Y君は大学時代の同級生。仲良くさせてもらっている。彼は語学の優等生だ。僕は劣等生。釣り合いが取れないのに、よく遊んでもらっている。没になりそうな僕を、引き立ててもらっている。いろいろな刺激ももらう。助けてももらっている。励ましてももらっている。18歳で出遭ってからだから、もう付き合いも50年を超える。このブログも読んでくれているらしい。彼は朝が早い。4時、5時には起きてこのブログを読むこともあると言っていた。40キロくらい離れたところに住んでいる。家の周囲には広い畑がある。そこに農産物を作っている。そこはこの僕と共通する。それでその話をよく話題にする。この頃彼から電話がない。体調でも崩したのだろうか。僕がこのブログで「一人がいい、一人が自由で気ままでいい」といったことを書いているから、それを慮(おもんぱか)って、遠慮をしているのかも知れない。だったらすまないことだ。彼はまだ現役で仕事をしている。日曜には暇が出来るらしい。で、日曜には二人で近くの温泉にでも行こうという話になるのだが、この頃はそれもお流れになっている。彼は酒を遣らない。だからちょっとその分は窮屈である。姿勢を崩さない。僕は酔っ払う。これで日常がガタガタに崩れてしまう。すると見通されたような気分になってしまう。不甲斐ない僕はたちまち白旗を揚げねばならない。でも彼はそんなだらしない僕の愚痴にも親身になってよく耳を傾けてくれる。彼は僕の大切な友人である。
ビタミン大根は全長10cmほどしかない。お尻の1cmを除いて青緑。その青緑が深い濃い。丸々としている。健康にはち切れているという感じだ。珍しい。我が家の畑で育てていた。それを今日初めて収獲した。細かく千切りにして生で食べた。口にした途端に元気を授かった。そういう感じがした。畑には三列育っている。寒さが募ってくるともはやこれ以上の成長は望めないだろう。葉っぱの緑も濃い。青々青々としている。人様にお分けしたらきっと喜んでもらえそうだ。シャキッとして断然おいしい。
麻痺をしているせいで血流が滞って左足が全体、黒紫色のチアノーゼ斑点を浮き立たせている。手に触れると凍えている。まるで木枯らしの舞う小学校の運動場の鉄棒だ。冷え切っている。炬燵の中に足を突っ込んでいてもあたたまらない。じんじん痛い。冬になると決まってこうだ。これはしかしわたしが引き受けている業(ごう=カルマ)である。逃(のが)れるわけにはいかない。受け切ってしまわねばならない。わたしがこうして人を苦しめたことがあったので、今その人の受けた苦しみをわたしの身で再現させて、因果の道理をわたしに推し量らせているのだ。わたしが痛がり辛がり苦しがると悪業がその分消滅をしていくことになる。まだそれは終わらない。今度の一生が過ぎるまでずっとこのままかもしれない。でもかならずゼロになる。そこまでは懺悔(さんげ=償いの実践)が続く。悔過(けか=過ちを償う行)が続く。
わたしはさっき牛蒡をピーラー(皮むき器)で薄く薄く剥きました。
根気よく時間を掛けて長い牛蒡2本分も。水を張ったボールにたっぷり一杯になりました。
こんなこと(こつこつとする単純作業)をするのが大好きです。変な老爺です。
これは何にでも使えます。鍋物にしてもいいし、すき焼きにもいい。味噌汁に加えてもいい。なにしろ鰹節の削り節の薄さだ。
もちろんきんぴら牛蒡にも。牛蒡の天麩羅にも。煮物にも。使い前が広い。
早く使い切ってしまわないと、独特の薫りが逃げてしまう恐れがありますが。
夕暮れる
わたしにも夕暮れ
おだやかな夕暮れに
わたしがいることになる
この巡り合わせ
おだやかなわたしと出遭うときが来ている
ベゴニアが咲いている。ベランダの濡れ縁で。冬の淡い日射しが射している。光を受けて桜の花の色に染まっている。言挙げするに足らぬことかも知れないが、今はそれが嬉しい。仏陀の世界を証明しているようで嬉しい。小さな花の口で、安心の世界を囁きかけてきているようで嬉しい。
それを心配することはない。それは仏陀のなされることである。
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われわれがすることは安心をすることである。此処でわれわれがすることは安心をすることである。
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仏陀がわたし宛に届けられた安心を、懐深くに収めて、日々を安らかに嬉しく生きることである。
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あれこれ道をはみ出したようにして不安がることがあるが、不安のない世界の構築されるお仕事は、それは仏陀のお仕事であって、われわれのすることではない。
