おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

くたばれ! フジテレビ!

2011-08-22 14:25:13 | 我思う、故に書くなりよ。
…な、抗議デモが行われたそうな…。

公共の電波を利用し、韓流のゴリ押し…って状態に異を唱えた人が多く集まったみたいで。

ま、民放だからねぇ…金になりゃ何でもアリ…って感覚なのは別にフジテレビに限った事じゃないんだが…。

さて、そうした事で、フジテレビがいかがなるものか…? あまり痛いことにもなっておらず、抗議される謂われは無い…って事みたいだ。取り敢えずの標的はフジテレビ…って事になってはいるものの、フジサンケイ・グループって大きな複合組織を相手にしなければならないワケで、テレビ局の前で抗議デモが行われたところでダメージもあまり無い…。

じゃあ、抗議デモは無駄だったのか? そうしたワケではない。ちゃんと異を唱えて、抗議する事は大事な事。

一方的に情報を流すメディアに対して、情報を受け取るだけの我々は、どうしたら抗えるのか?

単純に「TVを視ない…」ってだけで済む問題ではないから抗議デモが行われた事を知るべきである…。

もちろん、TV局にしてみれば、視聴者が減る事態はある程度痛いことになる。先だって表面化した「セシウムさん事件」にしても、視聴者の怒りはスポンサーへ向かい、スポンサーも怒ったワケで、ある程度の大きさを持った痛みとしてTV局にダメージを与えてもいる。

かと言って、あのTV局が潰れて消えたワケじゃない。

事件を起こした番組は消えて無くなったが、TV局自体は存続してもいるのである…。

さて、どうしたらかなり痛いダメージを与える事が出来るのか?

武力を用いたテロを起こすとか、そうした方法を取るなら話は別だが、そうはしないだろう。どんなに酷い放送が行われても、そうした実力行使に撃って出るのは極めて一部の者だけで、一時的にしかダメージは与えられない。

…もっと大きな傷手を負わせて、悔い改めさせるにはどうしたらいいのか?

この件に絡んで、全国の鬼女がスポンサーである花王を叩きまくった…なんて話も近々起きた。

実は、これが今のところ一番効く方法かも知れない。善し悪しは別として、TV局、放送って事を考えたら、消費者としての立場でスポンサーを叩く…って方法は理に適ってもいるのだ。

「…えっ? まだフジテレビなんか視てるの? 聴いてるの? 読んでるの? 買ってるの?」

そうしたムーブメントが消費者の中で起きれば、確実に痛い目に遭わせられる。単純にTVを視ない…にとどまらず、スポンサーを含めた企業体を生活の中からオミットする生活習慣が広まるだけで、相当痛いことになるんである…。

この作戦の良いところは…だからと言って、消費者が傷手を負うことなどほとんど無い点である。

鬼女たちが狙いをつけた花王が消えて無くなっても、生活に困ることはほとんどない。他に取って代わる企業や製品は幾らでもあるからだ。同じように、フジテレビを頂点とする企業体やその製品・商品らが消えたとしても、多くの消費者が困ることもない。困るのは関係者だけで、多くの国民が困ることなど無い。他で代用は幾らでも効くからだ…。

「毎月8の付く日はフジテレビ系列は視ない…」
「ラジオや新聞、雑誌もこうしたグループの産物は生活から排除する…」
「信念として、こうしたグループへのスポンサーになっている企業の商品は買わない、使わない…」

デモや電凸に参加しなくても、こうした地味な活動を続け、広めて行きさえすれば、大きなダメージを与える事は可能なのだ。

…じゃ、実際…うまく行くか? 

これ、うまく行かないんである。あまり大きな動きにならないで終わる…。社会というものは上手く釣り合いが取れていたりするもんだから…。

TBSがかつて弁護士をオウムの連中に売り、結果として弁護士一家は幼い子供まで殺されてしまった事件が起きたが、TBSは消えて無くなってもいない。それ相応に世論はTBSを叩いたが、叩きのめして潰して消し去るなんてことは出来なかった。社会や世論は、ほどほどで「許してしまう…」のである…。あのオウムでさえ、名を変えて残ってもいる…。

まぁ、許すも何も、企業として存続できない状態になれば消滅するのも当たり前ではあるが、そこまで痛い目に遭わせる様な社会や世論は構築できないのかもしれない…。

フジテレビがどの程度悪なのか? これは捉え方によって様々だが、単に韓流ばっかり…って不満にとどまらず、思想誘導やら洗脳的な側面すら危惧する公共性の欠如とかね、他の局でも簡単に問題になりそうな一面を含んでもいる。

そうした巨大なメディアに、そこから発信される情報をただ受け取るだけの我々はどうやって抗うことが出来るのか? 抗議すら意に介さない姿勢を表している者へ、どう抗えば良いのか? 

株主の立場で異を唱えるとか、外国人に株をバンバン買ってもらうとか…放送局にダメージを与える方法は他にもいろいろとあるが、NO! と言うからには、なぁなぁ…や、中途半端…どっちつかず…じゃ、ダメで、うやむやで終わらせる姿勢を断たねばならない。いろいろとうやむやにしてきたお陰で、日本はひでぇ事になったのは、この半年だけでも十分に実感できていると思う。

信念を強く持ち、断固として生活の中からそうしたモノを排除して行くライフスタイルを築いて行かなければ、世の中はこのまま…であって、変わることなど無いんである…。

…これが、なかなか出来ないんで…まぁ、今まで通りに収まってしまうんだろうけれど…そろそろちゃんと考えた方がいい問題なのかもしれないよ。

かくいう、おじたん。は…フジテレビに限らず、テレビ…ってメディアをあまり重要視することが無くなった。災害時においての報道に関してはその範疇に無いだけで、テレビを視ている時間は以前と比べて格段に減っている。

それは…単純にコンテンツが面白くないからで、面白いコンテンツは有料で視ている。有料という自己責任で視ているし、作り手もそこを意識して作っているから面白い。逆に、タダで流されるコンテンツには、面白さが無くなってしまった。公共性を問うばかりに、面白さが均一化してしまい、どの番組も大して中身の変わらないモノばかりになってしまったんである…。

そこには「視聴者の意見」も大きく加味されている。視聴者からのクレームが局やBPO、スポンサーに届く事で、テレビは面白さを失ってしまったとも言えるのだ。

そう考えると…テレビを活かすも殺すも視聴者…って事も確かな事だと判ったりする。だけれど、ストレートに抗えないのも事実だったりする…。こうした関係が、これからの日本でどう変わるのか? 興味深いところじゃなかろうかな…。

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