某資料に載ってた新城市出沢の清沢の滝を探してきた
この清沢の滝にはいわれがあって
新城市の昔話によると
「昔、文武天皇が勅使として草鹿砥公宣卿を鳳来寺に向かわせた際
雁峰山の御膳石(ごぜいし)という所で昼食をし
中腹寺(ちゅうふくじ)まで来て休憩されて
それから出沢の清沢の滝で身体を清めて・・」
清沢は七久保川の下流域にあるというので
地元の人に聞いて、沢の場所を特定した
しかし「滝のようなのは無いよ~」って
清沢入り口
右手の川の対岸に、赤い不思議な建物があるのが目印
小さな沢である
上り口すぐに小さな砂防ダムがある
某資料では、15m程で滝があるとのことだが
それらしきものは見えない
とりあえず沢づたいに登ってみる
100mぐらいは登ったかな?
沢が二俣になってる右側の沢に滝発見
落差8~10mぐらいかな?
細い水の流れ
実際、これが草鹿砥公宣卿が身を清められた滝かどうかは判らないが
とりあえず清沢にあった滝ということで、ご紹介です
この清沢の滝にはいわれがあって
新城市の昔話によると
「昔、文武天皇が勅使として草鹿砥公宣卿を鳳来寺に向かわせた際
雁峰山の御膳石(ごぜいし)という所で昼食をし
中腹寺(ちゅうふくじ)まで来て休憩されて
それから出沢の清沢の滝で身体を清めて・・」
清沢は七久保川の下流域にあるというので
地元の人に聞いて、沢の場所を特定した
しかし「滝のようなのは無いよ~」って
清沢入り口
右手の川の対岸に、赤い不思議な建物があるのが目印
小さな沢である
上り口すぐに小さな砂防ダムがある
某資料では、15m程で滝があるとのことだが
それらしきものは見えない
とりあえず沢づたいに登ってみる
100mぐらいは登ったかな?
沢が二俣になってる右側の沢に滝発見
落差8~10mぐらいかな?
細い水の流れ
実際、これが草鹿砥公宣卿が身を清められた滝かどうかは判らないが
とりあえず清沢にあった滝ということで、ご紹介です