一人で、長時間籠もっているから、不安になってしまうのだろう。
出掛けたらどうだ?
出掛けて行って、生きている人、働いている人、にこにこしている人を見てきたら、気持ちが楽になれるかもしれない、ぞ。
*
だね。
それじゃ、ちょっと外出して来ようか。な。
お天気も回復したことだし。
*
人間をしていると、こうした自己調整作業が必要になって来る。厄介だなあ。
一人で、長時間籠もっているから、不安になってしまうのだろう。
出掛けたらどうだ?
出掛けて行って、生きている人、働いている人、にこにこしている人を見てきたら、気持ちが楽になれるかもしれない、ぞ。
*
だね。
それじゃ、ちょっと外出して来ようか。な。
お天気も回復したことだし。
*
人間をしていると、こうした自己調整作業が必要になって来る。厄介だなあ。
何か書いてないと、死んでしまっているようで、不安になります。
(そんなことはないのに!)
「いまおれはこうして生きているんだぞー!」を叫んでおきたいのでしょうね。
*
たしかに、死んでしまえば、駄文も雑文も書けないのですよ。ね。
胡瓜の蔓が伸びて伸びています。伸びるのを止めません。
作ってあげた柵を越えました。
勢いが余っています。
元気だなあ‼️
☆
お隣さんは空き家です。
下水道工事が終わったようです。今日すべきだった分の工事が。道路を掘削する大型機械の騒音が消えています。
工事に携わっておられたみなさんお疲れ様でした。
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「お疲れ様」の同意語に近い「ご苦労様でした」は禁句だそうです。
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「ご苦労様でした」は上から下への目線で使う言葉だそうですが、なぜそうなのか? 僕には理解が出来ていません。
一度、若いときに、上司の方から注意を受けました。
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歴史をひもとけば、お殿様が家臣に声を掛けられるときの、いたわり言葉なのかもしれませんね。
いやはや、日本語は難しいです。
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英語では、I appreciate your hard work.と表現するらしい。上下関係の匂いはないのかな。これで?
右腕の筋肉がずきずき疼きました、昨夜はずっと。
スコップの使い過ぎです。畑に出て、土を掘り起こし、畝を盛り上げました。
椅子に座った姿勢でするから、下半身は動いていません。上半身が下半身の分まで動いています。
草取りも右手を使います。畑はスギナ(土筆のお母さん)が旺盛に栄えていますから、土を深く掘って、この根っこを除去しなければなりません。畑は広いし、これがタイヘンなのです。
*
今日は畑へは行きません。雨模様だし、休憩日にします。
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畑へ行くのは、しかし、僕のこころの教室に行くようなもの。そこではきっとこころが学習をします。無心をいただて、癒やしの学習をします。
*
今日はそれが出来ません。もやもやするでしょう、だったら。それを防ごうとして、僕はYouTubeで静かな音楽を聴いています。
三尺ささげ豆が裏の畑で育っています。2列。12株ほどあります。種を一袋蒔きました。発芽したものはみんな、捨てずに移植して上げています。
列の真ん中に、蔓が這い上っていけるように、柵を作って上げました。目の粗い網を張っています。
網からはやや距離があります。今日見たら、蔓が途中から直角に曲がって、網に辿り着いていました。
どうしてそこに網があるということに気がついたのでしょう? どうしてそっちの方角へ急転回して行ったのでしょう? クエスチョンです。
豆の蔓の先には、目が着いているのでしょうか?
不思議な生き物です。案外、高度な文明を持っているのかもしれません。
我が家はいま百合屋敷になっています。
家の回りの東西南北、たくさん咲いています。
透かし百合、鉄砲百合系統です。
花盛りは短いです。
キレイなうちにたくさんの人に見てもらいたいです。
15日は年金がもらえる日。嬉しい。
爺さんになって、働かなくなっても、お金がもらえるって、いい身分だぞ。
僕は、下半身がすべて麻痺を起こしてしまったので、早期退職を余儀なくされた。寝たきりが続いた。
それからはずっと年金をもらって生活をしている。年金さまさまということになる。
リハビリを長く続けた。少しずつ少しずつ、麻痺の範囲が狭まっていった。うんちが一人でできるようになった。これには感激した。ベッドから降りて生活できるようになった。
いまはもう車椅子も不要になった。短い距離なら杖も突かずに歩ける。畑に出て畑仕事も出来るまでに回復した。25年掛かった。
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苦しみは楽しみの材料になった。なり得た。少しずつ少しずつ回復が与えられた。
神さま仏さまが助けに入られたからだと思っている。
*
年金は明日銀行に行って引き出そう。生活費になる。
さて、と。3時だ。コーヒータイムにしよう。大福餅がテーブルの上に置かれていたようだぞ。あれを食べよう。全部じゃなくていい。3分の1ほどでいい。
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甘いものが嫌いという人もいるようだが、僕はそうじゃない。好きだ。お酒も好きだ。二刀流だ。塩っ辛い梅干しも厭わない。あれこれ欲が深い。
植物は、何も考えていないのでしょうか?
考えるための組織が見当たりませんが、でも、考えているように思えます。
嬉しがれるからこの世に出現しているはずです。だから、嬉しがっているはずです。
根を出すのも快感、茎を伸ばすのも快感、葉っぱを茂らせるのも快感、花を着けるのも快感、実を実らせるのも快感、のはずです。
感覚器官がきっとどこかにあるはずです。あるいは全体そのものが感覚器官になっているのかもしれません。
嬉しいと感覚できることは考えていることです。この世に命を得たことを嬉しいと受け止めていることです。
*
ふ、ふふ、ふふふ。勝手な推量ですけど。
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でも、嬉しいのなら、嬉しいと表現しないでもいいのかなあ? 嬉しさをひた隠しにして、それで足りているのかなあ?
僕には出来ない技だなあ。
*
葉っぱがそよそよと夏風に吹かれているきりである。