アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

年寄りに席を譲るぅ…子どもがすべきことかっ!

2016年01月16日 | Weblog
 「新しい道徳(北野武)」の続きなんですがね。また、引用させていただきますが…

 道徳の教材に、こんなイラストがあった。電車の席に座った子どもが嫌そうな顔をしている。隣の大人は眠ったふりをしている。目の前に年寄りが立っているからだ。大人も子どもも、席を譲りたくないんだろう。
 さらに、そのイラストには、こういう問いが付けられていた。
 「こういうときは、どうすればいいか、みんなで考えましょう」
 一応、みんなで考えて答えを出すことになっているわけだが、正しい答えはもちろんはじめから決まっている。
 「席を譲らなくてもすむように隣の大人と同じように眠っているふりをする」という答えに、まさか先生がマルをくれるはずはない。「どうぞ」と言って年寄りに席を譲るっていうのが、正解なのだろう。
 …これは、噓じゃないのか? 嫌そうな顔をしているのは、席を譲りたくないからだろう。その気持ちには正直じゃなくていいんだろうか。
 ほんとうは座っていたいのに、年寄りには喜んで席を譲るふりをする。
 これは子どもに噓をつけといってるのと同じことだろう。
 それで、いいことをすると気持ちがいいよ、なんて書いてある。

 北野武さんの考えに反対意見を述べるわけではありません。むしろ、共感的に理解しております。支持は出来ませんがね。何が言いたいか?

 …「席を譲らなくてもすむように隣の大人と同じように眠っているふりをする」という答えに、まさか先生がマルをくれるはずはない…
 この部分に北野さんの硬直性を感じますね。古いわぁ!
 現代は、「道徳の時間の道徳に、マルもバツもないのです」何を言ってもOK!どんな考えもOK!道徳の時間に「間違い」などないのです。
 私がその道徳の授業者なら、「隣の大人と同じように眠っているふりをする?そうだよね!席を譲りたくない時は、寝ているふりが一番!よく考えてくれたね!ありがとう!」と、言いますよ。道徳の授業って、そうでなければならないのです。授業者(先生)が喜ぶような意見を言うことに、子どもたちが窮々としている時間ではないのです。

 「新しい道徳」発売直後から18万部突破とのこと、それが半年前ですからもう20万部は行っているんじゃないか?おもしろいわぁ!ツッコミ所満載ってのも彼らしい。