おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

あぁ、なるほど…。

2005-10-29 23:01:23 | 我思う、故に書くなりよ。
体調が優れないので、寝てばかりいる昨今。

気分的にはそうそう悪くないのだが、体が鉛の様に重い…。んでまぁ、陽気も涼しいことだし、週末なので外も静かだし、「休む…」ってのがピッタリだったりもする。

さて、寝たきりってのもなんだから、テレビとかをみたりもするのだけれど、見たいテレビは別として、見たくも無いのに見たりするテレビってのもある。「ながらテレビ」なんて言い方をしたりもするが、何か他にしている事は無いので「ながらテレビ」じゃあ無いんだけれど、ふいに「ビデオカメラの選び方」なんてのを見る。

あー。DVDだのHDDだの、便利そうなのが出ているのは知っていたが、動画と言うジャンルは観賞以外に興味が無いので、映画監督なんかは何やってんだか未だに謎の部分が個人的に多かったりもするのだが、カメラ自体は「1つ欲しいかも…」な感じ。テープってメディアの方が画質が良い事を学んだ。その反面、編集とかの利便性はあまり感じられないなぁ…。ケータイの動画で自分は間に合っているが、世の奥さんやら旦那さんはお子さんとかの成長に合わせて「必須」なアイテムとなっているらしい。

さんま。秋刀魚。美味しいので、この秋も何匹か喰った。これの「生け捕り」に努力を費やしている漁業関係者を見た。

まぁ、我々がさんまを求める時には既に「死んだ魚の目をしている…」のが普通で、ビチビチ…したのを買って帰る事は無い。そうした状態で買える魚もいるのだが、さんまはそうじゃない。捕ってすぐに死んじゃうからだそうだ。

なんでも、さんまのウロコはとてもはがれ易く、網でこすれればボロボロになってしまうし、いけすに入れておいてもぶつかるだけではがれてしまう。人間で言えば、皮膚がデロデロ…とはがれる様なもんだから、そりゃ死ぬわな…。

これを、生きたまま連れて帰る…と言う所がキモ。いかに豊漁であっても、ほとんどが死んでいる状態が普通なワケだから、生きたままってのはかなり難しい。これが楽に出来る様になれば、さんまの食べ方も変わって来るだろうし、より一層の消費も見込めると言う。さんまの名産地であっても、生きたまま…ってのは珍しいか、ほとんど無いのだから、夢は広がるんだなぁ。

途端に、七輪が欲しくなった。出来ればさんまが丸ごと1匹キレイに焼けるような大きなのが。炭火で満遍なくこんがり…。塩焼きにして、大根おろし…。

大根おろし(おろしがね)を手作りで作っている人の番組も見た。いわゆる「プロの道具」なんだけれど、銅版を叩いたものに、細かい刃を立ててゆくだけの作業が延々と続く。大きくクローズアップされた刃先(目かな)を見ると「おろせそう…」な感じは他のどれよりも実感できる。

機械でプレスしちゃっても同じ様な物は出来るんだけれども、手作業から生まれる微妙な「ファジー」な部分が機械製のものよりも「おろせる」理由になっているんだと言う。刃(目)の間隔は、職人さんの手先の感覚で大体がキレイに整って並んではいるが、そこは手作業だから、機械ほど正確には並んでいない。それが機械製のものより「おろせる」理由ともなっているのだから、不思議なものである。大工のかんなと同じで、キチンと手入れすれば長く使える事はもちろん、無駄な力を掛けなくてもキチンと仕事はしてくれるんだろうな。

若い人が弟子入りしてこの技を受け継いでいる事も紹介されていた。器用、不器用を問わず、誰にでも受け継がれる様に、教えて行く事が出来るのも職人の技と知恵なんだと言う。見る限りはそうだったけれど、教える人にも因るんだろう。職人って言う世界ならではのものもあるだろうしねぇ。

ふーん…。

で、終わってしまいそうだし、実際にそうなんだけれど、脳の肥やしにはなったかなと思う。



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする