<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

お許しをいただきたい

2016年08月02日 20時52分53秒 | Weblog

さもさも、色事に通じているような書きぷりであるが、下戸である。色事下戸である。そちら方面がまるでダメだ。異性へのサービス精神というのがまるまる欠けている。ずばり、欠陥車なみである。これじゃ関わりあった女性が悔やむだろう。やさしさがない。いたわれない。たてまつれない。でても仏様のことばかりだと、固パンを食べさせられているようで、読者は面白くないだろう。それで、時折色付きにするのである。お許しをいただきたい。

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日没まで西瓜畑の草取り

2016年08月02日 20時33分32秒 | Weblog

夕方5時過ぎから外に出た。蚊取り線香を腰にぶら下げ、タオルをほっ被りして。西瓜畑の草取りをした。慎重に。西瓜の蔓を断ち切らないように。今年はいろんな西瓜を植えた。大玉、小玉、ラグビーボール玉、黒西瓜など。それが不揃いながら実っているのである。ともかく。巧くは育っていない。ママゴトのレベルである。それでも楽しい。期待が弾む。草取りの後、化学肥料をばらまいてそれからたっぷり水撒きをした。2時間が経過した。汗びっしょりになった。日没した。一銭五厘にもなっていないが、それでもそれでよかった。満ち足りた。いずれ、老人の慰めごとである。夕飯どきに、ビールを傾けて乾杯とした。

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もういい加減飽きが来てしまった 何もかも

2016年08月02日 16時12分59秒 | Weblog

退屈。I'm tired at it all.この世での明け暮れも70年を超えた。わが煩悩、欲望の出し入れも、もういい加減飽きて来ちゃった。通帳の空白がない。新しい通帳は、別の銀行、宇宙銀行でももらえるだろうきっと。そういう可能性に賭けると退屈がやわらいでくる。でもほんの少しだけ。退屈。70才で別嬪さんと恋をして玉のような赤ちゃんを授かるというのはどうだ。うん、これが出来(しゅったい)したらそりゃもう一篇に退屈ではなくなるだろうが、面倒だろう。大いに面倒だろう。仕掛けがでかすぎる。それにそうすれば肝心の別嬪さんが退屈するだろう。おのれ一人の退屈ではないか。このままでにしておくしかあるまい。夏草の茂る庭に虫が鳴いている。夕方近くなって夏草キリギリス楽団はドビュッシーの曲を演奏している。これに聞き耳を立てて貧弱な己の退屈を堪え忍ぶ。

読者諸氏やいかが? あっはっはおっほっほ。ちょうど大漁船が帰ってきて、港の賑わい? 大儲けできりきり舞い? 明日はおらが村の村中のお祭り。笛太鼓。退屈なんてまるでよそ事。そりゃ結構なことでございますな。

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それはそれで愉快だ

2016年08月02日 15時58分35秒 | Weblog

日本人は愉快だ。ある調査によると、死んだら無になると考えている人でも、愛する人は無にならないと考えている、らしい。わたしのこころの中にいつまでも残ると考えているらしい。死んだらお葬式はしなくていいと言い残す人でも、愛する人には立派な葬式を出して十分に弔(とむら)ってあげたいと考えている、らしい。わたしには魂を認めないが人にはそれを認めている、らしい。愛するというのはそういう光の曲折を果たし得るのである。

生命維持装置はこれを外せばその途端にそこにある「生命」が終演するが、君こそ我が命の「イノチ」は永遠を生きるのである。愛する君のイノチは死なないのである。片方に死んで行く物理的な生命があっても、片方にはそういう死なない命がある。これは存在するしないなどという低レベルを超えたものであって、それはそれで愉快だ。

 

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人間は未知数Xに賭けたのである

2016年08月02日 15時42分28秒 | Weblog

西瓜と西瓜の種の話。その続き。

西瓜は西瓜の智慧。子孫を残す智慧を明らかにしておくことができる。人間は是をやらない。と書くと何か人間が西瓜よりも進化が遅れているようにも聞こえるかも知れないが、そうではあるまい。

人間は種を遺さなかった。そのメソッドを選択したのにはきっとそれなりの訳があったのだと思う。きっとそれが更に一段高度な子孫繁栄を将来できると踏んだのだ。女性の卵子、男性の精子はこの世限りである。肉体の死に殉死する。これにはこれでシークレットがあるに違いない。

どんな? どんなシークレットだったんだろう。子孫を残す明白、明瞭な手段、つまり己の死の外側に種を遺すということだが、これをするとジャンプができなかったのである。八艘飛びができなかったのである。陸続きは地道のようだが、そこに未知数ロマンがない。膨らみがない。空想がない。

