話が後先になったが  ここに来て、高野豆腐のような顔をした日銀総裁が、インサイダー取引容疑で逮捕された魚眼レンズ率いるファンド会社に一千万円を拠出していて、一千五百万円儲けたと書いてあった。
 まさか、日銀総裁ともあろうお方が、地位を利用して濡れ手に粟で利殖を図ったわけでもなかろうが、『瓜田に履を納れず李下に冠を正さず』という高校のときに習った漢文を、思い出してしまった私です。

 昨日の毎日新聞にも書いてあったが、「金があるものは金があるために不正な事をし、金のないものは金がないために不正な事をする。」・・武者小路実篤の言葉らしい。

それでこの一連の記事で思ったことは、十万円を二十万円にすることは難しいが、一千万円を二千万円にすることは容易い。・・睡魔おそう作

 思い起こせば、私も昔相当の金額の先物取引をした。
愛想無しファンドは機能しているのだろうか?

今日の写真は、この記事とはなんら関係がありません。
まごまごの写真です。
晴れ 26℃ 

「夏の闇」を読んで・・

2006年06月15日 | 本の事
 水無月に一番似合う花。

梅雨入り宣言を聞いて、初めて朝 雨が降った。
 紫陽花の花を見て、こう考えた。
いつ頃から、この場所に毎年咲き続けているんだろう。などとえらそうに昨日の漱石続きで「草枕」の書き出しの真似をしてみる。

 紫陽花の花越しに隣のはき出しの窓が開き、今は亡きあの春画の杯をくれたおばさんが、手招きして、色々な食べ物をくれた頃を思い出してしまった。

 子供の頃から、食べ物に好き嫌いがないのだけが自慢だったが、宮崎出身だと言うおばさんが、時々実家に帰ってお土産にくれたこのあく巻きだけは、好きになれなかった。

「これはね、田舎ではご馳走でね、灰のアクでコトコト、コトコト、3日3晩かけて、餅米を煮て作ってくれたものよ。」

「灰で?」「そう、くど(かまどの事)の灰で煮るのよ。」
子供の時、くどの灰は、お茶碗を洗ったり、お鍋の真っ黒になったのをタワシで洗ったりしていたので、その灰で煮る、というそのことが、なんだか人間の食べるものではないような気がして、そう思って食べると、ますます喉を通らなかった。(時々灰が付いていたし・・)
「お砂糖や、黄な粉をかけて食べるのよ。あまり置くと固くなるから早く食べて、美味しいでしょう?」

ねばねばした竹の皮をはがすと、中から、薄茶色の米の粒が残っているかまぼこ型のお団子が出てくる。
白砂糖をかけて、たべると、確かにすえったような、言われて見ればくどの灰のようなにおいと味がした。
嫌いというとおばさんに悪いから、「美味しいね。」そういうと、喜んで「甥は嫌いだといって食べないんよ。」

とてもじゃないが、美味しいといって食べれるものではなかったが、無理して息を殺して食べた。いい子ぶっていたんだろう。

今朝 ラーフル夫人に紫陽花とこのあくまきの思い出について話したら、「あれは鹿児島が本場よ、嫌いよ、美味しくないよね。今度買ってきてあげようか?」
そういった。
ラーフル背の君の出身は鹿児島だから・・

なんだか話のついでに思い出した「あくまき」だが、 無性に食べてみたくなった、懐かしい、今なら食べれそうな気がするが・・

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 夏の闇・・(新潮文庫)ー 開高健著を読む。

 読むきっかけは、週刊新潮に小池真理子がこれぞ名作中の名作と紹介していたので、読んでみる気になった。(アマゾンで購入)
開高健の文章は週刊誌にお魚の「イトウ」を釣るまでのエッセイを書いていたのを以前読んだくらいで、正式の本は初めてだった。

 そこがどこなのか舞台は定かでない。登場人物も「私」というジャーナリストと、そこに転がり込んでくる「女」だけ。
 「私」はベトナム戦争取材の極限の状態から離れ、普通の生活に戻ろうとするが戻れない、直ぐに何もかもに"倦(あぐ)んで"しまう。
そして、「女」と暑い夏の間、川のほとりに立つ、ナンキン虫の出るような薄汚い学生下宿で、共棲生活を始める。
二人は 食べて、飲んで、まぐわって、語り合い、罵り合い、涙をこぼし、笑い、また語り、また涙し、攻撃し続けて、まぐわう。

鬱気味に引きこもって、太り続ける「私」の怠惰な生活が事細かく書かれている。

確かにこのストーリーは10年ぶりにあった「女」との愛の生活を描いた物だが、「私」の「心の闇」を書いた物であると思う。
だから かつて命を落としかけたベトナム戦争で、戦況が大きく動いたことを知った主人公は、再度のベトナム行きを決意するのだ。そこにこそ自分の存在意義があるかのように・・・

