ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

コブクロ ~ 松園店7周年によせて

2013-10-05 01:56:24 | 第1紀 をかしら屋
いま書いている「gooブログ」には(たぶん)他と同じように「アクセス解析」機能がある。
その中に「検索キーワード」ってのがあって、読者が何の言葉に惹かれて(検索して)このブログにたどり着いたのかという事なんだろう。
ここのところ上位にいるのが「コブクロ」である。
  (上位には火曜日来店された「村井沙織」ちゃんや、「チチカブ」、「第12肋骨」なんてのもある)
そして「ページごとの閲覧数」でここのところベスト3に入りっぱなしなのが、昨年8月15日の「コブクロの処理について(気の弱い方は見ないこと!)です。

本当に気の弱い方にはきのどくなので、ここには写真をアップしませんが、ワタクシなりの豚のコブクロ(子宮)の下処理の方法をこと詳しく書いています。
一般の方には気持ち悪くて迷惑かもしれませんが、同業者や精肉にたずさわるかたには少し参考になるかなと思います。(まぁ中には、間違っとるとかなんじゃこりゃとか、「コブクロに精通される」方のお怒りの声もあろうかとは思いますが。なんていうか、人それぞれ。)

ニュルニュルして、少し落ち着いた時間がないと処理に気が向かない手ごわい相手です。
なんとかできているよという程度ではあるが、ここまで来るのにはそれなりの時間と経験を要しました。
最初は先輩が教えてくれたやり方にどう近づけようかと、赤かったり黒かったりするその器官を見ながら少しばかり途方にくれていたものです。
そう「豚ナンコツ」の歩留りに目を廻したように。


そんなことを想いだしたのは、そう今日から始まる創業祭の準備をようやく終えて、一段落したからかな。
   (ブログの日付は大通店で書いていたら突然パソコンが気が狂って作業ができなかったので翌日となっています)

7年前(いや本日が創業日だから8年前かな?)の今日、10月4日に「をかしら屋」の創業店「松園店」が開店しました。
冷蔵庫一機以外はほとんど居抜きの「都合のいい」店でしたが、紹介された先輩から見せられた写真ではとうてい流行りそうもない雰囲気でしたので半年放り投げていたのですが、当時営業していた山の上のレストランの冬季休業がせまり、従業員の働き場所を見つけなきゃいけないし喰いっぷちもいるわなと、なんとか重い腰を上げて開業にこぎ着けました。
まぁ自分的にも「ホルモン屋」はやろうと思っていたし、そのキモとなるだろう「辛味噌」の開発がなんとか夏中にできたのも、いいきっかけになりました。

初代店長は東京で焼肉屋をやってきた好青年で仕事熱心。
しかし間もなく病気でダウン。
階下の事務所兼独身寮で数ヶ月同居しましたが、復帰ならず帰郷しました。
ピンチヒッターの、山の上のレストランで働いていた仕事熱心で腕のいいシェフも同じような病気で年をまたがずダウン。

残された女子二名、今の店長とT嬢、そしてワタシが山の上の店を閉めて、できたてほやほや、よちよち歩きの松園店を切り盛りすることになったわけです。

助かったのはこの女子二名、よく働く、よく笑う、よく食べる。
一緒に「これも仕事だ!」を合い言葉に、卓を囲んで毎日のようにホルモンつっつきました。
昼まかないも、そして夜も。

うん、やはり黒豚のホルモンはうまいとか、今朝どれのビガビガの内臓はいいねとか、カシラの三つに分かれたそれぞれの切り方をこうしたがどうだんべとか、コブクロはこの長さ・豚カルビはこの厚さが最適とか、ガツの薄いところを昔行った両国の居酒屋風に作ったがどうとか、ガツの厚い所を(もと勤めていた)H食品の柚子コショウを隠し味に使ってみたけどどうとか、やはり「これも仕事!」だったのです。

(もっともこの試食会をノウゲスの仕事中にやっていると、なぜかお客様が入るというジンクスが成り立ち、ようし客を呼ぶために試食会をしようなんて無茶っぷりの口実にも使いましたっけ。)

そしてもう一つ助かったのは前の職場の先輩・後輩。
ちょっと教えてくれというと、仕事の後やたぶん仕事の合間を縫って駆けつけてくれました。
この方々の技術を見よう見まねで今の店が成り立ったわけで、何があろうと感謝の気持ちは忘れません。

最初から店のコンセプトの一つに「舌の先から尻尾まで食べ尽くす」。
今でも実行していますし、店の特徴として皆さまに受け入れられた理由の一つになっていると思います。

また「豚内蔵一頭仕入れで、鮮度抜群、ボリューム満点、しかも安い」店として頑張りました。
本当に毎日毎日、ホルモンは水を何回も換えてよく手洗いました。
松園はビルの4階にあって(道路からは一階に見えますが)、冬は水道管が長いだけ水も冷たく手が切れそう、夏は少しぬるくなるので「マジに」氷を入れてホルモン洗いしたり、本当に今でもよく洗っています。
内蔵の鮮度管理もいろいろな工夫をしています。
タオル巻いたり、氷敷いたり、休日の前夜はあれこれしたり。
鮮度管理の一番の基本は「売れて」物が回ることが理想ですが、小さい店なりの工夫もあるのです。

大通店が開店するまでの一年間、冬は2番テーブルで店じまいの後に一杯やりながら寂しさをごまかしたり、春秋は裏のテラスで岩手山に沈む夕日と夕焼けを

堪能しながら風に吹かれて居眠りしたり、次第に松園の自然になれてきました。

そうそう、松園・東黒石野の方々、お客様にも恵まれました。
夜の暇なときに快くつきあってくれたお隣のY新聞の所長さん。
松園のことや商売のことを教えてくれた寿司屋の親方。
ホルモン喰えないはずだったのに、いつの間にかとりつかれた運ちゃん。
これは大通店でもそうですが、やはり盛岡のお客様は暖かいと思います。

なんだかんだいって、先輩のすすめで居抜きで入った松園店ですが、7周年を迎え、この地域に少しは根をはって溶け込めているのかなと思います。

皆さま、本当にありがとうございました。

引き続き、松園東黒石野店と従業員を支えてください。


さて、「ホルモン屋」は何を「糧」として生きているのでしょうか。

売上?
利益?
欲しいですよね。
理屈的には支持されているから売上があがり利益を得る。
でも現場で働いていると、売上はともかくとして利益は目に見えません。

確かに「売上」は心を癒します。
でも、売上の中身は一組一組、一人一人のお客様の満足の上にたっています。
ホルモンは嗜好度の高い食べ物ですから、一般受けはしません。
ホルモン好きな方に喜ばれるのが、実はワタシ達の一番の「糧」なのです。
ホルモンファンに喜ばれ、或いは叱咤されて、ワタシたちは前に進みます。

それは、7年前も、今日も、そして明日からも同じです。


7周年によせて

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