人間は未知数に賭けたのである。まったく新しいスタートに夥しい期待を込めたのである。子孫繁栄の道は、肉体の死でもって一応は途絶えてしまったかに見えるが、そう見えるだけだったということかもしれないではないか。

人間は賢い。西瓜も賢いが人間も賢い。人間は未知数Xに賭けたのである。その間は睡眠を取ったのである。そう、やがてまた目が覚めることを直感できたからであろう。わたしという一個の種は、たしかに途絶えるかも知れないが、そこには別種のわたしが新しく、希望に燃えて擡頭してくる。そこにロマンを感じ得たのである。

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西瓜には種がある これで希望が繋がる

2016年08月02日 15時23分00秒 | Weblog

西瓜には種がある。一個の西瓜に一個の種ではない。さっき西瓜を食べていてそう思った。西瓜は食べ尽くしてしまって、その形状はなくなったが、西瓜の種が残った。数え切れないほど無数に。

人間はこれがやれない。この智慧は西瓜の智慧である。瓜類はみなこの智慧を実行している。西瓜畑に放置されればそれは腐って終わるが、種は一年後を約束して雨にも乾燥にも耐える。そしてまたそこから新しい生命が芽生える。

人間はこれをやらない。己の肉体の中に新しい生命になる種をはっきり目に見える形にして宿しておけば、己の死というものをもう少し淡泊に、もう少しビジュアルに、もう少し希望を繋いで、考えることができたのではないだろうか。

西瓜には種がある。しかも数え切れないほど無数にある。もしもこれが全部発芽したらと考えるとその想像で思わず笑ってしまう。そうはならない。そのうちの一個の種が目覚めていればいいのである。これで希望は繋がる。

次世代西瓜が発芽してもそれだけでは甘い西瓜の実はならない。そこから雌花と雄花が開花してロマンスが生まれる。花虻や蜜蜂が飛んできて虫媒する。これで実が実る。また数え切れないほどの種が製造されて、そこに希望が貯蔵される。このカラクリが素敵だ。

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夏の夜空にまたたく光

2016年08月02日 13時20分22秒 | Weblog

守られている。これだけは疑えない。その通りなのだから。導かれている。これも疑えない。そうでなかったら、ここにはいないはずだ。守った者、導いた者が誰であるかは限定ができない。限定できることでもない。総括して宇宙のハタラキ、宇宙の法としてもいいだろう。人格をそこに見て、如来としてもいい。法身のブッダとして締め括ってもいい。わたしたちは守られていると思う。わたしたちは一人残らずよい方向へ導かれていると思う。夏の夜空。天の川銀河を見ているとそういう気持ちが強くなってくる。遠くでまたたく明るい光を仰いでいるとそう思えて来る。

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宿の冷蔵庫に忘れ物

2016年08月02日 12時47分01秒 | Weblog

コンビニで買ったおかず2品を宿の冷蔵庫に忘れてきてしまった。1品120円カケ2だから、ま、執着はなし。忘れていいか。昼ご飯のときに缶ビールのつまみにしようと目論んでいたが、昼ご飯を抜いてしまったのがいけなかった。中身はきんぴら牛蒡とポテトサラダ。それにしてもまさしくコンビニエンス・ストアー。便利な物があるものだ。宿からの連絡もないから、冷蔵庫は開けられていないのかもしれない。次の客がびっくりかも。プレゼントかも知れないと思って。

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ハゼランは爆ぜている花火のよう

2016年08月02日 12時36分43秒 | Weblog

ハゼランは、なるほど、花火が爆ぜているように見えますね。夏の夜の線香花火が思い起こされます。asakawaさんのブログの写真を見せてもらいました。見たことがありませんでした。赤紫の色もしゃれていますね。有り難うございます。いつも見させてもらっています。写真が撮れないさぶろうにはどの写真も美しくてマジシャンの奇術のように思われます。asakawaさんは、さぶろうのブログにも訪問して下さっています。それで訪問者数グラフの隣の彼女のローマ字を押すとたちまち写真に飛んでいけます。

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体重が落ちた ベルトの穴が後退した

2016年08月02日 12時23分47秒 | Weblog

体重が落ちた。腹回りが小さくなっている。ベルトの穴が2つ3つ後戻りした。白ご飯をあまり食べていないからかもしれない。白ご飯は糖分が多い。それで食事の量も控え目にする癖が付いた。ま、老人だから痩せていていいだろう。腹もそれほどに空かない。働いてもいないから、これが自然だろう。でも、鰻屋さんに行ってヒツマブシなるものを食べてみたいな。これにはご飯がついているけれど、これは高価だ、勿体ないから食べるとしよう。とかなんとか思っているが、鰻屋さん行きは実現を見ていない。スーパーから素焼きを買ってくるか。塩焼きにすれば、ご飯なしでも食べられるだろう。

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