おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

100人を超えてしまった…。

2005-04-28 14:04:38 | 我思う、故に書くなりよ。
今回の大きな事故。乗客もろとも運転手を自爆に追い込んだ「教育」と言う名の前近代的な強制なり強要の結果じゃないかと言う話も出て来ている。実際に他の裁判の判例上そうした指導が行われている事が判っているし、現在もそうした指導教育が行われている事が確認されている。

そうしたプレッシャーが指導上必要だと、JR西日本の会長も認めているが、その内容があまりにも現実と解離していて、指導を受けた者が自殺に追い込まれる事になっていて、到底運転技術の再教育とは思えないものである事を理解している上での発言なのか疑問が残る。また、そうした指導を行っている事に対して、企業に責任が無いと判断した裁判も何を見ているのか疑問が強く残る。ペナルティーと言う意味では何となく理解出来る面もあるが、それだけでは得られる物は少ない。

技術が未熟ならば、技術を高める指導や教育をしなければならないのだが、この会社は精神を鍛え直せば何とかなるとでも思っていたのだろうか? 指導や教育と称して行われていた事が明らかになるのを見ていると、何か戦前の思想教育みたいなモノを想像するし、北朝鮮のそれとも似ていなくは無いと思う。それが効果的な物なのかどうなのか、言わなくても判る時代だと思う。

ハイテクを駆使してシステムを構築し、世界一の安全を自負し誇った日本の鉄道って、裏では恐ろしい程のアナログ以前の「精神論」の上で成り立っていたのかと思うと、こんな惨事が起きなくても恐ろしい。

また、こうした惨事が起きないとこうした問題が見えて来ないし、表に出て来ないのも、前近代的な事象だと思う。大きな列車事故は何も今回に限った事では無い。今までも事故に際して調査が行われ、結果が公表され、再発防止を計ってきたのだとは思う。だが、今までのそれは、こうした見えて来ない事情にまで踏み込んだ物なのかどうか? 事故を科学的に物理的に分析解明する事はもちろん必要な事だけれど、それだけに力を注ぎ、見えて来ない背景にまで踏み込んだ調査や分析をしていなかったのではないだろうか?

欧米の航空機の事故の調査ではそうした分野にまで、踏み込む事が当たり前となっていると言う。人間がミスを起こす事は「必ずある」との前提で調べるために、人間関係や、そこに隠れている「事情」まで調べて報告する。ミスの本質を見抜かなければ解決と予防には役に立たないと、考えているからだ。その上で、人間を補う形でハードウェアの見直しを行い、事故を防ぐ対策としている。落ちたら最後…って事では電車よりも厳しい結果しか無いと言う事もあるんだろう。

原子力発電などのシステムでも同じ様な対策と聞いた事がある。でなければ、原発なんかあちこちでメルトダウンしていてもおかしくない程、人間はミスを犯す。実際にそうでないのは、人間はミスを犯すと言う前提の元、それを防ぐシステムが構築されて来ているからである。そうであっても些細な事故は起きている。

ミスやトラブルは決して無くなる物ではない。そうした前提で安全を考えないと、こうした事業は成り立たない。起きてしまった事故を教訓として生かさなければ、無策と企業体質を叱責されても致し方ないと思う。記者会見を見ているだけでも、いかに何もして来なかったかが判るではないか。危機管理すら行えないインフラ事業者だったのではないだろうか?

幸か不幸か、災害に対処する側の行政の対応は素早かったと思う。阪神淡路大震災を経験している警察や消防、行政の対応は経験に生かされた物がしっかりと見て取れる。あまり活躍の場もなく撤収してしまったが、自衛隊への災害派遣要請も適切だったと思う。惜しむらくは、そうした過去をしっかり生かせる精鋭が集まっても、何から手を付けて良いか判らないほどの惨事であった事だったと言う事だと思う。だが、彼らは必ず、次に起こる災害にこの経験をうまくフィードバック出来るんだと思う。

事故の原因の裏側に何があって、何がいけなかったか? そこまで踏み込んで解明して、きっちりと責任の所在を明らかにし、また、それを償わせないと、亡くなった方々に無礼であるばかりか、遺された遺族に対しても無礼でしかない。隠れて表には出て来ない裏の部分まで明らかにする事は、企業がひっくり返る事にもなりかねないのだけれど、そこまで完遂してこそ「謝罪」であるのではなかろうか。また、そこまでやらない限り「安全」だの「信頼」は、もう有り得ない。鉄道事業に関わらず、旅客運送を事業としているならば同じだろう。以前と同じ事で事態が収拾されるならば、同じ様な災害は必ず起こる。

監督する側の行政も、以前と同じ対応では何も変わらない。かなり踏み込んだ姿勢で望まないと安全を維持する事は出来ない事は、今回の惨事で充分に判る事である。事故は必ず起こる。それを小さく、些細な物へ変えるのは、技術の向上だけに限らない。それに携わる人間がいかに管理されて、どの様な指導を受け、どう業務に接しているのか、その上で安全を維持するためにどういう取り組みを行っているのかも重要な事である。秒単位の遅れが人格を損なう様なペナルティーを招き、その積み重ねが何を起こしたのか? 運転手の個人的素因とするのは簡単な事だが、そうした素因を見抜けなかったのか、または育ててしまったのか、誰もが納得のいく調査や捜査と分析による結果が待たれる。

犠牲となった人達は、ただ電車に乗っていただけなんだからねぇ…。

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