<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ではわたしは救われた者である

2017年08月13日 23時56分55秒 | Weblog

一度でも観世音菩薩を念じた者は救われると法華経にある。ではわたしは救われた者である。

わたしは南無観世音菩薩を唱えた。一度ならず。約束は守られるはずである。まして菩薩如来の仏門の約束である。仏陀との契約事である。

こうなれば、生老病死のいずれも救われた者の生老病死である。何がどうなろうとそれも救われた事実である。そう見えていなくともそれで約束履行である。

世間の言う通りでなくともいい。偉くならなくともそれでいい。たとい正義に則っていない悪道の流転でも、それでいい。失敗失策だらけでもいい。のろまでいい。蒙昧でいい。不評者であってもいい。誤算と出てもそれが救われた者の選択肢である。それがこの時点での、仏に救われたわたしの姿である。安心をしていていい。わたしは仏に救われた者である。これは揺るがない。

にたりにたりにたり。これでいい。生きているときにこうであるから、死後もこれに洩れることはない。こうでなくちゃ。

仏道は一貫している。貫き通されている。こうであってこその仏道。しめしめ。にたりにたり、にたりにたり、にたりにたり。とは申せ、老爺の真夜中のひとりにやにやは薄気味悪いから此処らでもう止める。

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空港へ孫たちを迎えに

2017年08月13日 17時06分02秒 | Weblog

空港へ孫二人とそのお母さん、つまりわたしたちの娘を迎えに行って来ました。真ん中の孫はもう数日前に一人で来ていっしょに過ごしています。わたしの車は8人乗り。こちらから5人が乗って出迎え、ちょうど8人になりました。さすがにお盆の初日。飛行機も満席のようでした。出迎えの家族たちでしょう、空港ロビーは相当な人混みになっていました。帰りがけに、亡くなった弟の家に行き仏檀にお参りしてきました。下の孫は4歳。男の子。可愛い盛りです。さっそく纏わり付いて離れません。長男は今年から中学生、落ち着きも出て、ずいぶん男っぽく感じられました。

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光り合う互の胸に

2017年08月13日 13時28分58秒 | Weblog

夏空とふたりの時間 光り合ふたがいの胸に吸いこみ静か    薬王 萌

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夏場はするするの素麺に限る

2017年08月13日 12時54分02秒 | Weblog

お昼。素麺を食べる。食欲減退の夏はこれに限る。噛まなくていい。するするするすると喉を通る。それに当地は素麺うどんの産地。工場があちこち立ち並んでいる。それぞれの銘柄に独自の味がある。あれやこれやを楽しめる。素麺の食べ方は簡単。茹で上がったら冷水で洗って冷やす。水を張ったガラスのボールに入れる。我が家の井戸水は夏場はやたら冷たい。ここに素麺を浮かばせる。鰹節と炒り子、昆布の出しに青紫蘇を刻んで入れる。この出しを小さな硝子食器によそって、これに浸けて素麺を頂く。トマトを菜にする。昼間は胃袋が小さい。僅かで満ちる。

 

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此処物質界では学習が進む その6 ラスト

2017年08月13日 11時56分13秒 | Weblog

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死者は死を恨んだりはしていない。悲しんだりはしていない。そこを跳躍して新しい段階に進んでこられたのだから。学び終えた死者はもはやそのレベルにはいないだろう。死者は、われわれ物質界滞在者の愛憎を、悲喜を、一生涯の貴重な体験によって、凌駕した人たちなのだから。

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これを今日の結論とします。でももちろんこれはよろよろの老爺の結論です。こうであったらいいなあ、くらいの結論です。

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此処物質界では学習が進む その5

2017年08月13日 11時53分28秒 | Weblog

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「なあんだ、そういうことだったのか」物質界で起こる生死を絶対視してきた人たちの弁である、これは。仕方のないことなのだ、しかし。たしかに物質界で生き死にをしていたのだから。それは絶対でなければならなかったのだ。

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しかし、やがて諒解する。生死は学習向上のための遊具に過ぎなかったと言うことを。そこを超えて来たら、それは段飛びの跳躍台であったということを。

 

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此処物質界では学習が進む その4

2017年08月13日 11時36分44秒 | Weblog

物質界には時間があって今日は8月13日だ。物質界には空間があって夏空が広がっている。澄み切って青い。

老爺のさぶろうは暇が多い。こんなことあんなことを考えて暇をもてあそぶ。他愛ない。物質界へ降りて来た間に、しかし、その目的とする向上をも少しぐらいは囓っておかねばならない。ちりちりちりちり米俵を囓る。鼠のようだ。

 

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此処物質界では学習が進む その3

2017年08月13日 11時34分38秒 | Weblog

生死も学習の対象である。それをどう体験するか。どう考えるか。どう乗り越えてどうプラスにするか。それがすめば、それは学習の材料倉庫から押し出されて大空に消えてしまう。非物質界には生死はない。精神界には死がない。死がないから、生がない。だから、残念ながら生が体験できない。

精神界に進んだ我が弟は今日はどうしているだろう。瞑想にもそろそろ飽いて来たかもしれない。まずもって、死んだことなんか苦にしてはいまい。悲しんだりはしていまい。今やそういう二者相克のレベルにはいないのだから。

 

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此処物質界では学習が進む その2

2017年08月13日 11時31分15秒 | Weblog

敵が出現する。憎しみが湧く。毒として溜まる。毒を中和するにはどうするか。愛が沖合から海潮になって押し寄せてくる。許すことができるようになる。受け入れる。非とするものも壊さずに育てる。やさしくなれる。

此処物質界では学習向上が一気に進む。そういう場として設定されているのだからそうなるしかない。われわれは向上へ向かう階段を一歩一歩上り詰めて行く。次のレベルへ招かれる。次元が新しくなる。非物質界へ来る。精神界が宇宙を為している。ここでそれを反芻して復習する。ここには争いがないので、長期間の瞑想が出来るのだ。それを楽しむ。

 

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此処物質界では学習向上が進む その1

2017年08月13日 10時20分29秒 | Weblog

此処物質界では学習向上が一気に進む。そういう場としてあるのである。

だから学習が進むのは当然である。先ず目に見える。形がある。じかに触れられる。言葉が誕生する。名が付く。色合いがある。組み立てが可能だ。交じり合う。おまけに変化がある。変化変容が新物質を造り出す。体験経験が記憶に残る。それが適時に手繰り寄せられる。それが知識になる。

工夫が出来る。意欲が生まれる。楽しむ。欲が増殖する。抑止能力が付加される。障害物が立ちはだかる。悲しむ。引き返したり迂回したり突き進んだりする。苦悩が沈澱する。沈澱した沼を浚える。ストレス解消する。また沈澱する。また浚渫する。そういうことが清浄洗濯になる。知恵を働かせる。

 

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