<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

2mの出来田選手がサービスエース

2015年09月18日 20時22分22秒 | Weblog

目が離せない。日本男子バレーがせっている。相手は強豪イラン。1セット、2セットを連取した。第2セットも接戦。25対23だった。25点目はサービスエースだった。これから第3セット。石川選手が調子がいいときには日本は勝ちを収めている。今日も調子がいい。顔を隠していないイラン選手は顎髭が濃いなあ。

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いいコースを見つけた

2015年09月18日 20時10分01秒 | Weblog

いいコースを見つけた。大きな車道を一度しか渡らなくていい。しかもここには信号がついているから、自転車も安全に渡っていける。4・5キロ先のスーパーマーケットのところでUターンをして戻って来た。行きがけに上り坂がある。これがだんだらだんだら上っていくので、耐えられずに自転車を降りて押して歩いた。その代わり帰路が楽だった。日が落ちてしまう前に帰宅した。吹いてくる風が涼しくてもう汗も出さなかった。

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白粉花の別名は夕化粧 色っぽいな

2015年09月18日 19時47分02秒 | Weblog

オシロイバナがあちこちで咲いている。これは熱帯アメリカが原産地。江戸時代初期には日本にもたらされていたらしい。黄色、紅色、白色などがある。果実は球形をしていて黒くて堅い。果実の中の胚乳をおしろいの代用にしたことでこの名がついたようだ。「夕化粧」という色っぽい名がある。江戸時代、大和撫子たちはこれで夕化粧をしてお目当てを訪ねていったのだろう。季語は秋になっている。サイクリングに行くとこの花が秋風に揺れてさぶろうをやさしく出迎えてくれる。夕化粧をした女性のように。

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「ご縁の母」という母がいる

2015年09月18日 14時20分50秒 | Weblog

さっき書いたけど、父の最初の奥さんにはこどもが生まれなかった。ということは跡継ぎがない。さぶろうの家は本家だ。それで親戚中が集まって離縁にしたのかもしれない。二人は相思相愛だった。そしてさぶろうの母が後添いに収まった。これも親戚ご一同の計らいらしかった。(二人は遠い親戚の間柄だった)母は初婚である。父の写真だけをたよりに父が勤務している台湾総督府のある台湾へ向かった。キールンの港に父が迎えに来ていた。写真の人と一致する、この人が母が一生を添い遂げる人であった。結婚4年後に姉が生まれた。(4年も経つのでそろそろ離婚騒ぎになっていたらしい)その後4年して台北でさぶろうが生まれた。空襲の騒ぎの中で生まれたらしい。さぶろうは男の子、跡継ぎになる男の子だった。丈夫な子ではなくて困らせたらしい。戦争が終わった。和歌山の港に引き揚げ船が着いた。さぶろうは1歳だった。やがて4年年下の弟が日本で生まれた。

最初の奥さんには父は大層未練が残っていたらしい。離縁になってますます愛情を掻き立てられていたかも知れない。しかし、結婚するときに母の父からそこのところはしっかりと念を押されていたようだった。父は未練はないと言い切っていたのかも知れない。

それでともかく、(それでというのは離縁になったのでということだが)父は母と結婚した。そしてさぶろうたち3人が生まれた。もし、離縁になっていなかったら、さぶろうは、だから、この世に生まれていない。ということは、結果的にだが、父の最初の奥さんは、さぶろうたちのいのちの恩人と言うことになる。探し出してお礼を言いたいくらいだ。(もうとっくになくなっているだろうけど)縁とは不思議だ。さぶろうの母は生みの母、育ての母だが、もう一人ご縁の母がいたのだ。(幾重にも幾重にもご縁ご縁によって成り立っているのだ)

アメリカの医学者エリザベス・キュプラー・ロス博士の「死の科学」によると、しかし、母さんと父さんがセックスをしてこどもを作るのではなく、そこに身籠もったお母さんをこどもが選んであかちゃんになるのだという。(これは博士等の研究の退行催眠で分かったことらしい)だから、さぶろうは、今のお母さんが今のお父さんに嫁がなくても不自由はしなかったかもしれない。母が選んだ別の父の元で生まれてくればよかったからである。

これを書いておかないと、こどもはできなかったが夫婦愛を通されているカップルに顔向けができないようだ。こどもは受胎が決まった瞬間を見逃さずに、「あっ、このお母さんとお父さんのもとに生まれてこよう」と決めるらしい。そしてコウノトリのように大空からまっしぐらに飛び込んできてお母さんのお腹の中に入るらしい。(この日が魂の学校の入学式になり、それから魂が向上をするための修行実践をするらしい)

母を困らせたことにはなったが、父の愛した人に会ってみたい。あとで彼女はさぶろうの「ご縁の母」になるひとである。あの世へ言ったら会えるのかも知れない。人はグループを作って転生をして行くらしいから、案外懐かしいソウル・メイト(親しい魂の仲間)だったりするかもしれない。ご縁の母という母がいる。ご縁そのものが万物創造の母なのかもしれない。

