トドの小部屋

写真付き日記帳です。旅行記、本や美術展の紹介、俳句など好きなことをつれづれに。お気軽にどうぞ。

坐漁荘&清見寺

2018-05-18 20:23:30 | お出かけ
今日は友人のY子さんと清水区興津にある西園寺公望の避寒の別荘だった坐漁荘を見学しました。今の建物は犬山市明治村に移築された坐漁荘にできる限り忠実に復元されたものです。西園寺公望という方は、1849年に京都の公家徳大寺公純の次男として誕生し、2歳で右近衛中将西園寺師季の養子となった。20歳で開成所に在学。22歳でフランスパリに渡航。27歳でソルボンヌ大学に入学、帰国後、オーストリア公使、ドイツ公使、ベルギー公使などを歴任。45歳で文部大臣。54歳で立憲政友会第二次総裁、57歳で第一次内閣総理大臣、62歳で第二次内閣総理大臣、71歳で公爵に昇叙、74歳から冬は興津の坐漁荘で暮らすようになる。昭和15年に91歳でなくなるまで政治にかかわってきた明治の元勲でした。(資料より)
建物は数寄屋風の造り。どの部分にも意匠を凝らしてあります。ボランティアさんが丁寧に説明してくれました。おまけに無料で見学できるのです。午前10時から見学が可能。近いところにこのような素晴らしい文化財があったことを、句友から教わるまで知りませんでした。行って良かったと思います。興津駅から徒歩で15分ほどでした。



12時頃までゆっくりと見学して、お昼は駅の方角に戻って和カフェ「茶楽」で食べました。サラダ饂飩とデザートにフルーツ餡蜜を食べました。食事も水出しの緑茶も美味しく良いお店でした。



食後、清見寺に行きました。総門とお寺の建物の間になんと東海道線が走っていて、跨線橋をわたってお寺に行くのです。昔はまさか敷地内に線路が走るなんて想像もしなかったことでしょう。大きなお寺です。創建は鎌倉時代。足利氏、今川氏、徳川氏によって庇護を受け栄えてきたお寺です。坐漁荘も、清見寺も清見潟が埋め立てられる前は、海の見晴がすばらしかったことだろうと思います。残念ながら、今は、海の近くに東名が走り、近代的な港の風景があり、昔のような風光明媚な海岸線は望めませんが、建物自体は素晴らしかったです。





拝観料は300円でした。徳川家康が幼少期に勉強したという小さな部屋がありました。庭は江戸初期に山本道斉によって築庭されたと伝えられ、名園です。国の指定を受けて保護されています。



ゆっくりと見学して、3時頃、興津駅に戻り、電車で帰ってきました。良い気分転換になりました。他の写真はフォトチャンネルをつくりましたので、ご覧くださいませ。
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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Todo23)
2018-05-19 08:20:00
>山門とお寺の建物の間になんと東海道線が走っていて、跨線橋をわたってお寺に行くのです。

まだ良いですよ。
我が家近くの神社。元は安芸の宮島・厳島神社の外宮(伊勢神宮にも外宮ってありますよね)として、随分権威を持っていたようですが、すっかり廃れ。
元々は厳島神社と同じく海上に鳥居が立っている作りだったようですが、今は本殿前を生活道、私鉄と国道が走り、後ろは社をかすめるようにJRが走っています。明治期、文明開化・富国強兵に突っ走った悪しき遺産なのでしょうね。
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%9C%B0%E5%BE%A1%E5%89%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@34.3355197,132.3196848,74a,35y,331.13h,47.88t/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x355aba26ed2a5e6f:0xd1a559f57b36ddf8!8m2!3d34.3362502!4d132.3191152

こんな無住の神社ですが、厳島神社とのつながりは未だに深く、厳島神社の高舞台で行われる舞楽がここで演じられたりします
http://blog.livedoor.jp/todo_23/search?q=%C9%F1%B3%DA
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まぁ、これは残念ですね。 (トド)
2018-05-19 10:24:17
地御前神社という神社はこんなに道路、JR、私鉄、国道に挟まれて昔の面影がなくなってしまいましたね。由緒正しい神社なのに廃れたとは残念。興津は海に山が迫る地形で、清見寺の背後に山が迫っています。仕方なく東海道線を通したと思いますが、幸い本殿ほかの建物は立派なまま残っています。鐘楼の鐘は秀吉が韮山城攻伐の際に造ったものとか。
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あら。 (トド)
2018-05-19 10:28:44
トドさん、日記をブログで綴っておられたのですね、知りませんでした。
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Unknown (Todo23)
2018-05-20 17:26:11
古絵図を見ると、。厳島神社のように海の上に社が建っているところまでは行きませんが、社のすぐ前まで海だったようです。そこを埋め立てて生活道、私鉄、国道を通したみたいです。

>トドさん、日記をブログで綴っておられたのですね、知りませんでした。

あらら、随分昔からですけど。。(笑)

ついでに書道をやっておられるトドさん。
こちらは解読できませんか?
http://blog.livedoor.jp/todo_23/archives/52259596.html
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ごめんなさい。 (トド)
2018-05-21 13:42:00
拝見しましたが、読めませんでした。書道というほどの書道でなく、筆ペン習字を公文の書写教室で習っています。今月で2年になりました。トドさんは先祖代々、今のご住所にお住まいなんですね。日記をまめに書かれてたんですね時々読みにうかがいます。😋
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Unknown (Todo23)
2018-05-23 07:54:11
お手間を取らせ申し訳ありませんでした。しかし、昔の人はどうしてあんな崩し字が読めるのでしょうね。。。

>今のご住所にお住まいなんですね。
今住んでいる家は築100年越えですが、この家が出来るまでは100mほど離れたところに家があったようです。また1773年から始まる過去帳に地御前村とあるので、少なくともその頃から同じ町内で暮らしてきたようです。
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す、素晴らしい! (トド)
2018-05-23 19:06:18
トドさんのお宅は由緒正しいお家柄なんですね。昔の人は読み書きそろばんを庶民でもやっていたほどですから、崩し字が読めて当たり前だったんでしょうね。いま、行書を始めていますが、行書でも楷書をちょっと崩したくらいのと、かなり崩したのがあり、かなりな崩し字は読むのが難しいと思います。
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