寝坊した。
事務所の朝は「7時40分」に自然に目覚めるのが、ここのところの「きまり」である。
今朝はそれが30分ほど遅れた。
原因は簡単だ。
寝つけなかった、あるいは、朝方まで眠りが浅く、熟睡したのは夜が明けてからであった。
ワタシの睡眠サイクルは90分なので、7時ころ小用に起きて、そのまま仕事するか、もう少し眠るか迷ってからワンサイクルの8時半に目覚めたわけだ。
そしてそのわかりやすい原因の「素」は、二つある。
一つは読み終えようと寝床に持ち込んだほんの読了が2時であったこと。
二つ目は、珍しく事務所に戻り、いつものように今日のオーダー票やレシートのチェックもせず、仕事のあとの楽しみの泡も、手作りの料理も摂らず、上着を脱いでそのまま蒲団にもぐり込み本を手にしたこと。
こういうことは希である。
ここのところ医者や友人にさんざん脅かされ、まぁ自分自身もそう思っていたから、今夜こそ不摂生の元の独り晩餐を控えようと、新しい本の読了を口実に行動にでたのだ。
そして、なんとか目的の断酒断食(おおげさ!)と読みかけの本の読了ができ、やはり予想通りの浅い眠り、あるいは寝つけない夜を迎え、久し振りの寝坊と空腹感での朝を迎えたのだ。
さて、その本は、
ワタシは「ミーハー」であると友人は言うが、村上春樹は好きなのである。
翻訳本とエッセイの何冊かを除き、彼の小説はほぼ初版本で揃っている。
(ボクは海外に行ったことがないので、向こうの小説はあまり読まない。背景というかバックボーンになっている生活とか風土とか歴史とかそういう小説の舞台になっている彼の地の常識をワタシが備えていないからというのが、ワタクシ的公的な言訳である。ようするにワタシは日本人であり北国人であり、米国人でも英国人でも白人でも黒人でもない。ただJAZZだけは好きなのである。)
で、話題のこの新刊が出た日、三ツ割の東山堂に山積みになったこの本をさっそく買い、月曜日の午前中に1/3を読んで、昨夜その残りを読了したわけである。
そして、いつものようにまっすぐ育った好青年の主人公が、いくつかの精神的な乗り越えなければならない障壁に向かい、真正面に向う物語を一気に読み終えたのである。
本を読むのは、いや話を小さくすると、「彼」の小説を読むことは、ある意味で、あるいはいつもそうなのだが「自分と向う」事でもある。
そして今回もまさにそうであった。
その「まさに」がワタシの読後感である。
高校生の最後の頃、ワタシはよく空を飛んだ。
そして金縛りにあい、何層もの夢から(たぶん悪夢から)逃れたと思いきやそれも夢、また逃れたかと思いきやそれもまたまた夢という、タマネギのような呪縛にまみれた夢を毎晩見ていた。
たぶん、年齢的にそういう不安定な時期であり、就寝が毎日朝3時過ぎという(受験生であったし中学の頃からパックインミュージックやセイヤングなどの深夜放送に引き込まれていた)生活も影響していたのだと思う。
そして、「二十歳のエチュード」という本にであったこともあり、この主人公に通じるワタシの一時期もあったのかなんて想いだした。
そんな、今日の寝坊の朝。
空飛ぶ話は、夜、大通店のカウンターでしましょうか。
じゃ、
事務所の朝は「7時40分」に自然に目覚めるのが、ここのところの「きまり」である。
今朝はそれが30分ほど遅れた。
原因は簡単だ。
寝つけなかった、あるいは、朝方まで眠りが浅く、熟睡したのは夜が明けてからであった。
ワタシの睡眠サイクルは90分なので、7時ころ小用に起きて、そのまま仕事するか、もう少し眠るか迷ってからワンサイクルの8時半に目覚めたわけだ。
そしてそのわかりやすい原因の「素」は、二つある。
一つは読み終えようと寝床に持ち込んだほんの読了が2時であったこと。
二つ目は、珍しく事務所に戻り、いつものように今日のオーダー票やレシートのチェックもせず、仕事のあとの楽しみの泡も、手作りの料理も摂らず、上着を脱いでそのまま蒲団にもぐり込み本を手にしたこと。
こういうことは希である。
ここのところ医者や友人にさんざん脅かされ、まぁ自分自身もそう思っていたから、今夜こそ不摂生の元の独り晩餐を控えようと、新しい本の読了を口実に行動にでたのだ。
そして、なんとか目的の断酒断食(おおげさ!)と読みかけの本の読了ができ、やはり予想通りの浅い眠り、あるいは寝つけない夜を迎え、久し振りの寝坊と空腹感での朝を迎えたのだ。
さて、その本は、
ワタシは「ミーハー」であると友人は言うが、村上春樹は好きなのである。
翻訳本とエッセイの何冊かを除き、彼の小説はほぼ初版本で揃っている。
(ボクは海外に行ったことがないので、向こうの小説はあまり読まない。背景というかバックボーンになっている生活とか風土とか歴史とかそういう小説の舞台になっている彼の地の常識をワタシが備えていないからというのが、ワタクシ的公的な言訳である。ようするにワタシは日本人であり北国人であり、米国人でも英国人でも白人でも黒人でもない。ただJAZZだけは好きなのである。)
で、話題のこの新刊が出た日、三ツ割の東山堂に山積みになったこの本をさっそく買い、月曜日の午前中に1/3を読んで、昨夜その残りを読了したわけである。
そして、いつものようにまっすぐ育った好青年の主人公が、いくつかの精神的な乗り越えなければならない障壁に向かい、真正面に向う物語を一気に読み終えたのである。
本を読むのは、いや話を小さくすると、「彼」の小説を読むことは、ある意味で、あるいはいつもそうなのだが「自分と向う」事でもある。
そして今回もまさにそうであった。
その「まさに」がワタシの読後感である。
高校生の最後の頃、ワタシはよく空を飛んだ。
そして金縛りにあい、何層もの夢から(たぶん悪夢から)逃れたと思いきやそれも夢、また逃れたかと思いきやそれもまたまた夢という、タマネギのような呪縛にまみれた夢を毎晩見ていた。
たぶん、年齢的にそういう不安定な時期であり、就寝が毎日朝3時過ぎという(受験生であったし中学の頃からパックインミュージックやセイヤングなどの深夜放送に引き込まれていた)生活も影響していたのだと思う。
そして、「二十歳のエチュード」という本にであったこともあり、この主人公に通じるワタシの一時期もあったのかなんて想いだした。
そんな、今日の寝坊の朝。
空飛ぶ話は、夜、大通店のカウンターでしましょうか。
じゃ、