おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

189。

2016-03-11 01:42:10 | 我思う、故に書くなりよ。
いちはやく…って事で、189だそうな。

児童相談所全国共通ダイヤル…ってことで、昨年からそうした番号に掛ければ、その手の相談というか通報なんてのが受けつけてもらえる事になっていたらしい。

ま、至極平和な生活を営んでいるとか…そうした範疇であれば、こうした電話番号に電話を掛けるなんてことも無いと思うのだが、昨今の日本じゃこの電話番号へ電話を掛ける事で救われる命が多かったりもするので、なんてこった…な話なのである。

私がかつて経験した時にはそうした番号は無く、ネットで調べて管轄の児童相談所へ通報したんだけれども…189ってナンバーが出来てそろそろ1年は経とうかとしているんだかいないんだかな現在でも、直接調べて電話した方が話は早いのだそうな…。それもまた、なんてこった…な話。

…なんてこった…って事で急に189なんてナンバーがクローズアップもされたみたいだが、そうした事案、事象に出くわしたら、ともあれ利用して欲しいナンバーに違いも無い。それで助かる命が間違い無くある。

そうは言ってもだね…勇気いる事だと思う。まぁ、どう考えても児童に対する虐待ってのを目にしたり、耳にしたら、一応頭の中をそうした事が過るワケで、どうしたものかと考えたら、勇気が必要な事も判る。

当時は警察はアテに出来ないと有名だったので、すぐに児童相談所ってのが出ては来たのだが、さて、どうしたものか迷う。なにか強いきっかけでもなければ、電話しなかったと今では思う。

私のその「きっかけ」は当時健在だった両親の対応にブチ切れたことだった。

虐待はすぐ裏の家で毎日行われ、こどもの泣き叫ぶ阿鼻叫喚は昼夜を問わない。そうした状況が既に幾年も続いている事を知りながら生活しており、そうであっても通報や相談すらしないのである…。

そうした最中に父は亡くなったが、母は言い切ったんである。

「通報なんかしたら、ここに住んでいられなくなる。」

これは未だにそう考えられており、近所で起きた事件だの不祥事には務めて関わらない。たとえ、それが公共の利害に関わり、ひいては自身の身に降りかかることであってもだ。通報する事を伝えると、関わるなとも言われたし、ここから出て行けとさえ言われた。

そうした態度の親にブチ切れて通報した。まぁ、どう考えても虐待だし、その虐待を隠蔽する工作をもしているのを目にし、耳にしたからでもあるが、当事者にブチ切れる前に、身内にブチ切れた。

正直、自分の親がこんなに情け無く、遠慮なく卑怯者だと思った事はなかった。そうした考え方が変わらないのであれば、そうした思いも変わる事は無い。テレビなどでそうした事件が悲しい結末を迎えたことを報じたりする場合も多いが、そうしたニュースを目にする度にヒドイ親がいるもんだとのたまうのであるが、じゃあ、自分はどうなのかと言えば、絶対に通報も相談もすること無く、知っていて見殺しにするんである。実際、あのまま通報が為されなかったら、悲しい結末はニュースとなって流れていたと思う。

残念ながら、その後この事案がどうなったのかは詳しく判らない。悲しいニュースとなって目や耳にしていない限りはまぁそこそこなんだろうと思うが、児童相談所が介入したところまでは把握している。なんせ近所だし。

その後、ほどなくして虐待家族が転居して出て行ったので、その後がどうなんだかは全く定かじゃないが…あの時通報して良かったと思っている。まぁ、それなりに後遺症は残るだろう虐待だと思うので、万事が万事めでたしでも無いのだと思うが…。

完全な密室で行われ、誰も知るところが無いのであれば、それはそれで致し方ない事なんだと思うのだけれど、相当にヒドイ状況が毎日繰り返され、既に幾年も続いている事を毎日の生活で認知していながら救いの手を考えない人間が身内だった事が何よりもショックだった。救える命がそこにあり、救えなくなる事が想像に容易い事であるにも関わらず、自身の理由のハッキリしない保身に固執する人間が身近にいたわけだ。

母のその考えは年老いて益々強固なものになっている。理解しがたいが、そう理解する他に術も無いので、残念だが尊敬など到底出来ない。決して、そうした土地柄に住んでいるワケでは無いと思うし、そうしたコミュニティでも無いと思うのだが、母はそうしたコミュニティで生きていると信じて疑わないようだ。確かに、通報の事実は私からしか為されてもいなかった様子なので、そうしたコミュニティと言えばそうなのかもしれない。

だが、江戸時代の話でも昭和の話でもない。平成の時代の話だ…。

虐待の阿鼻叫喚を他人事で済ませるだけの度量は私には無い。義憤に駆られての事でもない。そこまでの崇高なものでもない。いけないことが行われている事実。また、それが続いている事実。そこで、万が一にも命が失われる事に繋がりかねない事が行われていると確信したから、私は通報したまで。

まぁ、その辺の経緯はだいぶ昔にも書いているのでさておくが、両親の卑怯者っぷりを書くのは初めてだと思う。

そうした極めて個人的な問題で救えなくなる命があったかもしれないと思うと、背筋が寒くなる。

ちなみに、相談所には簡単に繋がり、いわゆる型通りの質問を受けて答えるだけで済んだが…既にそうした事件が世間で頻繁に流れてもいて、後手後手の末に救えなかった事例も多数知っていたので、クギは刺して置いた。

「通報はしました。詳しい事も話しました。救える救えないはあなた方のお仕事です。よろしくお願いします。」

189。なかなか掛ける事は無いだろうナンバーだけれど、知っておいて欲しいなぁ。少なからず勇気はいるのだけれど、その1本の電話で、謂れの無い不条理な虐待で命を削られているこどもの命が助かる場合があるって事を。急をマジで要する場合は、110でもいいと教えられた。救える命を救うことは何ら悪い事ではない。救える命を救わずに見殺しにするなら、それは同罪だと思う。あとで幾ら後悔しても、失った命は戻らない。

そんな事にならないための電話番号が189なのである。




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