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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

人間の勝利のようなものかもしれない

2015年09月16日 17時33分52秒 | Weblog

ほんとうはどうなのか。分かったと思っていても、それがほんとうだったかどうかは分からない。見たと思っていても、ほんとうを見たかどうか、それも分からない。ほんとうのところは全然まるっきり見えてなかったかもしれないのだ。

南十字星の方角に望遠鏡を定めておいてそれで北斗七星を見たと思う場合だってある。あるはずである。まったくの見当違いをしていながら、それで正解を得たと思い込んでいる場合だってあるはずである。

人間の眼は神々の姿を見ることはできないかもしれない。見たとしても、南十字星の方角に北斗七星を探し出したとしているような、そういう種類の誤りがないとは言えない。

仏陀の教える法を我が目で確かめることなどはできないのかもしれない。死のほんとうの成行を見定めることなどはできないのに、死を恐怖と見て悲しむけれども、それはまったくの見当違い、お門違いであるかもしれない。

まるで違った方向に視点を据えていればまるで違ったものしか見えないのだから。

死はもっともっと明るいもの、燦然とかがやくもの、人間の勝利のようなものなのかもしれない。人間が生きるというのはほんとうはもっと違った意味合い、まったく新しい意味合いを隠し持っているのかもしれない。

 

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物言いが付いたがきわどい

2015年09月16日 17時13分07秒 | Weblog

雨の音がしなくなった。畑は濡れている。しっかり潤っている。これでいい。植えたばかりのフカネギはこれで根を生やすことができてしっかり根付くことだろう。深く溝を掘って植えておいたところへ水が染みこんだことだろう。

お相撲さんの太股はでかいなあ。麻痺をしている僕のほっそりした股の20倍はありそうだ。おお、豊かだ。あれはみんな筋肉なんだろうね。太股のでかい外国人力士、栃ノ心が妙義龍を土俵際で押し倒した。さぶろうはテレビ観戦をしだした。さ、贔屓の豪栄道が土俵に上がった。相手は若手のモンゴル人力士。でかいぞ。

軍配は若いモンゴル人力士に上がったが、物言いがついた。きわどい。

 

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栗の実は懐かしい元気の実

2015年09月16日 16時46分03秒 | Weblog

客人が来ておられる。わたしあての客人ではない。今年獲れた栗の甘煮を土産にいただいた。さっそく舌にのせてみた。とろりと崩れた。よほど長く煮込まれたのであろう。おいしかった。そうだったのだ。山里には大栗の丹波栗が実る季節を迎えていたのだった。客は我が家で夕食をともにされるかもしれない。

僕らが小学生の頃に、父と弟と三人で山奥に入って栗をもいだことがふと思い出された。もいだのは自然の栗の小さな篠栗だった。僕が木に登って揺さぶって毬(いが)を落とすと、長靴を履いた父が毬を山刀で器用に剥いてくれた。弟が拾ってこんがり色づいた栗の実を袋に入れる役をした。

親子だが、男三人だということが即、寡黙にしていてもそれでもとっても晴れがましい時間のように思われた。父の笑い顔に誘われてどんどん深い山に入り込んでしまっていた。帰路、夕焼けが山道を赤く照らしていた。そういうこともあったのだった。昔々の父が懐かしい。父と弟と三人みんなが元気でいた頃が懐かしい。

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尖った口元が緩んでくる

2015年09月16日 16時29分43秒 | Weblog

秋風よいたくな吹きそあしひきの深山(みやま)もいまだもみじせなくに   大愚良寛(りょうかん)禅師

深い山とは禅師の住んでいる国上山のことだろう。この山の五合目辺りにある五合庵に禅師はお住まいだった。一部屋きりの狭い庵だった。ここを出て村里に下り、こどもらと遊んだり行乞したり親戚知人に招かれて酒を飲まれたりなさって、夕暮れにはお帰りになられた。秋風に衣を吹かれつつ。行く道の木の間はまだしっかり紅葉もしていないので、今のうちは風よやさしく吹いてくれと懇願されている。「あしひきの」は「山」にかかる枕詞。良様のお歌を口にしていると尖った口元が緩んでくる。