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仏陀を信じるということは、不安のない世界が実現しているということを信じることでもあるのだ。
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我々は何処から来て、いま何処に居て、何を為し、これから何処へ向かって行くか。
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我々は仏陀の法界から来て、その法界を吟味し酌量し、安堵し安心するために此処を与えられ、此処に留まってその過程を喜び楽しみ、満喫し堪能し、また仏陀の法界に帰って行くのである。
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さぶろうはお昼を過ぎて、なんだかちょっと不安に襲われた。そしてそれを抜け出ようとして藻掻いた。その間で以上のようなことを考えた。いつものような当て推量であるが、それで不安がやや軽くなった。
非所在という所在のあり方がある。そこに暮らす者は、所在を示すことは出来ないが、所在している。なぜ所在を持たないか。形を持たないからである。色を持たないからである。われわれは形を持つこと、色に現れることに慣れているが、それは一つの方便のあり方であって、それが絶対というのではない。所在の方式というのはさまざまにあるのである。アドバンスする度にわれわれは次元を高くして行く。そしてそれに合った方式を斬新にするのである。心配は要らない。安心は確保されていくのである。何処へ行ってしまっただろうかとわれわれはこの世を後にした者を不安がるが、心配は要らない。安心はますます強く確保されているのである。
昨日の夜中、訃報が入った。福岡市内在住の家内の親類のおばさんが亡くなった。一人で暮らしておられた。お風呂の扉の前に倒れておられたらしい。翌朝デイサービスに下りて来られないのでマンションを上がって行くと玄関が開いていた。そこで発見された。何故扉が開いていたかは謎である。検視の結果は突然の病死。近くに息子も娘もいるがそれぞれ一家をなしている。いまわのときには間に合わなかったらしい。随分のご高齢である。ご高齢であったが、気持ちがしっかりしておられたので、独居をよしとされていた。病院に足繁く通って薬を飲んで健康に留意されていたらしいが、最期はあっけなかった。今日がお通夜。明日が葬儀である。PPKとはぴんぴんころりの略語だそうな。手厚い世話もせずにころりと死なせてしまったという悔いが、遺された家族に後付けされる。遺族が辛いだろう。
昨日僕たちは近くの方を病院に見舞った。90歳近い方である。ご高齢のご主人と暮らしてある。微熱が20日ほども続き病院に来て診察をしてもらったらそのまま入院になったという。入院していても家のことがとても気になると話された。お顔色は悪くない。話も普通にできた。6人部屋である。しばらくご様子を聞いてから「お大事になさって下さい」と声を掛けて立ち去った。
同じようにご高齢の方がベッドにやすんでおられた。嘗ての美女の俤はもう何処にも見当たらなかった。衰残が昂じているのだろう、小さく小さく見えた。どのベッドサイドにも移動式トイレが置かれている。自分で立って廊下のトイレに行けないのだろう。若い看護婦さんが回って来て、排便の手伝いをされていた。「お襁褓を外しますよ」「用は済みましたか」 耳が不自由なのだろう、抱きとめているらしい看護婦さんの指示の声が高く響いていた。家族の方が来ているベッドもあった。
死ぬまでは大変だなと思った。死ぬまでが長いなと思った。一生を閉じるまでにたくさんの人の手を取るのだなと思った。数ヶ月或いは数年、こうしてベッドの上でじりじりじり生を削られて行くのは残酷だなとも思った。この部屋の入院患者には暮れも正月もないようだ。まわりの手厚いお世話がなければその日が過ごせない人たちで溢れている入院病棟。医者や看護婦さんたちが忙しく走り回っていた。
病室がどこまでも続いている。患者さんの唸り声が廊下にまで間歇泉のように聞こえていた。おれももうすぐこうなるのだなと思った。そういう自分の未来を近くに予期しないわけにはいかなかった。妻が「わたしが先にこうなったら、あなたよろしくね」と言った。「わたしが先だよきっと。こちらこそよろしく」僕も対応した。老いて病んで死ぬ人間。死ぬまでは苦しみが続くなと思った。