おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

やられた…64。判らないものは判らない。

2016-08-16 14:17:19 | 我思う、故に書くなりよ。
…3年過ぎて、これと言った変化もなく。些細な体重の変化とかはあるけど…。

今のところ、1番言われているのは「再発」で、これとて節目には必ず言われるものだけれども、大抵の場合で再発ってのが起きるもんだと言われている。

んまぁ、再発って簡単に言うけれども、心筋梗塞の再発なんざ、イチコロ…って場合もあるので、起きてもらっちゃ困るのだけれども、そうならないためにも日頃の…って、あれこれが続いてもいるわけで。

そんな、あれこれを続けているので、概ね悪い数値が出る事もなく、かなり良い数値のまま推移も出来ているのだが、再発って話は必ず出るのである。

んまぁ、そうなったら救急車呼ぶほかに方法も無いので、自分で出来る事はかなり限られているのだし、些細な異変ってのを察知出来るのであればいいのだけれど、不幸にもかなりそうした面では鈍感な人間みたいだ。

未だに謎なのが「動悸(どうき)」ってヤツで、これがどんなんだか判らない。

「…動悸とか息切れってのがありますか?」

通院する度に毎度おなじみに尋ねられるワケだけれども、「息切れ」ってのは判るのだが「動悸」ってのが全然わからないんである。全く判らないので、実際にどうした状態になり、身体や心がどうそれを感じるのかがサッパリ判らないのである。

心臓に関しちゃ、そうした事で異変を感じ取る…ってのが一般的らしいのだが、事前にそれらしい事があったかと言えば、息切れ…ってのは確かにあったのだが、動悸ってのがあったんだか無かったんだかサッパリ判らない。

脈拍の速さが速いとか遅いとか、そうした事が異様として感じられる状態ってのが動悸だとは知っていても、自分のそれがどうなんだか感じた事がほとんど無いので判らないんだけれど、多少速くなったりするなんてのは健康な人でもあるワケで、運動すれば速くもなるし、安静にすれば遅くもなるだろうし…。

そうした点が鈍感に出来ているので、些細な異変を感じ取る能力に乏しいともなると、危機管理で言えば失格って事でもある。常時、心電図でも計りながら生活出来れば判り易いだろうけれどもね。

幸い、これは変だぞ…って事が今まで無いので、再発にも遭っていないのだけれど、病気としては再発する確立が低い病気でもないのだから、慎重に…って姿勢は崩せない。それでも、早々に詰まりそうな血管もないので、恐らくは遭わずに済むのではなかろうかと思うけれどね…。


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