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わがぶらぶらは小さなスケール

2015年09月16日 16時01分50秒 | Weblog

蕭々と雨の降るのはさぶしい。このさびしさを掻き分け掻き分け、ぶうぶうぶらりして来たところ。傘は差していたけど、濡れてしまって寒い。

ぶらぶら南下して筑後川が有明海に流れ込む河口に行き着いた。鉄橋が昇開して川を行く舟を通す昇開橋の、そのすぐ袂にある温泉で小半時を過ごした。やや土色じみた、ぬるぬるした温泉だった。庇の付いた露天風呂からすぐ横を流れる濁流が眺められた。川上の雨で太って水量が豊かだった。

温泉客は割と少なかった。肥満体の年配者が目立った。栄養がいいんだなと感心した。熱くて長くはつかっていられなかった。

温泉を出てまたしばらくぶらりぶらりした。遠くへ行って何処かの宿に投宿したいとも思ったがよしにした。明日、弟が蕎麦を食いに行きたいと言う。それを優先させることにして戻って来た。

途中、魚の市場に立ち寄った。イイダコを見つけて買って来た。小さい蛸だ。4尾いる。今夜はこれを甘辛く煮てもらって酒の肴にしよう。わがぶらぶらは、規模の小さいこんなものだった。

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ぶらりがしたくなった

2015年09月16日 11時29分05秒 | Weblog

ぶらりがしたくなった。どこぞでぶらりをしよう。ぶらりをさせてくれるところが何処かにあるはずだ。

誰か無償で墨書してくれないかなあ、これを。縦1m横2mほどの広い習字紙に。ぶらりをしなくても、ぶらりが手に入るようになるかもしれない、この墨書を見ているだけで。

年寄りはこれだ。ぶらりしか能がない。

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これ以上を欲しがらなくとも済む

2015年09月16日 11時15分11秒 | Weblog

これ以上を欲しがらなくとも済む。これが覚了(かくりょう)だった。

天地はみなこの覚了を果たしていた。彼らは与えるだけで暮らしが立ったのだった。

もしもこれ以上というものを欲しがって欲しがっているのなら、彼らはわれらに代償を求めて来たことだろう。

そういうところには人間どころか鼠一匹棲めなかったはずである。

しかし、さぶろうは天地ではなかった。欲しがって欲しがって、その上にもまた欲しがったので、ついに覚了がなかった。

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これでみな覚了したのだ

2015年09月16日 11時01分05秒 | Weblog

蕾だったものが開く。ここでゴールであった。一つの行程が円満したのだ。韮の白い花が咲いている。これでみな覚了したのだ。欲しいものがみな得られたのだ。これ以上を欲しがらなくともすんだのだった。彼らは覚了を果たしたので、消えて行くこと滅して行くことに最早どんな恐怖もなかった。さぶろうは、しかし、韮の花ではなかったのだった。彼はいつまで生きても恐怖を内包していた。

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たった一つのよろこびでもよかったのである

2015年09月16日 10時50分35秒 | Weblog

そうだなと思えば一冊の本だけでよかったのである。一つの経典でよかったのである。一つの大悲受容でよかったのである。一つの天地でよかったのである。たった一つのよろこびでよかったのである。

それをあれこれあれこれ欲しがって余分に余分に欲しがって、どの一つをも味わい尽くせないで、充実を分散させかき消してしまっておいて、ないないと喚いて生涯の不満足をする。

あれこれは要らなかったのである。たった一つの信でよかったのである。たった一つのよろこびでよかったのである。そこに芙蓉の花が咲いた、これだけのよろこびでもよかったのである。そこに仏陀を発見して、十分によろこび尽くせていたのである。

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毘盧遮那如来と別所帯ではなかったのだ

2015年09月16日 10時32分55秒 | Weblog

三摩地が現前しているのがさぶろうのいるこの蓮華蔵世界である。見たいものが見られ、聞きたいものが聞かれ、触れたいものに触れられ、食べたいものを食べられ、嗅ぎたい匂いを嗅ぎ、よろこびたいものをよろこべるのである。これが三摩地現前(さんまじげんぜん 不可思議不可能が可能になる三昧加持)である。仏の世界は空想世界ではなかったのである。毘盧遮那如来と別所帯ではなかったのである。如来の智慧とその実践は出し惜しみなくわれわれに届けられてきているのである。

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