アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

小便と夢

2016年01月15日 | Weblog
 時々お邪魔する小学校で事件がありました。
 小2と小3が使う男子トイレで、「朝顔(小便器)の外に尿を撒いたままずらかった子が」…これは大事件ですよね。そんなわけで、クラスごと(男子のみ)で、現場検証。もちろん、「それは、ボクです。ボクがオシッコを…」と、名乗り出る子はいなかった。

 北野武さんは著書で・・・「(前略)トイレは綺麗に使った方がいいとは思う。俺は汚いトイレを見ると、掃除をせずにはいられない。飲み屋でトイレに入って、前の人が粗相していたりすると、つい掃除をしてしまうのは昔からの癖みたいなものだ。今までいったい何遍、見ず知らずの他人が汚したトイレを掃除したことか(後略)。」と書いている。
 驚いたぁ!北野武さんと言えば、日本有数の有名人。その彼が、他人の粗相の後始末をするという!私など、他人の粗相があった便器を避けて用を足しますがね。見て見ぬ振り。反省しましたよ。やはり自分は小物だったんだなあ。今後、他人の粗相のあとは、私が綺麗に…掃除するわけないでしょう!武さんには近づけませんね。

 北野武さんの「新しい道徳」を読ませていただいたんですがね。ありゃ!?と、思った記述がありました。「夢」ですよ!私が忌み嫌う「夢」について、武さんが同じような感じ方をしていた。100万の味方を得たような気持ちになりました。その部分を引用させていただきます。

 夢を追いかけるといえば聞こえはいいけれど、それはつまり輝ける(と妄想する)明日のために今日を犠牲にするということだ。ほんとうのことをいえば、人も羨むその「輝ける明日」なんてものは、いつまで経ってもやってこないというのに。人がほんとうに生きられるのは、今という時間しかない。その今を、10年後だか20年後だかの明日のために使ってどうしようというんだろう。昔はそういう人間を、地に足が着いていないといった。
 夢なんかより、今を大事に生きることを教える方が先だったのだ。
 まだ遊びたい盛りの子どもを塾に通わせて、受験勉強ばかりさせるから、大学に合格したとたんに何をすればいいのかわからなくなる。
 夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。
 俺は心の底からそう思っている。
 どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。
 お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。
 贅沢と幸福は別物だ。慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。人生はそういう風にできている。
 そんなことは、誰でも知っている。
 だけど、そんな大切なことも教えないで、夢を追いかけろという。頑張って勉強して、スポーツやって、起業したり、有名人になったりしなければ、幸せになれないと脅す。

 私の考えと半分以上合致します。頭のいい人は難しいことを考えるものです。ただぁ…何度も書いているのでフォローしてくださっている一日平均600IPの皆さんはご承知の通り、私の「夢を持てを嫌う理由」は、これほど高度なものではありませんでぇ…。

 夢を持てという人たちがいかに無責任でいい加減な人たちかということです。夢は実現できる可能性は…皆無に近いのです。いくら努力しても実現などしない。だから「夢」。それを分かっているはずの有名人の皆さんが、「夢を持て」と、言う。言うのは勝手だ!し、しかし、B、BUT!「夢は見るモノではない、実現させるモノだ!(どうだ、かっこいいだろう!)」…ハイ、終わり!
 なぬぅ?実現できなかったぁ?そりゃあ、オマエの頑張りが足りなかっただけだ!オマエが悪い!…これはないでしょう!だから、中高生対象の講演で、「夢を持て」と言うタレント、スポーツ選手などに寒気を覚えるのです。

 えっ?朝顔の外に小便した子どもと、夢の関係はどうなっているのかって?そ、そりゃあ…。北野武さんの、「新しい道徳」…「小便は朝顔の中にすべし…」そんなこと書いてませんですね、ハイ!
 
「夢」は寝てみるモノ。起きているときには、努力で手が届く目標に向かって突き進むのがいいのです。…し、小便をまき散らしたら、自分で拭けよなあ!