おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

義経。

2005-12-11 22:39:34 | 我思う、故に書くなりよ。
ぼーっと見始めたら「最終回」だった。

まぁ、最終回だけ見ても話は何となく判るし、最終回が見ものだったりもするワケで。

んまぁ、なかなかな不幸な人たちだったんだけれども、史実として伝わっているコトは僅かな部分だけで、あとは後世の人達の脚色なんだろうってコトは良く判ったドラマだったなぁ。

小学生の頃、父の田舎を訪ねるついでに、奥州・平泉へ行った。小学生に藤原家の栄枯盛衰だの、義経だの弁慶だの…ってのはサッパリな話で、貴重な夏休みにわざわざ遠路はるばる不愉快な思いをしなければならないってのもなんだかなぁ…な雰囲気が漂い切っていたんだけれど、中尊寺で見た藤原家のミイラ調査ムービーと、近くのどっかで見た「弁慶の立往生等身大フィギュア」はなかなか印象に残っている。

どちらも甲乙付け難いって感じのショッキング映像ではあったのだけれど、矢が刺さりまくった等身大フィギュアはなかなか凄かったなぁ。ドラマの立往生と同じではあるんだけれど、これもよくよく考えると不自然だったりする。

都合よく顔とか頭に矢が刺さって無い…。

目玉に刺さってるドラマを見た様な記憶があるんだけれど、伝承では眉間に刺さったなんてのもあるみたいで、ドラマじゃ役者の顔が見れたモンじゃなくなるからやらないんだと思うけど、実際にゃあ…

「グロ!」

だったんだろうなぁ…と。義経も首は取られて塩漬けにされて遠路はるばる鎌倉まで運ばれたとか。塩漬け…。んで、本人確認だかなんだか終わったらいらなくなったんで捨てちゃったらしい。

で、あまりにも可哀想だってコトで、拾った人が神社を建てて祀った…なんてのがうちの地元にあったりもする。昔のコトだし、伝承には細かいディティールが付いて回らないコトも多々あるワケで、実際のところはどーなんだか怪しいが、当時は首を、

「とったどーっ!!」

ってやらないと武勲の証にはならなかったらしいコトは言われている。んまぁ、絵じゃなんだし、デジカメも無いもんだし、首そのものを取って持って来る以外に方法も無いしねぇ。

弁慶さんはその後どうなったのか定かじゃ無いが、一応、お墓らしいものはあるみたいで何より。所詮は下っ端…な感じだったのが当時だろうとも思う。普通は野ざらしが当たり前で、気の利いた坊さんが通りすがりに手厚く弔うコトでもあれば良い方だったらしい。それがデフォルトだった時代だし、そんなのは近代直前まで続いていたと見る向きもあるし。江戸の出入り口にやぁ、首が野ざらし…だったしねぇ。

メインキャラが塩漬け…しかも、恐らく炭化した焼死体…だから、下っ端はなぁ…。まぁ、伝承の人物として永く語り継がれるだけでも立派なもんだけれど、史実は細かいディティールを残さない方が良いのかもしれぬ。



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする