<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

誰に相談しようもない。悲しい。

2023年06月22日 14時13分01秒 | Weblog

弱点をわたしは持っている。ひた隠しにして隠しているつもりだが、自分自身には見破られている。あっさりと。

こいつにいつも虐められる。責められる。攻撃される。一笑される。軽蔑される。全人格をも否定されてしまう。

苦しがる。泣く。涙をこぼす。たまさか発芽しかけた勇気も希望も、いとも簡単に枯れてしまう。

勝負に出るが、かなわない。何度挑戦しても撥ね除けられる。自分の無能力を再確認再々確認するだけで終わってしまう。

もうすぐ我が人生も終局する。弱点を弱点としたままで、終局する。でも、誰に相談しようもない。悲しい。

いい点が、しかし、一つだけある。驕り高ぶりの高慢心が遠ざけられる、という点である。

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艱難は、汝を玉にする

2023年06月22日 13時59分18秒 | Weblog

艱難汝を玉にす。

であれば、嬉しいなあ。

そうでなくちゃならないよね。

この諺に擦り寄ってキスをしたくなる。

 

「艱難」=困難に出遭って苦しみ悩むこと。耐え忍ぶべきこと辛いこと。艱難辛苦。

人は多くの艱難を乗り越えてこそ立派な人物となって光り輝いて来る。苦労を重ねて来て、そこを這い出して来て黒光りしている人たちが、この世にはたしかにいる。

さて、このお爺さんは乗り越えられるか。勝負勝負。人生も晩年を迎えているのだが。

 

人間を光り輝かせてくれる艱難を、人は誰もが受領している。押し頂いている。

艱難が、神さま仏さまの、お慈悲に見えるかどうか。

 

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料理は料理人の腕に依る。

2023年06月22日 13時45分54秒 | Weblog

与えられた食材を使ってどう料理してみせるかは、料理人の腕による。組み合わせによってもさまざまに違って来る。

われわれの味わう人生もそうではないか。料理人の腕、料理法に依るのではないか。さまざまに味を変えてくるのではないか。

貧しい暮らしをしていても、とびっきり豪華に味わえるのではないか。

一つきりではないような気がする。

思い思いにみな違った料理法で人生を味わっているのだろう。思い思いに食材を選んで来て、味付けを試みているのだろう。

高級食材ではなくとも、プロの手に掛かれば、美味しい料理が作れるのかもしれない。

そういうプロがたくさんいて、さまざまにさまざまに、この人生を楽しんでいるのかもしれない。

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百通り千通り万通りの地上世界。

2023年06月22日 13時35分26秒 | Weblog

疑問。

カラスの黒い目が見ている地上世界と、老眼鏡をかけた僕の目が見ている地上世界は同じだろうか? 違うだろうか?

あんがい違っていたりするかもしれない。

食べ物になるものがあるところだけ、拡大されているかもしれない。上空を飛翔しながら、即座にモノの気配を感知しなければなるまいから。

敵対行為を仕掛けてくる人間は、烏の目にはどう映っているのだろう? 

鬼になって見えているのだろうか?

鳥たち、獣たち、虫たち、魚たちの、百通り千通り万通りの地上世界があるような気がする。

 

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あなたの命のドラマを、わたしはたしかに見届けました。

2023年06月22日 13時22分55秒 | Weblog

南西の方角に位置している祇園山。山はそれほど高くない。低い。標高200mもあるまい。

その向こうに入道雲が湧いている。まるで山がそれを分娩しているように見える。白き雲がもくもくと上がっている。

何だかそれがとてもホーリーに見えて来る。これから奇蹟が始まりそうな前兆に見える。

高く高くそれが、ずんぐりと大きな白い柱になって延び上がっている。四角柱になっている。

わたしにそれを見せようとして、そうしている。というふうにも読めて来る。その背後の大いなる意思を感じて、感動を覚えて来る。

そしてそれがあっとい間に崩れた。崩れて、遠くへ流れて行った。天の啓示は終わったのだ。

「あなたのいのちのドラマを、わたしはたしかに見ました」「元気をもらいました」 そのように述べて、感謝を表した。

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小鳥を鳴かせているものがあるのではないか?

2023年06月22日 10時47分02秒 | Weblog

空に小鳥を来させて美しい声で鳴かせている。

「小鳥が鳴いている」のだが、「小鳥を鳴かせている」と受け取ってみる。

それだけでそこに変化が生まれる。フシギだなあ。

自然な流れに違いないだろうが、あえてそこに意思を誕生させてみる。

「小鳥を鳴かせている」と受け取ると、そこに「鳴かせている」の主語が立ち現れて来る。

ではそれは? 何?

それは神々かもしれない。仏陀かもしれない。宇宙の意思かもしれない。わたしを超えているものがわたしに来てはたらいている。

いやいや、「わたし」かもしれない。無限の可能性を秘めているわたしのエネルギーのなせるところかもしれない。

そこに小鳥を出現させているパワーの源は、実は、わたしその人なのかもしれない。そう思うと、不可思議の念に打たれてくる。雷鳴のように。

わたしは小鳥の出現を可能にさせて、それで嬉しがっている。この世を楽園パラダイスにしている。

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わたしは原子アトムに戻る。

2023年06月22日 10時35分12秒 | Weblog

原子アトムに戻る。するとわたしは風になれる。軽々と自由に、野山を吹き過ぎて行く風になれる。

原子アトムが複雑に構成し合ってわたしを造成したのだから、その逆の変化だって辿っていけるはずである。

それをそうしようとしていたWILLがあったのだから。大きな大きなWILL、宇宙大の意志なるものが。

風になったわたしは、どうするだろう? 大勢の風たちといっしょに、ただ一日自由に戯れて過ごすのだろうか。

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薔薇の花が開くように。

2023年06月22日 09時56分59秒 | Weblog

自動的に見えているものを見ているけれど、そんなに受け身的ではなくて、こちらが見ようとするものを積極的に自主的に見ることはできないのだろうか?

そこに「こころ」が加わったら変化が訪れてこないだろうか?

「こころ」あるいは「思い」や「願い」は、変化のパワーを内包しているのではないか。変化を実現してくれるのではないか。

薔薇の蕾が開くように。

見えてなかったなあと思っていたことが、ある日いきなり見えて来る、そういうこともありうるのではないか。

暗く暗くしか見えていなかったものごとが、魔法を掛けられたようにして、明るく穏やかに見えて来ることがある。

実態というものそれ自体は変化しなくても、見る目の方に変化が訪れてくるという現象はありうることである。

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僕は汚れた衣類を脱ぐだけ、

2023年06月22日 09時48分42秒 | Weblog

有り難いなあと思います。

日ごと、洗濯をしてもらっています。これで清潔が保たれます。

僕は汚れた衣類を脱ぐだけ。済まないなあと思います。

洗濯が為された衣服は、太陽を身に浴びていて、心身を明るく温かく爽やかにくれます。

これで元気が保たれます。感謝をします。

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僕はXの電子で溢れます。

2023年06月22日 08時29分36秒 | Weblog

僕に詩を書かせるXの存在を思います。

Xは姿を見せません。姿は見せないけれど、パワフルです。

さかんにそのパワーを僕に送電してきます。

僕は電子で溢れます。活動します。

すると僕の指が言葉を創造して詩を書きます。

今朝6時に起きて詩を3編書きました。爽やかな詩ができました。

Xさんに感謝します。ありがとうございました。新聞に8月の詩として投稿します。

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