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人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

地球儀

2008年10月26日 | 日常
先日、名古屋で京大の同級生と先輩が私を激励してくれました。二人がいろいろ考えた末に私にプレゼントしてくれたのがこの地球儀です。
当選した暁には、議員会館のデスクに置いて、日本の国益のみならず地球規模の問題について考えるスケールの大きな政治家を目指して欲しいということでした。

私は、この地球儀のプレゼントを見て、尊敬するマンスフィールド駐日大使がレーガン政権のシュルツ国務長官から主要な大使が集められて「どの国のために働いているか教えてほしい」と尋ねられた時に大きな地球儀のところに歩いて行き、米国の部分、しかもモンタナ州の部分を差したというエピソードを思い出しました。マンスフィールド大使は、日本のためでなく米国のために働いているという意思を明確に持っていたのです。

また、マンスフィールド氏の演説集には次のような言葉があります。
「人類がこの世で共有しているものは、この地球と、そして将来の二つしかない」

友人にもらったこの地球儀は私の宝物にして、日本のために地球のために働ける政治家を目指したいと思います。

ワンちゃん集合

2008年10月05日 | 日常
 「安城福祉まつり」は、今年で2回目ですが、活動を始めたばかりの頃の昨年とは違って顔見知りも増えて、いろんな人が声をかけてくれるのは本当にうれしいのです。ただ、声がかかる度に、みたらし団子、ポップコーン・・言われるままに買っているとすぐ手がふさがってしまいます。

 めずらしい犬を含めたたくさんのワンちゃんと触れ合うことができるブースでは写真を撮っていただきました。

 アニマル・セラピーに取り組まれているみなさんです。障害のあるお子さんや高齢者に対して犬をはじめとする動物は不思議な癒しの力を持っています。みなさんの取り組みが安城でも拡がっていくことを願っています。

おまんと

2008年10月05日 | 日常
 週末、高浜では、馬場を疾走する馬にとびつく勇壮な伝統行事「おまんと」が行われました。

 私も朝7時から各町の行列が神社へと向かう途中に立ってみなさんにご挨拶をさせていただきました。

 今日は、その後、安城市内で町内会運動会を3か所、労働組合の定期大会を2か所、福祉祭り、民謡保存会発表会、元刈谷神社餅投げを回った後に、再び、高浜の「おまんと」に戻りました。

 「おまんと」は本当に観てて飽きないお祭りです。ぜひ、より多くの皆さんに観ていただきたいと思います。高浜としてもこの祭りをもっと外に向けてアピールすべきです。

 例えば、JRAからの支援も得て、「おまんとパーク」(仮称)をつくり、普段は、子どもたちがポニーと遊んだり、乗馬クラブとして、また、「おまんと」をはじめとする高浜の伝統や文化を学ぶ拠点にするというのはどうでしょうか。

 さすがに、いま骨を折るとまずいので今年はやめておきましたが、来年は馬に「とまって」(馬につかまることを「とまる」と言うそうです。)みたいと思います。

けんすけ、世だすけ、人だすけ隊

2008年09月29日 | 日常
 このブログのタイトルでもある「人だすけ、世だすけ、けんすけ」の名前を冠した応援団がわざわざ東京から来てくれました。

 政策の世界では知らない人がいない著名人である佐々木孝明さんから、解散総選挙が間近に迫ってきているのではないかと言われるようになったある日「人だすけ、世だすけ、けんすけ隊を結成して、週末、選挙区に応援に行きますから!」という有難いお話をいただきました。

 ところが、当日は私が寸分の暇のないスケジュールで、顔を合わすこともできないまま、街宣カーの回しをはじめ事務所の方でこき使わせていただきました。
 夜もミニ集会が入っていたので、そのミニ集会に参加をしてもらい、その後の懇親会にも加わってもらいました。
 ゆっくりと話す暇はありませんでしたが、多くのあたたかい支援者に支えられて元気に活動している姿を見てもらうことができてうれしかったです。

 真顔でボソボソとオヤジギャグを連発していつもすべっている佐々木さんらしく処方薬の袋に入った「勝負に勝つ飴」と札束の形をしたキャンディーを差し入れてくれました。
 ほんとうの札束でなかったのは少し残念な気もしますが、この気持ちがうれしいですね。

