おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

やぁ!やぁ!やぁ! 宗教がやってきた!

2006-05-12 05:03:52 | 我思う、故に書くなりよ。
ここ最近、ご無沙汰だったんだけれど、カモがやってきた。

「うぐいすが良い声で鳴いてますねぇ…」

ドアを開けたらこれだよ。ばばあだけに言うコトがなかなかおしゃれだ。

まぁ、無職だし、用もないのにうろうろするたちでも無いので、何かしらの訪問を突然受けたりするコトがままある。詐欺まがいのリフォームだったり、得体の知れないアイテムの訪問販売だったり、それこそ様々だが、宗教ってのが一番イヤらしく、しつこく、大嫌いなのだが、暇つぶしにはもってこいな相手だったりもする。

以前、来たのは若い(と、言っても30代だろうけど…)おねえさんが2人だった。キリスト教系だと言い、聖書を一緒に学ぼうと言うのである。アプローチとしては正しいねぇ。だが、相手が悪かったなぁ。聖書をそらんじられるほどでは無いが、概略も歴史的な背景もしっかりと知っている。そこから見て取れる現実との相違点や疑問点の幾つかも知っているし、それに対する法王庁の回答の歴史的変遷なんてのも一応は知っている。だてに、薄ら暗い聖墳墓教会の中のゴルゴダの丘を訪ねているワケでは無いのである。

でまぁ、ヒマなので時間は幾らでもあるので、お相手を始めたのだが、相手にならんワケで…

「で、そっちの巨乳のねーちゃんは俺に仲間に入って欲しいの?」

と、率直に聞くと、面白い様に凍りつくんである。間違いなく客観的な事実をストレートに表現したのは無理も無い。私が目論んでいるのは「巨乳大好きSEXしまくり妖しい壷高額売りつけ馬鹿儲けウハウハ教団」の「教祖」なのだから。

まぁ、それだけでは可哀想なので、彼女らの浅い知識に対する反論をみっちりと申し付けてあげた上に、彼女らをスカウトしてみた。

「あんた、渋谷あたりのバカな高校生騙して信者にしなさいよ。とりあえず5人でいいや。あんたは巨乳だから、金持ってそうな老人騙して連れて来なさいよね…。今なら下っ端じゃなくて、あんたら『幹部』にするしぃ…」

せっかく出してあげたコーヒーも飲み切らずにいそいそと彼女たちは帰っていったきり、2度と顔を出さないのだが…。

で、今度の相手は「ばばぁ」と「じじぃ」。まぁ、50代のカップルが唐突に現れて、いきなり「うぐいすが…」。

彼女らもキリスト教系と言う。うぐいすはともかくとして、名を名乗れぃ。

「申し遅れました。私ども○○△△の会と申します。」

いいから、名を名乗れぃ。

「今日は私どもが幸せのよりどころとしている主様の教えをぜひ知って…」

さぁ、名を名乗れぃ…。

「主の残された教えの通り…日々の生活の中で様々な災いに…うんぬん…」

どーしても名乗らない気だな?

当たり障りの無い挨拶で様子を伺いつつ、そっちのペースで一方的に話を遠慮なく進めるトークによどみが無く、かなりの手練れな感じ。だてに歳を取ってないな…。

よし。そうならば、こっちにも考えがある。延々と話を聞く振りをし続けた挙句に喰らわせる「盗聴エディ作戦」だ。最初から話を聞く耳を持たなかったり、おかしな言動で揺動してしまっては面白みに欠けるから注意が必要だ。

まぁ、つらつらと話を聞くと、大したコトは言って無い。要約すると、主の教えの通りに生活をすれば、それなりに幸せが約束されるであろううんぬん。勧誘としては至極真っ当だが、今の世の中、そんな話を聞いて

「そうか! 主って素晴らしいなっ! なっ! 俺も混ぜてっ! ぜひっ!」

とは、余程のコトが無い限り無いよねぇ…。考え様に因っては、主は素晴らしいともなるのだが、主は2000年も前の人である。しかも、ロンギヌスに槍で刺されて死んじゃったし、3日後に生き返っちゃう人である。2000年後の常識で考えたら微妙な人じゃないか。少なくとも、俺がそんな目に遭ったら、恐らく死んだまま…。

そんなこんなの主が残した聖書をよく読み、そこから日々の生活をうんぬん…ってのも判らないではないよ。決して悪いことが書いてあるわけじゃないんだし、そんなこんなを実践するのも悪いことじゃあ無いのだけれど、時代によって、拡大解釈し続けた挙句に分派し続けてゴチャゴチャになったあんたらの「主」はどれなのよ? どの「主」が「主」で、しゅらしゅしゅしゅ…なんだかサッパリだろうに…。

んでまぁ、結局、おばちゃん40分ほど熱弁を淀みなく続けたワケで、

「何か、信仰されている宗教はあります?」

と、きた。

「あー。うぐいす、どこですかねぇ?」

おばちゃんの目が険しくなる。まだまだ修行が足りんな…。その後ろのおっさんは「こりゃ、ダメだ…」って顔してる。

「ボク、うぐいすは食べたコトないです。あるでしょ? お餅。みどりの…」
「草餅の方じゃないですよ。みどりの。知ってるでしょ? うぐいす。」

何か言いたげだが、険しい目付きのままおばちゃんは立っているんである。もう一押しである。

「主はうぐいすを食べろと言うんですね? みどりのが。みどりのでしょ?」
「うぐいす食べたからうぐいすって言うんですね? そうなんでしょ。そうだ…」

とか、言いつつ、うやうやしく頭をさげ、おばちゃんとおじちゃんが去っていくのを危ない目で見続ける。

「うぐいすー! うぐいすー! みどりぃー! みどりぃー!」

彼女らの姿が完全に見えなくなるまで、通りに出て2人の後姿にうぐいすを浴びせ掛けたから、恐らく2度とは来ないであろう。いい歳したおっさんが平日の昼間にヒゲむじゃらで現れた時点で彼女らは気付くべきだったのである。

『ヤバイ家来ちゃった…』

と。訪問販売ならいざしらず、宗教の勧誘ならばそれなりの覚悟と、しっかりとした推薦理由とその根拠が伴わなければならない。ましてや、現代にである。神様がいかに超人で、ミラクルなのかを熱心に説いたところで、おいそれとそれを信じて身を捧げるだけの「実」がどこにあるのか? 宗教を全否定するワケでは無いが、信じるだけのしっかりとした裏付けが無いままに勧誘したところで、疑問が消えて無くなるコトは無いんである。そーした矛盾をさておいて、妄信して生きていられるほど世の中甘くは無かったりするし、それが妄信の先で解消されるコトも無いもんだ。

そんな点を踏まえたら、私の方がよほど上手く勧誘出来る自信はあるのだけれど、やはり「邪宗」的な方向性で無いと全く面白みが無い。騙してナンボ…ってのがせいぜいであって、これはどの宗教でも突き詰めれば同じだろうと思う。純粋に心を探求するコトで、安らぎを求めて日々の活動を行っている宗教なんか数えてるのもバカらしくなるだろうし、人が集まれば、金が動き、考えがまとまれば、やがて政治に顔を出したくなる力が生まれてしまう。肥大化してそうなった団体が、純粋に心の探求を目指すものなら幾らでも信じようと思うが、現実は全くそうじゃない。出発は純粋なのかもしれないが、広まること、広めることを繰り返すうちに「おかしく」なってしまう。

それは、そこに「神様」がおらず、「人間」がいるから。そう言えば、神様が直接勧誘に来たりはしないな。来るのは「人間」ばっかりだ…。

 



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