この話とは関係ないけど、「心の闇」は昨日書いた、畠山鈴香容疑者も、この前の我が子を5人も殺した、母親(騒音おばさんに似ている)も動機がわかりにくいと言うことで、この言葉が(心の闇という)つかわれているが。

心の闇とはなんなのか、決して裕福ではなかったけれど、一応衣食住足りていた私には、理解出来ない言葉のようだな。

雨 後曇り 夕方晴れ 25℃

なにもかも、破壊されつつある。

2006年06月14日 | 四方山話
 虞美人草(ポピー)
    
 哀しい項羽と虞美人の故事にちなんだ、愛らしくも美しい花です。

項羽が戦いに敗れて死んでしまった時、愛する虞美人は、項羽の詠んだ歌で華麗な舞を舞い、自ら刀を刺して死んでしまった、その時のあふれた血の中から咲いた花なんだって。(さすがにこの花のエピソードは私とは全然違う。)

私は夏目漱石の「虞美人草」を思いだして、そして、麻薬の芥子を思い出してしまった。
この時期 江津では保険所の職員が、けしの花を摘み取るところがいつもテレビで放映されるから・・

隣の親父さんの写真です。


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 また事故!

夕方 6時過ぎ突然「ガチャーン」すごい音が・・
 すわ!「事故だぁ~。」
国道9号線は事故多発地域。事件記者もどきの私は、「ザ、商社」のTちゃんを店番させて、デジカメ片手に出動!
ぶつけた車は、エアーバックが助手席まで出ていた。初めてエアーバックの出た車の事故を見た。怖いね。

パチパチ、現場写真撮ってたら隣の親父さん発見。後はおまかせ!

8時ごろまで、大渋滞・・事故にはくれぐれも気をつけましょうね。
なんか、今度は私が起こしそう・・

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 昨日の生活保護の話の続きなんだけど、連日メデァを騒がせている、秋田の小1男子殺害事件の容疑者で逮捕された女は「体調不良」で働けず、生活保護をうけているという。
それでも車も持っているし、一戸建てのいい家に住んでいて、パチンコ屋に勤めていた頃は、毎月携帯電話に7万円もつぎ込んでいたと語っていた。

 子供にカップめんばかり食べさせても携帯と車は手放せない、なんだか、すごく今の若者を象徴しているように思える。
子供が、子供を生んで、どうしてよいかわからず、かといって自分の楽しみを子供なんかに犠牲にされたくない。

 昔の女性には 母性本能があった。“寝ていても団扇の動く親ごころ”とか、美味しい物をもらっても自分より子供に食べさせてあげたいとか、そういう所謂女しか味わえない子供に対する愛情が満ち溢れていた。
ところが、最近の若いもんは(ここらですっかり、私もお婆化しているが・・)母性本能って何?関係ない、それより大人になりきってない事の方が問題なのだ。
大人であったなら、母親であったなら、子供(自分より弱いもの)には、保護的に(守ってあげる)ならざるをえないであろう。
それが、図体ばかりは大きくても、成長してなくて(精神の部分が)子供とレベルが同じだから、あんなに残酷によく知っている近所の子供を、まるで虫けらでも殺すように殺せたのだろう。

 話はそれてしまったが、女の住んでいた団地は、(私はあんな家に住みたいと常々思っていた、平屋で、風が吹いてもびくともせず、こじんまりとした・・)過疎に悩む地方自治体が、町に住んでくれる、若い世代の定着を狙って、建設された物だと言う。

 田舎には、若者がみな都会に出て行って、年寄りばかりになるからと、過疎対策の一環として住宅を提供して、「自然豊かな田舎でのんびり過ごそう」とかのキャッチフレーズで募集していたな。
 
 そういえば、サンコー社長の生まれた浜田市弥栄でも何年か前、25年定住してくれたら、その家を安く払い下げると言う条件で、都会からのIターン家族を募集して、来てくれた家族の話が新聞に出ていた。
その後 あの話は あの家族たちは、そう思って聞いてみたら、サルが出てきて、外に干しておいた洗濯物は、引きちぎるわ、玄関の戸や窓は勝手に開けるわ、子供なんて昼寝なんかさせられない、食べ物はとるわ、イノシシは出るわ、蛇もでるわ、で早々に都会に帰ってしまい、今は空き家になっているとか・・

 いくら自然一杯といっても、こんな野生動物と共存共栄は動物園に勤める調教師くらいしか出来ない。

 昔は 野生動物の世界に人間は入り込まなかったし、野生動物も里にはよほどのことがない限り降りてこなかった。
どこかで、地球規模の環境破壊が起きているんだろうね。

曇り 27℃