近所の川にもいそうな感じがする。
不忍の池で産卵していた立派なのと比べると、ちと妖しいが、サイクリングしながら川面を覗くと、亀がすいすい泳いでいたりするので、ミドリガメかぁ…と、見過ごしていたりするんだけれど、明らかに「アタマが大き過ぎる」とか「甲羅がガメラ並にヤバイ」ってのが一緒に泳いでいたりする。
自転車を止めて、近づこうとしても無理だったりするので、ハッキリと確認したワケじゃあないんだが、明らかにいてはイケナイ存在がそこに存在している雰囲気が感じ取れるんである。まぁ、ミドリガメだって、そもそもは日本にいた亀じゃないしねぇ。
そうした連中がいても、見掛け上はあまり困らないんだけれど、日本固有の種が絶えてしまう原因になるので、人知れず困った問題だからニュースにもなるのだが、そうした日本固有の種を今まで大事にしてきたか? と言うと、ごく一部の「種」に限られたワケで、近所の川なんか固有種どころか、全てが死に絶えた…時期もあったのを知っている。意図的に河川の美化事業に力を注いだことで、とりあえず「鯉」が河に戻ったのだが、錦鯉がこの河の固有種なワケが無い。
あんがいと、チグハグなコトやっている割には新参者にはウルサイのである。
まぁ、危惧されるものは危惧して悪くは無いので、何でもアリよりはマシだと思うが、本来がどうだったのか? 定かでもないのに変な話だと思えるんだけれど、その辺はどーでも良いのかな?
そうした身近な自然への目配りを全くして来なかった故に、急に厳しい目を光らせる所に役人の無能さ炸裂って感じがありありとしている。河をキレイにすること、そこに住む動植物を深く考えてみること、そうした先にやっておかねばならないコトを省いて「自然を守る」なんてのは恣意的に自然を曲げるコトになりそうな話だと考えなかったのだろうか…。だからと言って、ワニガメだらけでも困るのだが、基本と言うか、根本を学習する機会を省いちゃダメなんである。
地域によっては、1つの河川を学校教育として永く研究している所もあったりして、環境の変遷が受け継がれている場合もあったりする。小学校の6年、中学校の3年、高校の3年と言うスパンじゃ眺めきれないものだけれど、それを受け継ぐコトで、自然に目配りが出来る仕組みが受け継がれるコトが素晴らしい。
こうした長期的な研究は地道で、すぐに結果が出たりもしないコトが普通なので、途中で消えてしまうコトが多々ある。学校と言う単位で言えば、安全管理って観点からそうした課外授業に消極的なところが増えてしまったみたいだ。
何か、街ぐるみ、学校ぐるみ、それも小学校から大学まで一緒になって永く続けていける自然への取り組みを応援できる仕組みが生まれたりはしないものだろうか?
そうした取り組みなら、遠慮なく、自己責任で飽きるくらいにやっていい…と言う環境が中学時代にあった身としては、ワニガメ1匹でも考えるコトは多く、そうした問題に子供が目を向ける環境が無い…ってのは寂しい。
不忍の池で産卵していた立派なのと比べると、ちと妖しいが、サイクリングしながら川面を覗くと、亀がすいすい泳いでいたりするので、ミドリガメかぁ…と、見過ごしていたりするんだけれど、明らかに「アタマが大き過ぎる」とか「甲羅がガメラ並にヤバイ」ってのが一緒に泳いでいたりする。
自転車を止めて、近づこうとしても無理だったりするので、ハッキリと確認したワケじゃあないんだが、明らかにいてはイケナイ存在がそこに存在している雰囲気が感じ取れるんである。まぁ、ミドリガメだって、そもそもは日本にいた亀じゃないしねぇ。
そうした連中がいても、見掛け上はあまり困らないんだけれど、日本固有の種が絶えてしまう原因になるので、人知れず困った問題だからニュースにもなるのだが、そうした日本固有の種を今まで大事にしてきたか? と言うと、ごく一部の「種」に限られたワケで、近所の川なんか固有種どころか、全てが死に絶えた…時期もあったのを知っている。意図的に河川の美化事業に力を注いだことで、とりあえず「鯉」が河に戻ったのだが、錦鯉がこの河の固有種なワケが無い。
あんがいと、チグハグなコトやっている割には新参者にはウルサイのである。
まぁ、危惧されるものは危惧して悪くは無いので、何でもアリよりはマシだと思うが、本来がどうだったのか? 定かでもないのに変な話だと思えるんだけれど、その辺はどーでも良いのかな?
そうした身近な自然への目配りを全くして来なかった故に、急に厳しい目を光らせる所に役人の無能さ炸裂って感じがありありとしている。河をキレイにすること、そこに住む動植物を深く考えてみること、そうした先にやっておかねばならないコトを省いて「自然を守る」なんてのは恣意的に自然を曲げるコトになりそうな話だと考えなかったのだろうか…。だからと言って、ワニガメだらけでも困るのだが、基本と言うか、根本を学習する機会を省いちゃダメなんである。
地域によっては、1つの河川を学校教育として永く研究している所もあったりして、環境の変遷が受け継がれている場合もあったりする。小学校の6年、中学校の3年、高校の3年と言うスパンじゃ眺めきれないものだけれど、それを受け継ぐコトで、自然に目配りが出来る仕組みが受け継がれるコトが素晴らしい。
こうした長期的な研究は地道で、すぐに結果が出たりもしないコトが普通なので、途中で消えてしまうコトが多々ある。学校と言う単位で言えば、安全管理って観点からそうした課外授業に消極的なところが増えてしまったみたいだ。
何か、街ぐるみ、学校ぐるみ、それも小学校から大学まで一緒になって永く続けていける自然への取り組みを応援できる仕組みが生まれたりはしないものだろうか?
そうした取り組みなら、遠慮なく、自己責任で飽きるくらいにやっていい…と言う環境が中学時代にあった身としては、ワニガメ1匹でも考えるコトは多く、そうした問題に子供が目を向ける環境が無い…ってのは寂しい。