<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

相手の自由自在を認め合っていられるか

2017年08月12日 18時42分53秒 | Weblog

トンボが止まった。アカママの葉っぱに。仲良くしようか。僕が言い寄ると、トンボが目玉をくりくり回した。理解が行かなかったのかも知れない。仲良くしようって、どういうことなんだろう。

拘束するってことではないよね。束縛するってことでもないよね。縛り付けておくってことでもないよね。相手の自由自在を認め合っていられるってことなんだよね。トンボが続けざまに質問した。質問と言うよりは主張のようでもあった。僕はしばらくしてトンボの言い分を全面的に受け入れた。

トンボとトンボ、トンボと人間、人間と人間、人間の国と国、全ての生き物と地球、それが互に仲良くすることも同じ道理に違いない。僕はそう思った。

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わたしは全体のわたしだったのである

2017年08月12日 18時28分35秒 | Weblog

一人が死んで二人が死んで三人が死んで四人が死んで五人が死んだ。

でも、一人が生まれ二人が生まれ三人が生まれ四人が生まれ五人が生まれた。

死んで死んで死んで死んで死んで、生まれて生まれて生まれて生まれて生まれた。

悲しんで悲しんで悲しんで悲しんで悲しんでいたのに、それと時を同じくして、よろこびよろこびよろこびよろこびよろこんだのである。

世界はこれで平らになった。

悲しみの陥没の部分を均してよろこびの隆起が押し寄せて来た。

そして平らになった。わたしは全体のわたしだったのである。

小さく小さく小さく小さく小さく生きていながら、大きく大きく大きく大きく大きく生かされていたのだった。

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久しぶりに外(庭と畑)に出ました

2017年08月12日 18時17分45秒 | Weblog

夕方6時を過ぎて、涼しい風が吹いています。一挙に秋になっています。いったいどうしたのでしょう。首を傾げます。僕は久しぶりに外に出ました。しばらく水遣りをしました。夕顔が涼しい顔をして咲いています。日が沈んで大地が影をつくっています。

 

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野河内渓谷に来ています

2017年08月12日 15時39分09秒 | Weblog

野河内渓谷に来ています。涼しくて別天地です。孫が渓流に入って行きずぶ濡れになりました。歓声が聞こえています。家族連れも沢山です。

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にんげんは誰も来るなと熊八はしゃぐ

2017年08月12日 10時41分01秒 | Weblog

月と飲む酒のうまさよ にんげんは誰も来るなとはしゃぐ熊八    薬王華蔵

ふふ。はしゃいではいるが、なあに、にんげんとの付き合いが下手だったからだ。勝ち組ではなかったからだ。だから、追い込まれて追い込まれて、最後に出遭ったのが月ということだったんだ。熊八の風体は荒々しい山野の熊のようである。

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無気力でやる気が起こらない

2017年08月12日 10時15分45秒 | Weblog

やたらと眠い。無気力。やる気がない。何をする気も起こらない。だらだらすごすしかない。老爺はますます老爺の急坂を下って行く。堕落を食い止める止め木がない。交接がない。世間と殆ど隔絶しているからだ。

今朝の新聞の投書欄を読んでいて平手打ちを食らわされた。退職後ボランテイア活動に邁進している方の投書だった。人様に奉仕をして暮らす明るい積極的な暮らし方のことが綴られていた。奉仕活動という領域はわたしの眺める地図にはない。まったく欠落している。人様のために役立とうという義侠心がない。恩知らずである。人様のお世話になって暮らして来ながら、これを返そうとしない。我が懐中に人様のお世話を溜め込んでいるきりであるから、泥棒である。投書をなさった方の対極にいるのである。冷や汗が出た。

まことに怠惰である。こういう生き方を何年積み上げても、賽の河原の積み石だろう。そうであってはならないのだ。そこは分かる。終活に勤しまねばならないのだ、日々刻々。終着地点はもう見えている。借りは返しておかねばならないのだ。だがやたらと眠い。無気力でやる気が起こらない。

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我が頽廃の暮らしは修正がきくのか

2017年08月12日 09時32分45秒 | Weblog

日にひとつわが頽廃を刺すもののあれかし 薔薇の棘よりほかに     薬王華蔵

「頽廃」は衰えて廃れること。気風が崩れること。またその不健全性。フランス語のデカダンは虚無的・退廃的な態度で生活する人。そこに意義を見出す文人。デカダンスは堕落の意。19席末、フランスを中心に虚無的且つ耽美的な文芸運動が巻き起こった。やや病的・怪奇的。ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボーなどがその代表詩人。しかし我が輩の頽廃はそういう芸術的態度とは無縁で、唯単に「懶(ものう)い暮らし」に限定されている。我が輩の暮らしにはおよそ進歩というものがない。

薔薇の棘が指を刺すとチクリと痛い。痛みが暫く残る。頽廃がそこで若干の修正を余儀なくされる。しかし、それではつまらない。事件が起こって欲しいとも思う。事件を起こす人が現れてきて欲しいとも思う。もちろん心地よいほどの刺激を与えてくれる人であればそれに越すことはない。そんな我が儘は、だが、通るまい。世紀末のデカダンではなく、わが人生終末の軌道を修正するべき、淡い耽美的期待である。

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ワシワシ蝉が甲高い

2017年08月12日 08時14分59秒 | Weblog

トマトが木で熟れている。地上2mほどの高さで。5個。朝の日がそこに差し込んで、赤さが際立って見える。蝉が鳴いている。ワシワシ蝉だ。甲高い。昨夕、水遣りをするのを忘れていたので、今朝になって朝顔の鉢に水遣りをした。自転車に絡まって幾つか咲いている。

昨日は孫を連れて県の西北に位置する伊万里まで梨狩りに行った。一昨日の11時半に次女が帰省してきたので、家族が5人い膨れあがっている。昼はラーメン屋さんに立ち寄った。次女が久々に佐賀の豚骨ラーメンを食べたいというので。

広い丘陵地帯全体が梨園だった。農家が共同経営をしているらしい。傍らの長四角な屋舎には人々が大勢働いていて、出荷に忙しい。事務所には試食用の梨が薄く切って大皿に列べられている。よく冷えておいしかった。梨狩りは初めての孫がはしゃいだ。

今日は何処へ行こうか。渓谷へ行くのもよさそうだ。深い森の中はひんやりしているし。そこでピクニック気分を味わうのも一計だろう。渓谷は県内県外あちこちにある。近場がいいかもしれない。孫は水遊びするのはどうだろう。まずそれを問い糾してからだ。

 

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弟は死んでなんかいないと思う

2017年08月12日 01時40分29秒 | Weblog

何か考えろ、さぶろう。さぶろう考えている。

弟は死んではいまい どこまでも続く緑に白雲生まる      薬王華蔵

短歌を作ってみた。弟が病気をして亡くなった。一昨年10月末に。弟とは4才違いである。たしかに姿は見なくなった。物体形状としての弟はいなくなった。でもほんとうにそうなのか。僕は疑っている。その証拠に白雲が生まれているではないか。山々の緑も何処までも続いているではないか。なくなるということはない。姿を変えているが、存在そのものが否定されるという事態は起こらないのである。死もまた変数、変化数でもって数式表現ができるのではないか。

旅に出るとき、僕はよく仏壇の弟に声を掛ける。位牌には釈信慧信士とある。「おい、弟よ、旅に出るぞ。ついてくるか」と声を掛ける。温泉に浸かるときには、「おい、弟よ、どうだ。いい湯だろう」と声を掛ける。返事は聞こえないが、相手には聞こえているのだと思う。死んでなんかいないと思う。よくそう思う。

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