ちったあ、さぶろう、おもしろいのを書いておくれでないか。
へ。せっかくのお頼みですが、ですがね、そりゃ、できません。堅い人間でございます、さぶろうは。ご覧の通り石頭ですよ。
やっぱり。そうだったね。そうだったね。期待ができないのなら、期待する方がおかしいか。
ちったあ、さぶろう、おもしろいのを書いておくれでないか。
へ。せっかくのお頼みですが、ですがね、そりゃ、できません。堅い人間でございます、さぶろうは。ご覧の通り石頭ですよ。
やっぱり。そうだったね。そうだったね。期待ができないのなら、期待する方がおかしいか。
1
呼びかけた者のみが呼びかけられている。
2
違う。呼びかけられた者のみがはじめて呼びかけることができるのだ。
3
呼びかけてくる仏陀がいたのでそれが声になったのだ。音になったのだ。それで実在を得たのだ。
4
さぶろうは、この実在の力を得たからこそ、仏陀を呼んだのだった。
5
呼びかけは響き合った。
6
互の呼びかけはこうして互いへ響き合った。
7
大空が広がっていた。悠々とした大空だった。青が澄み渡っていた。ここに呼び声が交錯し合った。
1
珠子よ。さぶろうは呼びかけてみる。もちろん、返事は帰ってこない。珠子は何処にも居ないのだから。でも、それはこの世に限ってのことであって、この世を超えて出てみれば、それはそうではなくなってしまうかもしれない。この世での非実在は超出の世ではもしかしたら実在を許されているのかもしれない。そう思って呼びかけてみる。珠子よ。美しい珠子よ。さぶろうがこうして呼びかける度に珠子は美しくなっているのかもしれない。
2
さぶろうはしかし自分の名を呼ぶ者の声を聞いていない。聞いてはいないが、或いは呼びかけてくる者がいるかもしれない。さぶろうが珠子を呼ぶように。
3
この世は一重のひらひらではない。多重構造をしているのだ。もっと重々しいのだ。響き渡ることができるように設定してあるのだ。どんな小さな音だって微かな声だって拾い上げることができるようにしてあるところなのだ。万に一つ、さぶろうを呼ぶ声がないわけではないのだ。
4
呼びかけられて呼びかけられてたましいは人になって行くのだ。この世を生きる人になっていくのだ。呼びかけられて呼びかけられて超出を果たしても行くのだ。次へ次へ新しく新しく進んで行くことが出来るのだ。さぶろうはそう思ってみた。確証はなかった。さぶろうが珠子を美しい珠子にして呼んでいること以外は。
水音しんじつおちつきました 種田山頭火
*
耳を澄ませていると水音が聞こえて来た。山の中である。細い谷水が小さな滝を作っている。滝と言えるほどの滝ではない。聞こうとしても聞こえてこない日々が続いていた。求めて求めて求めて歩いているのが僧行である。彼は水音の傍に座り込んだ。ここに真実が清らかな空間を作っていたからである。ぽっかりと。頭上を高く覆う椎の木の若葉から光が雨のように降って来た。彼はその空間に響いてくる水音にしばらく聞き耳を立てた。真理の認識であるパンニャー(般若)が聞こえて来たからである。久々の落ち着きであった。
万歳! バンザ~イ! 出た。数日溜まっていたものがするりと出て行った。軽くなった。ぺしゃんこになった。
で、立ち上がってくるりと回って、水に沈んでいる蛇状の渦巻に手を合わせた。ご苦労様でした。わたしの中でわたしを生かす大切な仕事に黙々と従事してくれたあなたに感謝します。
わたしはこれで気持ちのいい朝を迎えることができました。あなたはみずからを醜く穢く臭いものにしてまでわたしを明るく清んで浄らかにしようと努めてくださいました。
あなたを水に流します。お別れをします。こんなに大切な生理作業の任務を滞りなく立派に遂行してくれたのに、あなたを留まらせることはできなかったのです。
訣別に及んで、万歳、バンザ~イだなんていうのはあなたの善意と厚意を台無しにする非礼だったかもしれません。仏教の教える懺悔(さんげ)をします。
無碍(むげ)光仏のひかりには/無数(むしゅ)の阿弥陀ましまして/化仏(けぶつ)おのおのことごとく/真実信心をまもるなり 親鸞聖人「現世利益(りやく)和讃」より
*
ここに「化仏(けぶつ)」という仏さまが登場されています。ここでは「無数の阿弥陀仏」となって分散されています。ご自分を数限りなく培養して微小な同体仏を億兆にしてこの世の全体に飽和させられます。化仏は変化(へんげ)の仏さまです。変化身(へんげしん)です。それが無碍光仏の光に照らされています。無碍光仏は阿弥陀仏の別名です。こうして真実の信心をいただいた人を守っておられるというのです。それもおのおのことごとく(の化仏)がそうしているというのです。真実信心は阿弥陀仏から宅急便で届けられたものです。ここでは念仏のことだと思われます。己を小さく分かって分身を億兆も培養増殖して、こうまでもして念仏を称える人を守ろうとしておられるというのです。
さぶろうはここを風景にして想像を試みますが、とてもとても想像できることではありません。アメーバのような、ウイルスのような微小体になられた阿弥陀仏を想像することはもったいもなくて難しいのです。守るというのはよい方向へよい方向へ導いているということです。限りなく限りなくよい方向へ導いているということです。
あんなに青空を澄み切らせていたのに、いきなり掻き曇っていきなり雨降りです。心変わりが急です。にわか雨ですので、もう雨音が止んでいます。一雨で気温も下がりました。敏感な鼻の粘膜がすぐさま反応してクシャミを連発させています。天気は天の気。お空はあんなに広いのにわたしと同程度のエモーショナルな気分屋さん。今朝はこまめに泣いたり笑ったりしています。ほらもう明るくなって光を溢れさせています。
先日プランターに種蒔きをした秋野菜がずらりと発芽して来てもう10cmくらの葉を見せています。黄緑色をしています。密生しています。これでは成長がしにくいので間引きをしてやらねばなりません。プランターがたくさんあるので一仕事です。間引き菜は根を切り落としてきれいに何度も洗って、味噌汁の菜にしてもらいました。摘み葉はやわらかいので、お湯の中ですぐに海苔のように解けてきました。日ごとに伸びてきますので、日ごとにくけてやらねばなりません。あとあとに愛情奉仕が必要です。
おはようございます。涼しい朝です。ラジオ体操をしたら体がぬくまりました。たった10分ほどの体操でも体が目覚めるのですね。椅子に座ったままでしかできないのに。その後寝っ転がった姿勢を取って、角度30度両脚上げ30秒間と同じく角度15度の頭部上げ20秒間の腹筋強化運動をしました。庭のあたりで、鵯でしょうか、形容できない声を高く立てて鳴いています。青く澄んだ秋の空に小さな雲が浮かんでいます。
夜中いきなり腹痛が起こりました。腸捻転でも起こしたのかと心配になりました。怺えられなくなってトイレに直行しました。落ち着こうと思って親鸞聖人の和讃15首を唱えました。排便はできませんでした。便器に座ってしばらく耐えていましたらそのうちに軽減しておだやかになりました。ふたたび就寝しました。その後は痛みが途絶えました。不思議でした。降り積もった悪業をただされたのだなと思いました。