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これは必ず実現を見ることだ

2015年09月18日 13時47分29秒 | Weblog

ああ、腹減った。でもだあれもいない。もうそろそろ2時だ。一人で作って一人で喰うしかない。父さん母さんを懐かしむだけでは胃袋はいっぱいにならない。食パンがあるから、これをトーストにしてバターをつけ、蜂蜜(アカシア蜜)を垂らして食べるとするか。

さぶろうもほんとうに年を取った。心細いほど年を取った。父さんと母さんに甘えたくなった。どうする? 名前を呼んでこっちへ来てもらうか? それともこっちからふたりの明るい談笑が聞こえるところへ行ってみるか? 

いまは実現を見なくとももうすぐだ。われわれはまた家族となるだろう。家族の楽しさを楽しむだろう。これは必ず実現を見ることだ。そうそう慌てないでいいのかもしれない。ともかくご飯にしよう。

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父と母のふたりを懐かしむ

2015年09月18日 12時36分49秒 | Weblog

小学生低学年の頃のニックネームは「とんちのとんちゃん」だった。頓知をきかして教室中を大笑いさせていたからだ。愛らしい「とんちゃんとんちゃん」だった。性格も明るかった。ユーモアが彼をますます明るくしていた。友達にも先生にも好かれていた。それがあるときから一変した。暗くなった。頓知もきかさないようになった。

父が母をぶったのだ。母が悪かったと思う。口汚く父を罵った母が悪かったのだと思う。ぶたれた母は逆上して家を出た。夜だった。さぶろうとさぶろうの4つ違いの弟が母についていった。行く当てのない母は夏草の茂る川土手に腰を下ろしてしくしく泣きだした。ついてきた兄弟もこれにつられて泣いた。4つ年上の姉は父をかばって、母には従わなかった。

夜更けて戻って来た。父は母に詫びなかった。母も詫びなかった。母は実は後添いである。初婚だったが。父の最初の結婚相手にはこどもが生まれなかった。これで離婚になっていたが、父には未練があったらしい。その別れた相手から届いた手紙が事件の発端だった。(当時は母が後添いだということをもこどもたちは知らなかった)

長男のさぶろうは家庭の平和を取り戻す努力をしなければならないと思った。彼は訳も分からずに父の処へ行って詫びた。「お父さんごめんなさい。辛抱してください」と手をついて詫びた。そして母の所へ行きやっぱり同じ台詞を口にした。「お母さんごめんなさい。腹が立つでしょうが辛抱してください」と健気(けなげ)だった。姉はふすまの陰からこれをじっと見ていた。夫婦喧嘩は犬も食わないということを知っていたのかも知れない。

ことはこれで一見収まったかのように見えたが違っていた。家が暗かったのだ。さぶろうはそれを辛いと思った。どうにかしなければと思った。どうにもなることではなかった。子供心に苦しんだのである。長男だったからそれをわが責任に感じたのである。異変のたびに父に詫びて母に詫びた。

彼は暗い性格を余儀なくされた。しばらく解決を見なかったからである。母は父をこれ以上に口汚く罵った。父はもうぶつことはなかったが、その代わりしばらく家に帰ってこなくなった。帰って来ても楽しまなかった。そしてまたちょくちょく家を留守にした。離婚にはならなかった。われわれこどもがいたからであろう。

そんなことがあった。さぶろうが小学校の低学年の頃である。夫婦の愛情はしかしそののち回復をしたようだった。それでもとんちゃんはもう二度と頓知を発するような明るい少年には戻らなかった。彼の深刻さはその後も解消されなかったのである。

といって、それから後のさぶろうが父母を恨んでいるというようなところは微塵もなかった。彼は家を守るべき長男である。父母は恨むべき存在ではなかったのだ。のちのち、父が長患いの後で亡くなった。母がそれまでずっと看病を尽くした。実に見事な夫婦愛だった。さぶろうは父を長いこと夢見た。大好きだったからである。

母は長寿をした。90歳でなくなった。あの口汚く罵った母は、しかし、同居しているさぶろうの結婚相手とは一度も喧嘩をしなかった。それどころか双方からの悪口をも聞かなかった。母と二人でいるとき、妻と二人でいるとき、どちらのときにも悪口を聞かなかった。さぶろうは助かった。家庭の平和が見事に築かれていた。

愛する二人は死んだ。死んだけれども「この家の大切な二人」をますます大切に思うようになった。さぶろうももう十分老いた。仏壇での読経のたびに、老いた彼は父の位牌、母の位牌を仰いでその法名と実名を唱えて挨拶をし、経典に書かれている仏陀の話をし二人が住んでいる仏陀の国の話をひもどいて、二人を懐かしんだ。

