おじたん。的ぶろぐ生活。

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ミート ザ 暴挙。

2007-06-22 12:00:05 | 我思う、故に書くなりよ。
ミート社長「自らの指示で7、8年前から」 会見で表明(朝日新聞) - goo ニュース

コストが下がれば何でもアリ…な企業が誕生してしまった。

この会社、何がスゴイかと言えば、その何でもアリっぷりが『次元が違う…』と言うところにある。雪印乳業事件や不二家事件を軽く超越してしまうレベルの高さ。ここまで来ると『極み…』って感じで…

「どーんと来いっ! 食の安全っ!」

と、従来の常識のそのほとんどが意味をも成さない様だ…。

こうなると…

「いったい、我々は何の肉を食ってきたのか…」

全くの謎と不安が怒涛の如く押し寄せるのも当たり前。なんせ「牛肉カレー」の発注に対して、牛肉が無い…って時点で肉屋として変なのだが、他の獣肉を使ったとされている。ニセモノとか、ホンモノとか、そうした次元に既に無いので、偽装だの偽造ってのも同じく無い。

「このカレーうまいな…」

って、喰ってる肉が鹿だったりするワケだから、モノによっては「当たり!」な場合もあるんだが、さらなる高みを目指しちゃっているので…

「食用に適した食材としての肉だったのかどうか?」

も、判らないと言われているんである…。「混ぜちゃえば判らない…」と、言うタイプの食品ともなると「肉に見えれば…」と、この際、肉でなくても混じっていた可能性があるとも言われている。

「喰っちゃって、大丈夫だったのだろうか…」

まぁ、でろでろに腐ってでもいない限り、加熱しちゃえば大抵は食っても死んだりもしないのだけれど、そうした不安もさるコトながら、BSEとか、新鮮であっても使うべきでない部分の肉なんか、そもそも流通として乗らないとは思うんだが、心配になったりもする。そうした不安を起こさせる様な部位までもが混ぜられちゃったらしいと。

そうした健康に関する不安とは別の不安もある。宗教上の理由で、食してはイケナイ食材を騙されたとは言え、食べてしまった精神的な損失は、日本人にはなかなか判りづらいことではあるが、それだけで自らの命をも絶ってしまうほど戒律を厳しく重んじている人々も日本にはいるのである…。アメリカなら超巨額な補償裁判となり、実際に補償しなければならなくなりそうな問題なのだ。

いろいろと関連する記事を読んでいて驚いたのが、CO-OPの報告書。

なんと『牛肉コロッケ』の味の異変を感じ取っていた人が僅かながらにいたコトが報告されているのである。その異変が「品種」の違いなのか「品質」の違いなのか定かじゃないが、普通なら「おいしかったな…」で済んでしまうだろうトコロ。全く羨ましい舌の持ち主である。

また、こうした暴挙が内部告発で事前に外部の、それも然るべき機関に寄せられていたにも関わらず、ほぼ無視されていたことである。

まぁ、告発先の相手が役人なので単純に面倒臭いのでやらなかっただけではあるが、普通に仕事してくれていれば、少なくとも得体の知れない食材が流通しなくても済んだコトは間違い無い。サンプルが持ち込まれていたにも関わらず、受け取りもしなかったとなると、その様から言えるのは「いったい何の仕事をしている連中なのか?」ってコトだな…。ま、それが「役人」でもある所以だろうけれど…。

「さぁ、今日の『牛肉コロッケ』は何の肉かな? さとし、お前判るかな?」
「パパぁ、今日の『牛肉コロッケ』は鹿と豚の合挽きだよ!」
「まぁ、さとしったら合挽きなんて知っているのね? ママは羊だと思うわ…」

そんな微笑ましい一家団欒の食事をさりげなく襲う恐怖が現実のモノなんだけど、極みを見た暴挙の詳細が本当に語られない限り、本物の恐怖が見えては来なかったりする。

「我々は何を食べてきたのか…。何の肉だったのか…。」

謎の解明が急がれるし、隠されること無く明らかにされなければならない…。


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