 佐々木さん、川田さん、遠いところから時間とお金を使って応援にきていただき本当にありがとうございました。

馬淵澄夫代議士と歩く、弘法さん

2008年09月20日 | 日常
 「知立の弘法さん」として親しまれている遍照院さんには、毎月の御大使のご命日に、生活雑貨を始め食料品、骨董品等の露店が数百も連なります。
 私も都合がつく時にはお参りをして、沿道のみなさまにご挨拶をさせていただいております。

 今日は、特別ゲストに馬淵澄夫衆議院議員をお招きして一緒に歩いていただきました。どうしても都合がつかず、午後になってしまったために、少し参拝客は少なかったですが、多くのみなさんがあたたかい励ましの声をかけてくれました。

 忙しい中、遠くから駆けつけ、「おおにしさんを頼みますね」と応援してくれる師匠の気持に勇気づけられました。

けんすけを探せ!

2008年09月15日 | 日常
 北京オリンピックでの谷本歩選手の金メダルのことは、このブログでも書きました。私も金メダルの瞬間、二本木の応援会場にいたのですが、翌日は「大村さんが谷本選手の祖父母のインタビューでテレビに映っとったよ。」といろんな人から言われました。

 9月15日号の「広報 あんじょう」の表紙には、金メダルの瞬間の応援会場の様子を写した写真になっています。
 なんと、私、「おおにし健介」も小さいけど写っています。
 探してみてください!
 
 「広報あんじょう」は以下で見ることができます。
 http://www.city.anjo.aichi.jp/kanri_bumon/koho/index.html

 ヒント1:浴衣を着ています。
 ヒント2:頬に日の丸シールを貼っています。
 ヒント3:口をポカンと開けて間抜けな顔をしています。

刈谷市民総踊り「わんさか踊り」

2008年09月07日 | 日常
 6日土曜日、刈谷市民総踊り2008「わんさか踊り」が汗ばむ陽気の中で行われました。
 80歳の誕生日を迎えた支援者Nさんと一緒に挨拶をして回っていると、チーム「魁」の皆さんが声をかけてくれて、飛び入り参加させてくれました。
 「真似をして適当に踊ってください」と言われて、軽い気持ちで参加したけれど、振り付けは複雑でスピードが速くてまったくついていけませんでした。面目ない。でも、楽しかったです!「魁」のみなさん、ありがとう!

終戦記念日におもう

2008年08月15日 | 日常
きょうは、63回目の終戦記念日ですが、靖国参拝で大騒ぎしたいつの日かとはうって変わって、新聞やニュースの報道はオリンピック一色で、終戦の日に関する話題は影をひそめていました。

しかし、一年に一度のこの季節にあの戦争の惨禍に思いをいたすことが必要だと思い、「きけわだつみのこえ」を引っ張り出して来て、朝、事務所に出てくる前に、適当に頁をめくって拾い読みをしました。

戦争の目的を疑いながらも、最後まで、祖国と愛する者の未来を憂いながら死んでいった学徒兵の手記は、一見さりげなく、また、冷静に死を受け入れようとしているかのように見えて、いつ読み返しても悲痛な叫びが聞こえてきます。

21歳でルソン島で戦死した瀬田さんが両親に宛てた手紙には次のようにあります。

 「マニラ湾の夕焼けは見事なものです。こうしてぼんやりと黄昏時の海を眺めていますと、どうして我々は憎しみ合い、矛を交えなくてはならないのかと、そぞろ懐疑的な気持ちになります。避け得られぬ宿命であったにせよもっとほかに、打開の道はなかったのかとくれぐれも考えさせられます。あたら青春をわれわれは何故、このような惨めな思いをして暮らさなければならないのでしょうか。若い有為の人々が次々と戦死していくことは堪らないことです。中村屋の羊羹が食べたいと今ふっと思い出しました。」

最後の羊羹のところが一段と悲しみを誘います。多くの学徒兵たちが若い命を散らしたことを思うとき、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないと思います。
北京ではスポーツを通して世界平和を実現する祭典、オリンピックが行われていますが、つい最近も南オセチアではロシアとグルジアの軍事衝突もありました。「どうして我々は憎しみ合い、矛を交えなくてはならないのか?」というわだつみのこえにもう一度耳を傾ける時です。

