近郷で獲れた5キロ入り新米が2800円だった。たまたま隣におられたご婦人に聞いたら、「安い方」という答え。で、買って来てしまった。温泉施設の売店に売られてあった。
今夜早速炊いてもらうことにした。4合だけ。おいしいといいけど。楽しみにしよう。
近郷で獲れた5キロ入り新米が2800円だった。たまたま隣におられたご婦人に聞いたら、「安い方」という答え。で、買って来てしまった。温泉施設の売店に売られてあった。
今夜早速炊いてもらうことにした。4合だけ。おいしいといいけど。楽しみにしよう。
それを楽しむ能力を開発すればいいのだ。
それを楽しんではいけない、ということにはなっていないから。
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イヤなものはイヤなもの。イヤにしておいてもいいけれど。
しかし、そうだと固定したままにしていなくてもいい。
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生老病死は避けて通れない。いちいちそれをイヤにしておくのも、それもイヤだ。
それを楽しむ能力を開発すればいいのだ。
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誰一人としてニンマリできないところを、一人でニンマリする。
生老病死を体験できるほどにオレ様は偉大だ、と。切り替える。チェインジする。価値観をチェインジして、ニンマリする。
書いても書いても、お爺さんの書くブログには読者がつかない。
面白いこと、ズキズキすること、ハラハラすること、読んで為になることを書かないからこうなる。
「読者のつかないブログ」もまた、しかし、貴重な希少価値存在なのかもしれない。
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いや待て。未来は無限に続いている。いつかのいつか、読者が100人になる賑わいの日が来るかもしれない。
ご満悦 X ご満悦 X ご満悦という具合にはいかないけれど、ひっそりした侘び住まいの田舎暮らしもなかなかのもの。
田舎を出て行ったらご満悦 X ご満悦になれるかもしれないけれど、出て行かない。出て行くだけの勇気と気概と能力に欠けているから、出て行けない。
で、このお爺さんは、井の中の蛙をして長い老後を過ごしている。大海を知らないことにしている。侘び住まいもなかなかのもの。寂しい田舎暮らしもなかなかのもの。
1から10が静かだ。自由だ。のんびりした暮らしだ。何をしていてもいい。何もしていなくてもいい。
オオタニショウヘイ選手の暮らしも、トランプ・ファーストのワンマン暮らしもいいだろうけど、お爺さんのこの穏やかな暮らしもいい。それなりにいい。
人様はいったい何をして遊んでおられるのやら。高齢者の方々は。6時に起きて21時にやすむとして、15時間ある。
仕事にも行かないから、昼間が長い。とにかくその15時間が自由裁量時間。何かをして過ごすことになる。工夫が要る。
お散歩を楽しんでおられる方が多いようだ。ご近所では公民館主催の100歳体操もなかなかの人気だ。お年寄りグランドゴルフ、ゲートボールの楽しそうだが、もう寒い。
この僕は人の中に入りたがらない。気ままに一人をしている。
ちょくちょく畑に出て農作業をしている。庭に出ていることもある。でも、気温が下がっているときには、それも億劫になる。すると炬燵の守になる。炬燵守は遊びにはならない。
南隣の隣家の北側の屋根瓦に霜が張り付いて真っ白になっている。今日は明け方に気温が氷点下に下りた。寒い。手が悴(かじか)む。炬燵の中に差し入れて、お尻の下に敷いて、あたためる。
今日は11時の歯科医院の予約が入っている。通院3回目。折れた前歯の修理をしてもらっている。まだ何回も通院が必要のようだ。
それが済めば後は自由時間。何をして遊ぼうか。遊び相手はいないから、一人遊びになる。一人遊びだから何をしてもいい。何もしなくてもいい。終日、ただぼんやりしているだけでもいい。
「人生は苦なり」の苦は「思い通りにならない」という苦しみである。思い通りにならないことを思い通りにしようとすることによって起こる苦しみである。
生老病死の四苦は、我が思い通りにはならない。生老病死の運転が不可能だからだ。わたしの動かすハンドルがついていないのだ。思い通りにしようとするハンドルが我が手で動かせない。それが苦しみになる。
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則天去私。天の安心に則(したが)えば、即、私の不安を去ることができる。
わたしが動かすハンドルはついていないが、しかし、わたしの生老病死は仏陀のハンドル・宇宙法則・ダンマに委ねられているので、それに任せていればいいのである。
いや、任せられなくてもいいのである。任せようが任せまいが結果は同じだからである。みなわれわれ生命体は大きな導き手によって導かれているからである。
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こんなことを考えている。不安を除去しようと思って。
夜中には氷点下に下がったらしい。午前7時半現在で外気温は1・4℃しかない。冷える。
何しろ年の暮れ。いかにもいかにも年の暮れらしい。今日は20日。金曜日。残り11日で新年となる。
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「死ぬときは死ぬがよろしく候」良寛禅師のことばを思い起こした。万事よろしいよろしいで、己に受け入れて行く。これは楽。
何故よろしいのか。仏陀に導かれているからだ。導かれていなかったのならきょうのわたしはなかったのだから。
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この田舎育ちお爺さんはあれこれ案じるけれど、案じないでもいい。すうすうハアハア、おいしい息をおいしく吸って吐いているだけでいい。
老いて老いている。やがて老いのラストが訪れて来るが、それは「宜しいラスト」「最高最上最良のラスト」として訪れて来る。
あれこれを欲しがるな。欲しがれば欲しがるほどに空しくなってしまうからだ。欲しがらないでいること、現在ただいまで充足していること。それがベストなのだ。自らにそう言い聞かせる。
仏教経典を開く。わたしにダンマを説いている仏陀の声を聞く。聞いてよろこぶ。よろこべる。此処で到達点。仏陀に遇えればこの世が涅槃界になる。それ以上はない。それ以上を欲しがるな。