おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

初詣。

2011-02-05 00:09:32 | 我思う、故に書くなりよ。
もう2月だが…。

我が家には初詣とか言う慣習が無かったので、これは未だに無いのである。
まぁ、行ったことが無いワケではなく、友人・知人とそれらしいところへ行ったりする事はあるが、習慣として毎年詣でる事は無いのであるな…。

てなワケで、今年もというか、ここ数年は行っていない。そうしたのが終わった頃に訪れたりする事はあるが、誰がいるワケでもなく、お布施と言うか、お賽銭の受付は24時間年中無休でもあったりするので、気が向いたら5円程度は投げ込んでくる…みたいな…。

そんなのでいいのか? と、幾多の疑問もあったりするが、良いらしい。そんなに、神様、仏様は心の狭いもんじゃないのだそうな…。

と、ここまで書いて、行かないのもなんだから、実はちゃんと詣でて、お賽銭を投じ、お願いなんて事もしては来たのである…。

んま、あまり誰も行かないであろう、近所のお不動さん…ってところだが、ちゃんと由緒があったりするのである。

地元の住民の枕元に、お不動さんが現れて、池だか沼だかの底に仏像が沈んでおるぞよ…な、お告げがあって、ホントに仏像が出てきたので奉った…と言うところ。かなりエキサイティングな由緒がありながら、静かに地味にたたずんでいるだけな感じだが…今じゃ、その池だか沼だかはキレイに整備されちゃって、ゲートボール場の脇にちんまりとしちゃっているんだが、おじたん。が幼少の頃は、なかなかそれらしい雰囲気の漂った場所でもあったのだ。

あの頃は…底が見えてるのに「底なし沼…」と呼ばれてもいたな…。

近くには皇族の親戚あたりを奉ったとされる大きな神社もあったりするが…元々は一緒だったらしい。廃仏毀釈の影響で別になったのかな? まぁ、あまり見向きもされていない方だけれど、整備は行き届いていて、朽ち果てているワケではない…。

そうしたところの氏子だの檀家だのって事なら、必須な行事が「初詣」でもあろうけれども、その限りでないと、行っても行かなくてもどーでもよい行事…ってか、行事にすらならなかったりするもんである…。

そう言えば…コロラドのおねぇちゃんが来たときに、明治神宮とか行ったなぁ…。

あっちじゃ神様は1つなので、どこの教会へ行ってもたいていは同じなのだけれど、こっちじゃ似たようでも結構違うワケで、寺と神社ってのも違うし、奉ってあるのがいろいろだったりするし、その辺の微妙な違いがたまらん…! って人も多いみたいだ。表参道なんか、字のごとく「参道」なんだからねぇ…。巨大なわけだけれど、ちょいと近所を歩けば、小さな社に狐がちょこんと構えていたりもするので、そうした違いを理解するのも難しくもあり、また楽しいのかもしれないね。

んで、何をお願いしてきたか…。

「今年こそ、世界征服出来ますように…」

どうせ願って叶ったりすることも無いのだから、希望は大きい方が良いんである…。

「アンタ、何書いた?」
「絵馬にはグレートでビゲストなホープを書くんだよ…」

コロラドのおねぇちゃんは「えぶりばでぃ えぶりしんぐ びぃ はっぴー!」と書いていたが、おじたんは…

「ここの絵馬すべての願いが叶いませんように…」

と、新年そうそう不謹慎な事を書いておいた。あまのじゃくな…とも思われるだろうが、実はそうではない。

数万とも数十万とも言われる、吊されている絵馬を見ていたら、神様、仏様が気の毒に思えたのである。

「抽選で選ぶのもイヤになる数だよな…」

そんなワケで、神様、仏様にも少しは楽をして頂くために、そうした願いのすべてが無に帰す願いを書いてきたのである…。だからと言って、神様、仏様から感謝もされないのだが…。

おかげで、修羅場とか地獄みたいなところ、そんなもんばっかり見てきた様な気もするが…それはそれでいい。

1年に1度ってのも悪くは無いが、身近なところに詣でる、詣でても良さそうな場所は、日本にはたくさんある。お地蔵さんもそうだし、道祖神とかね、馬頭観音なんてのも探せば静かに朽ちていたりする。そうした所を詣でてみるのも良いし、出来ればそれらについて調べてみるのも良いと思う。

八百万も神様がいたりするんだから…日本は…。そうしたのを大事に見ていく事も必要だったりするんだよね。

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