白紙の弔辞

2008年08月10日 | 日常
タモリの手には白紙…あふれる感謝そのままに(スポーツニッポン) - goo ニュース

お盆を直前にして、私の周りでもお悔やみごとが続きました。
時期を同じくして、ギャグ漫画の巨匠、赤塚不二夫さんの逝去の報道がありました。
そして、葬儀では赤塚さんと肉親以上の仲というタレントのタモリさんが弔辞を読み、その模様がノーカットでテレビを通じて流れていました。

何かと人前でお話をさせていただく機会の多い私にとってもこのタモリさんの弔辞は、淡々としながら、しかし、故人への惜別の想いのこもった感動的な弔辞だったと思います。お聞きになっていない方は、ぜひ全文をお読みください。

さらに、驚いたのは、この弔辞が白紙の原稿をめくりながら読まれたものだったらしいということです。言われてみて注意して見ると、タモリさんは原稿をめくっていはいるもののその原稿は白紙に見えます。はたして、その真意は何だったのか。弔辞の中にある「あなたは生活すべてがギャグでした。」、「そして私に『おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ』と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。」の言葉どおりに、故人へのタモリさん一流の葬送だったのかもしれません。

私は、国会の職員をしていた頃、本会議の運営を担当していましたが、現職の国会議員が逝去すると、本会議での哀悼演説が行われます。(* ちなみに、参議院では「哀悼演説」、衆議院では「追悼演説」と呼びます)この哀悼演説の中にも時に心を打つものがあります。故人を偲ぶ演説は、慣例で他党の議員が行います。昨年末にがんで逝去した山本孝史議員の哀悼演説を尾辻元厚相が涙を流しつつ行った姿は記憶に新しいところです。

「人の評価は棺桶の蓋の閉まる瞬間に決まる」と言いますが、その故人を偲ぶ弔辞もまた故人に対する人々のおもいを表す大切なものだと思います。


「七夕まつり」終わる

2008年08月05日 | 日常
 1日から3日間行われた第55回の「安城七夕まつり」も終わりました。

 写真は、2日に行われた「願いごとふうせん」のいっっせい飛ばしの会場での七夕まつりオリジナルTシャツを着ての、神谷まさひろ安城市議会議員とのツーショットです。

 約5千個のふうせんが一斉に舞い上がる光景は圧巻でした。ちなみに、風船は環境面に配慮して上空で風化するものを使っているそうです。

 今朝は、その神谷市議を含めて5名の安城市議の仲間のみなさんと一緒に名鉄新安城駅での街頭活動を行いました。

 この暑さに負けず、8月もがんばるぞー! 


安城七夕まつり

2008年08月01日 | 日常
今日1日からいよいよ安城では第55回の七夕まつりが始まりました。
私も今朝は、ジーンズに七夕まつりのオリジナルTシャツという姿で名鉄新安城駅前での朝の演説を行いました。

その後午前10時からは、一市民ボランティアとして、更生病院跡地のJCのみなさんが主催する「願いごと短冊」の受付を夕方までお手伝いさせてもらいました。
その模様は七夕まつり公式サイトにもアップされています。
赤いキャップが私です。コチラからご覧ください。
http://www.anjo-tanabata.jp/history/2008/photo_01.html明日も午前中はボランティアとして参加しようと思っています。

天下の奇祭「万燈祭」

2008年07月30日 | 日常
 土曜日の夜は知立市内の盆踊り会場をはしごしていたので、日曜日の夜、万燈祭の本楽に家内と友人と一緒に出かけました。
 祭らしい雰囲気をと思って久しぶりに浴衣を引っ張り出してきて着て行ったのですがこれが失敗でした。
 元刈谷市議の岡本もりじさんのはからいで、広小路五組の万燈を担がしてもらったのですが、足を広げられないし、足もとも雪駄なので踏ん張りがきかず、よろよろしてまともに担ぐことができませんでした。恥ずかしいやら、悔しいやら、来年はトレーニングを積んで楽々と担いでやると密かに心に誓いました。
 約60キロの万燈を担いで軽やかに舞うのを見ると感心します。
 銀座で万燈祭に関わり続けている新海市議によれば、担いでいる人間が目立っていては本当はダメで、本当は、離れた所から見て万燈の馬や武者が動いているように見せなければいけないそうです。
 県の指定無形民俗文化財にも指定されているお祭りです。ぜひ、市外はもちろん県外からも見に来ていただきたいものです。

駅前をきれいに!

