おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

アラファト議長はどこへ行く…。

2004-11-06 06:57:55 | 我思う、故に書くなりよ。
どこって、フランスにいるんだが生死を彷徨っているとの事である。

この人は一体何者か? 近代の中東史を学ぶと必ず避けて通れないのがパレスチナ問題。その問題のキーパーソンであるが、簡単に言っちゃえば「過激派の親分」である。

過激派の親分でありながら、ノーベル平和賞を貰ってる所に複雑な背景がわんさかあって、これをまとめて書くのも大変だから書かないが、親分はパレスチナ・アラブ人の国家の代表者でもある。で、元々パレスチナ・アラブ人ってのは「国家を持たない」人々だったワケで、その人達が漠然と暮らしていた所に「イスラエル」と言う国が出来ちゃった頃から、ドンパチが始まって、現在に至るって感じ。

元々はアル・ファタと言う過激派の親分をやっていた。数あるパレスチナ・アラブ人の過激派組織の中でも最大派閥の親分と言う事である。そして、イスラエルと戦っていたが、この過激派組織が1つになる動きがあった。パレスチナ解放機構(PLO)の設立である。国家を持たないパレスチナ・アラブ人の代表組織がここに誕生したワケだが(1964年)、これは何する組織かと言うと、イスラエルと戦うための組織なんである。設立当初のパレスチナ憲章にはイスラエルの完全破壊なんて条文があったりする。(今では無いらしい。)国を(無いんだけど…)挙げてイスラエルと戦うって組織だ。

すげえ国(無いけど…)だなぁと思うかもしれないが、国民に当たる一般のパレスチナ・アラブ人の総てが過激派と言うワケではない。代表組織が出来た事で、いろいろと活動が出来る事を喜んだものの、PLOの動向を見ているうちに嫌気が刺した人々も多いのである。まぁ、支持、不支持って聞かれると支持だけれど、両手を挙げて歓迎するかと問われれば「しない」って事だと思う。

まぁ、それ以来、イスラエルと未だにドンパチを繰り返しているワケで、ゲリラと軍・警察の報復の応酬が続いている。そもそも、お互いの存在すら認めないワケだから、話し合いになるワケが無く、元を辿るととんでもない歴史を遡るワケだから、無理も無い。

ところが、無益な殺戮の応酬を周囲が放置するワケも無い。国連だって口を挟むし、超大国だって口を出す。そんな中で「お互いを認めよう…」と言う歴史的な動きがあった。88年にはPLOが国連でイスラエルを承認し、テロ活動をしないと宣言する。93年にはイスラエルがPLOを承認し、合意したのである。(オスロ合意)まぁ、ガザって所でPLOが自治活動してもいいよ、って事だ。この歴史的な合意に対して、ノーベル平和賞が贈られたのである。

95年には正式にパレスチナ自治政府って物が出来て、99年には晴れて独立、ここでめでたしめでたしで良かったはずなのに、ドンパチは続いている。それは、お互いの過激派の中にこの動きに反対する組織がテロ合戦を始めたからだ。

そもそもが過激派の集まりだから、無理も無い気がするが、アラファトの親分だからこそ「合意」にまで辿り着いたとも言える指導力が、彼にはあったのだ。また、世界は和平を望み、彼の背中を押した。その彼が生死の境を彷徨うとなると、パレスチナは、イスラエルはどうなってしまうのだろう? 親分は次期親分を育てていないとも言われている。彼の代わりに、PLOを和平へ向けて進める指導者がいないのだ。過激派の親分は他にもいるので、親分衆で共同管理って線が強いが、過激派は何人集まっても過激派なワケで、楽観視は出来ない。

だから、アラファト親分の生死が世界中で心配されているのである。遅きに失する感じがしなくも無いんだが、偉大な「まとめ役」を失うと、世界が困る。アラブ・ゲリラのハイジャックで世界が震えるのは2度と御免だからね。オリンピックでイスラエルの選手を殺しちゃうとかもあったし。

それはそれは血生臭い人生だったかも知れないが、本音を言えば、まだまだ死んで欲しくは無い人物なのだ。パレスチナの安定を図るために、人工的に生命が維持されているとも言われている。

少なくとも、ある程度の安定が図られるまで、彼は死ぬに死ねないのかも知れない。

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