アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

記憶には二通りありましてぇ…

2016年01月05日 | Weblog
 「記憶と思い出は違うもの…」このフレーズが気になりました。「すべてがFになる(森博嗣)」を読んだんだろうって?そう言う人も我が家に一名おりますが、私はその小説を読んでおりません(自慢しているわけではありません)。

 で、記憶と思い出については…
 「すべてがFになる」という小説を読んだ人に、記憶と思い出についてどう書いているのかを聞いてみました。この人、森博嗣さんの小説は読んでいないと思っていたのに…いつの間に読んでいたのか?ちなみに、今この人が読んでいるのは、「たまゆら(あさのあつこ)」「山月庵茶会記(羽室麟)」「花や咲く咲く(あさのあつこ)」「彼岸花(宇江佐真理)」ほか数冊。正月休みに全部読むんだと…おかげさまで、私が食後の茶碗洗い三昧のお正月…。数冊を並行して読む…これが不思議。私は、一冊読んでから次の本を読むんですがねぇ…?

 閑話休題。記憶と思い出についてどう書いているか…。
 「思い出は良いことばかり、記憶は嫌なことばかりだわ」
 「そんなことはないよ。嫌な思い出も、美しい記憶もある」
 「じゃあ、違いは何です?」
 「思い出は全部記憶しているけどね、記憶は全部は思い出せないんだ」
 このような会話が出てくるんだとぉ!そして…
 「人の記憶の中に散逸する出来事や風景の断片はいずれ昇華され、完結の記憶となる。思い出となるには時が必要というわけか」…と、いうことに。

 記憶と思い出ってこのように難しいものなのかぁ?「昇華」は、そもそも心理学の用語…。なぬぅ?昇華というラーメン屋があるぅ?どんなラーメンが出てくるものやら。なぬぅ?高校で習った昇華は、「固体が気化して(液体を経ずに)気体となる現象」だったって?そ、それも昇華です。ねっ!このように昇華は難しい。

 閑話休題。私なりに整理しますと…
 テストの範囲を暗記するなどの記憶は…記憶ですよね(意味記憶)。「思い出」とは言わない。水泳は一度泳げるようになると体に記憶として残るので泳げなくなってしまうことはない。この記憶は、自転車(に乗ること)も同じ。これらも「思い出」とは言いません(意味記憶)。

 Aくんは、休み時間に早飯しておりまして、テストが始まってから何かの拍子にアルマイト製のお弁当箱のふた(古っ!)を床に落とした。テスト中の静寂の中、「ガッシャン!」と大きな音がした。…これは思い出ですよね(エピソード記憶)。
 自転車に乗れないのに、「乗れるよ」と見栄をはって、「じゃあ乗ってみろ」と、言われて坂道を転げ落ちてあちこち擦りむいた少年時代…これは、記憶と言うよりも、思い出のほうが似合う(エピソード記憶)。

 となるとぉ、記憶と思い出は、たしかに違うかも。
 では、「記憶→昇華→思い出」はどうであろうか?えっ?ミステリー小説の主人公のセリフにケチをつける気かって?いえいえ、真剣に考えているだけです。
 とりあえず自分なりの結論を出しておかなければ…
 思い出は記憶の中に含まれるもの。意味記憶は、単に記憶と言ってもよい。エピソード記憶は、思い出と言ってもよいもの。やれやれ、新年から認知心理学を引っ張り出してしまいました。