「とんちのとんちゃん」はもう高齢のさぶろうにはますます似合わないニックネームになってしまっているが、ふふ、その明るさだけはそろそろ回復を見てもいいかもしれない。昔昔その昔、明るいとんちゃんを自慢にしていたふたりがふふっと笑ってよろこぶかもしれない。

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献上(謙譲)の美徳

2015年09月18日 12時14分41秒 | Weblog

猫。ふふ。何が楽しいんだろうね。いっつも寝てる。ときどき起きて長々と欠伸している。そして畑の、耕してあるやわらかい土を掘ってそこで用を足している。猫大嫌いのさぶろうが「そこには種が蒔いてあるぞ」と怒る。猫はしかたなく去って行く。しばらくしたらまたベランダの濡れ縁の上へ来てお昼寝を続ける。

汗が出る労働は一切しない。労働の楽しみもない。鼠も捕らない。泥棒避けにもならない。役に立つ楽しみがない。小鳥のように美しい鳴き声でもない。鳴く楽しみもない。寒くなっても着物も着ない。夏の日の涼しい浴衣も着ない。着る楽しみがない。冬の日、湯に浸かってあたたまる楽しみもない。金を貯める楽しみもない。宝物を所有する楽しみもない。おれは偉いんだぞと威張る楽しみもない。ないないばかりだ。

「ふふ。それはみんなあなた方人間に献上してしまいました」って言ってふんぞり返っている。献上の美徳(ほんとは謙譲の美徳)が奴(やつ)の唯一の楽しみってわけか。なるほど猫説が正しいとすれば、謙譲の楽しみとは、たいした楽しみだ。

 

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トリプルスリーのカープ男子 柳田選手

2015年09月18日 11時52分10秒 | Weblog

パシフィックリーグの1強ソフトバンクがはやばやのリーグ優勝を決めた。工藤監督の胴上げが宙に舞った。(セリーグは広島カープが優勝しますように!)

新聞の今日の「この人」欄に柳田悠岐選手(26才)が写真と共に載っていた。「ソフトバンクの2連覇に貢献した」という小見出しだった。彼はソフトバンクの3番。打率3割。30本塁打。30盗塁と輝かしい戦績だ。これをトリプルスリーと言うらしい。なるほど3が3つ列んでいる。

彼は広島で生まれ、小学校3年で野球を始め、広島の高校、大学を出て、2011年ソフトバンクに入団した。まさに「広島出身のカープ男子」だ。でも、甲子園には縁がなかったらしい。入団した後も不調が続いていたが、そこを乗り越えて今日の3番を勝ち取ったらしい。愛されるカープ男子が九州を本拠地とするソフトバンクに誕生している。

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お前は偽者でいいのだ さぶろう

2015年09月18日 11時30分10秒 | Weblog

それでいいのだ。それでいいのだ。それでよかったからそうだったのだ。そんなふうに思ってみるのだった。悪賢く小賢(こざかしこ)い偽賢人が真相究明などできるわけはない。起こることの万事が万事それでいいのだ。それでよかったからそうだったのだ。それで落ち着きを得てそうなったのだ。

さぶろうはいつになっても自信というものに恵まれない。何をしてもそれでよかったかどうかが分からない。長い間人間の暮らしを立てて来ているのにそのどれもが彼に自信というものを恵んでこなかった。偽賢人のやることなすことどれもつまらなく小さくはしたなく思われた。彼は生き方を恥じてばかりで来た。

そしてときおり遠くの背振の嶺を仰いだ。堂々としている嶺を仰いだ。彼はこれで慰められた。「いいのだ、いいのだ、これでいいのだ。お前は偽者でいいのだ。堂々としたほんものがいるから大丈夫なのだ。心配はいらないのだ」そんな天の声が聞こえてくるように思った。さぶろうはこの声を聞いてやっと落ち着きを取り戻すのだった。

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27cmの自転車が堂々として光っている

2015年09月18日 11時16分53秒 | Weblog

雨の中のサイクリングの帰り道ずっと気になっていたことがあった。弟の家はどうして誰もいなかったんだろう。もしかしたら、弟に危急なことが起こって救急車で運ばれて、それで家族がついていって、それで蛻(もぬけ)の殻になっているのかもしれないぞ、と思った。玄関の錠もかけてなかった。台所にはあかあかと灯りがともっていた。ところがそうではなかった。我が家に着く前に弟から電話があって「ウエストバンドありがとう」が届けられていた。弟は二階ですやすや眠っていたのだった。たぶん雨になっていることも知らずにいたのかもしれない。彼の家族はみな用で留守をしていたのだった。これで安堵をした。

今日はからりと晴れている。お日様も出て来た。ベランダに立ててある27cmの自転車が堂々として光って見えた。

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