2008年07月28日 | 日常
 私は、毎朝、駅で演説をしていますが、終わった後、時間がある時には車に常備しているトンクを使って、タバコの吸い殻等のゴミを拾っています。

 私の政治の師匠、馬淵澄夫代議士は「自分たちは駅前をステージとして使わせてもらっている。ステージをきれいに掃除するのは当たり前や。」と言って、いつもゴミ拾いをしていました。

 いろんな駅でゴミ拾いをすると、駅によってきれいなところときたないところが分ってきます。残念ながら、13区ワースト・ワンは名鉄の知立駅前です。今朝は特にひどかった・・。タバコの吸い殻、ジュースの空き缶やペットボトル、菓子やサンドイッチの包み紙が散乱していました。写真はそのほんの一部です。

 駅前は、まちの顔、家で言えば玄関です。知立駅でもボランティアのみなさんが時清掃活動をしているようですが、いくらきれいにしても、ゴミを出さないような工夫をしなければこのままでは何の意味がない気がします。

小浜CHANGEバス旅行!

2008年07月13日 | 日常
 7月13日日曜日、おおにし健介後援会主催で日帰りバス旅行を行いました。3台のバスで福井県小浜市に行ってきました。
 NHKの朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」の舞台となり、また、アメリカ大統領選挙の民主党のオバマ候補で沸く小浜市にみなさんと一緒に行ってオバマの勢いにあやかろうという企画です。
 私は、3台のバスを乗り移りながら、それぞれのバスの中では、さながら「動くミニ集会」のごとく、みなさんと質疑応答を行ったり、ビンゴゲームを楽しんだり、私が作詞した替え歌「明日があるさ」をみなさんと歌ったりと楽しい時間を過ごさせてもらいました。
 少し残念なのは、法改正によって、観光バスの中でもシートベルトを着用し、走行中は席を立つことができなくなったことで、バスの中で席を移動してお一人お一人とお話をすることができなくなったことです。走行中は、私も座ったままあいさつしなければならず、ずっと体をひねって話すのは首がえらかったです。
 安全のための規制であることは十分理解しますが、プロである添乗員さえ走行中はお客様へのサービスができないというのは実態とかけ離れているような気がしました。
 オバマ便乗商法に乗せられて、私もオバマ関連みやげを買ってきました。「オバマまんじゅう」と「オバマハンバーグ」です。「オバマまんじゅう」は肖像権の関係で現在は後姿だけです。これはこれで面白いかも。

萌えないメガネ男子

2008年07月11日 | 日常
私は、強度の近視で普段はコンタクトレンズを使用していますが、酔ってコンタクトをはずしてフォルダーに入れたつもりが失くしてしまいました。

失くした日は忙しくてコンタクトを買いに行けず、次の日に行きましたが、度が強いために店には在庫がなくメーカーからの取り寄せになってしまいました。これは困ります。いつもは寝る前にしかかけないメガネをかけるしかないのですが、街頭演説や一軒一軒あいさつ回りをする時には、さすがに、メガネではポスターと同一人物、本人とは見てもらえないので、片目だけコンタクトレンズを入れてがんばりますが、やはり焦点が合わないので疲れます。

写真は携帯のカメラをインカメラにして自分で撮ったレアな一枚です。
世間にはメガネ男子に「萌える」という人もいるそうですが、小学校5年くらいからメガネをかけ始め、度が強い自分にとってはメガネはコンプレックス以外の何物でもありませんでした。
最近では、メガネもおしゃれアイテムとしての地位が認められ、コンタクトやレーザー手術等技術も昔に比べると格段に進歩しています。

今でこそ自分は何でこんなくだらないことにコンプレックスを感じていたんだろうと思いますが、子ども、特に思春期の子どもたちは他人が思っている以上にちょっとしたことにコンプレックスを感じているのではないでしょうか。周囲の人間がそのことに気づかずに心にもない言動で傷つけるようなことがあるとその子の一生に影響を与えしまうう可能性もあると私は思います。

御覧のとおり、私のメガネ姿は、妻、スタッフを含め周囲の人から不評です。
残念。。